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『「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史』―“経済成長の歴史”
『視点を磨き、視野を広げる』第4回

5月 09日 2017年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

金融機関に勤務。海外が長く(通算18年)、いつも日本を外から眺めていたように思う。帰国して、社会を構成する一人の人間としての視点を意識しつつ読書会を続けている。現在PCオーディオに凝っている。

◆景気は良い?悪い?

「あなたは今、景気が良いと思いますか?」。そう聞かれて、聴衆の1割程度の人がおずおずと手を挙げる。次の質問「では、悪いと思いますか?」には、あまり手が挙がらない。続けて質問者は、「それでは質問を少しかえて、すごく良いとは言えないにしても、悪くはないと思う人は?」と問いかけると、半数程度の人が手を挙げる。これは、最近の経済セミナーで何度か目にした光景だ。

経済指標を見る限り、景気は悪くない。最近(4月27日)発表された日銀の「経済・物価情勢の展望」では、「我が国経済は、……2018年度までの期間を中心に、景気の拡大が続き、潜在成長率を上回る成長を維持するとみられる。」としている。また、失業率は3%を切っており、実質的に完全雇用の状態にある。実感として、人を採用しようと思ってもなかなか採れないように思う。これでも景気は良いと言いにくいのはなぜか。

今年の日本の経済成長率の目標は2%、米国が4%、中国が6%強である。3カ国とも、かつての経済成長率はもっと高かった。低金利と経済成長率の低下は、世界的な傾向なのだ。目標が低いにもかかわらず、それに達していないから景気が良いと実感しにくいのだろう。では、何%であれば満足できるのであろうか。高ければ高いほど良いのであろうか。いや、現在では、経済成長には資源の制約があることが認識されている。原油や鉱物といった天然資源だけではなく、人口減少問題を抱える日本では人的資源の制約も大きい。環境問題も制約要因だ。また、経済成長だけを効率的に追求すれば、不平等を拡大し、政治的に許容できなくなるかもしれない。このように考えると、経済成長は、多くの要因が組み合わさって相互に影響しながら実現されるということがわかる。

今回は、こうした「経済成長」の歴史を検証することで経済成長を決定する「四つの要素」を明らかにする『「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史』(米国の歴史研究家ウィリアム・バーンスタイン著)をご紹介しつつ、「経済成長」について考えてみたい。

◆経済成長の定義

最初に、「経済成長」という言葉の意味を確認しておこう。1年間に日本で生み出された全ての付加価値の合計を国内総生産(GDP)で表す。このGDPが大きくなっていくことを「経済成長」と呼ぶ。GDPがどんどん大きくなっていけば、日本は豊かになるし、税収が増えて政府は所得の再分配を行うことで政治的摩擦を減らすことができる。

したがって、国民にとっても、政府にとっても、あるいはいっそうの福祉充実を主張する野党にとっても、GDPは毎年大きくなる必要がある。すなわち制約要因を考慮する必要があるものの、経済成長率は高い方が良いとみんな思っている。経済成長は豊かさをもたらすからだ。

◆産業革命と経済成長

本書『「豊かさ」の誕生』は、我々が当然のことのように考えている「経済成長」は、実は人類の長い歴史の中ではごく最近にあたる1820年以降に生じた現象だということをデータによって示す。産業革命の始まりは1750年ごろとされているが、その恩恵が経済成長という形をとって数字の上からも明らかになったのが1820年ごろということだ。

これは、拙稿第2回で取り上げたガルブレイズの『ゆたかな社会』(*注1)で、有史以来、大衆はずっと貧困に苦しんで生きてきたこと、そうした状態が変化し始めたのは18世紀に産業革命が始まってからであること、という認識と同じである。

さて、全ての変化は「産業革命」から始まったが、「産業化」されるとは、「産業構造が農業中心の社会から工業中心の社会に変わること」であり、「狭義には生産活動の分業化と機械化、巨大組織化、高エネルギー動力源の使用」(*注2)とされる。一般的には、「産業化=工業化」と理解されているということだ。しかし、本書の著者バーンスタインは、そうした理解は正確ではないとする。工業化は結果であり、それを可能にした前提条件があるというのである。

◆経済成長の四つの要素

バーンスタインは、「産業革命(経済成長)」を可能とした「四つの要素」という仮説を立てる。4要素とは、①法の支配が確立しており私的所有権が守られていること②科学的合理主義が宗教的ドグマより優位にあること③資本市場が発展して民間企業の資本調達が容易かつ安価に可能であること④輸送と通信が発達していること――である。なかでも①が最も重要な要素だとし、「共有地の悲劇」(*注3)のモデルを使い、自分の土地を所有する農民の方が、共有地の農民より生産的であることを示す。人間は利己的に行動するので、その場合のデメリットを回避する仕組みが重要ということだ。共産主義の失敗の理由とも通じるだろう。

本書では、この仮説を検証するための指標として、「一人当たりGDP」に注目する。なぜなら、近代以前に繁栄した国で、人口が増えて一時的に国力(GDP)が増した例は多いが、「一人当たりGDP」で見ると、大きな変化はなかったと考えられるからである。この「一人当たり年平均GDP」を、現在の低開発国と西暦1年の欧州は同じ(平均的人間にとって同じギリギリの生存状態)であったと考える(約400ドルと推測)。これを基準に「一人当たりGDP」を推計すると、西暦1年から1000年まで変化はなく、1000年から1820年までの変化もごくわずかであったが、1820年以降急上昇していることがわかる。(*注4)

ではどうして、近代以前にはほとんど成長がなく、以降に加速したのか。それは先ほど挙げた成長の4要素が、近代になってようやく整ったからだ。なお、本稿では触れないが、四つの要素が成立していく歴史、中でも科学的合理主義を生んだ「科学の発展史」(本書第3章「科学的合理主義」)は非常に面白く、この部分だけでも1冊の本を読んだような満足感がある。

◆最初にオランダ、次に英国

四つの要素が最初に整ったのが、オランダである。上記4要素の観点から見ると、スペインからの独立戦争で自由と独立心が涵養(かんよう)されたこと、宗教革命によりカソリックのドグマから解放されたこと、資本市場が発達し安価な資金調達が可能であったこと、平たんで河川による水運に恵まれた地理的条件等が、繁栄の背景にあった。

次に登場したのが、英国であるが、始まりは1215年のマグナ・カルタに遡る。マグナ・カルタによって、歴史上初めて王権が法の制約のもとに置かれたのだ。それを指して、バーンスタインは「近代経済成長の始まり」としている。その後、名誉革命(1688−89年)による王権の制限と議会の立法上の優越権の確立が、私有財産権、自由権、法の支配を確固としたものとした。また、金融市場の発達が、低利の国債消化を可能とし、政府の財政基盤が確立され、民間企業の資金調達も容易になった。

欧州の中で、オランダと英国において四つの条件が整ったのは、両国とも欧州の周辺国であり、スペイン、フランスのような強い王権を持つ中央集権的国家になり得なかったことが、自由主義的財産制度の発達に寄与したことが大きい。王権が弱かったから、経済成長に最も重要な財産制度が確立したと言える。これはそのまま、スペイン、フランスが近代経済発展に遅れた要因でもある。説得力がある説明である。

なお、本書では、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に関する「定説」に疑問を呈している。私と同世代(60歳以上)であれば、大塚久雄(*注5)の著作によって、禁欲的プロテスタンティズムが、「利潤の追求に正当性を与えた」と学んだと思うが、その説を事後的解釈とする。バーンスタインは、四つの要素がそろって初めて持続的な経済成長が生まれる土壌が出来上がったのであり、宗教的要素による影響は大きくないという考えだ。

◆経済成長と民主主義

バーンスタインは、民主主義と経済成長率の関係は「U字型」だとしている。これは、米国の経済学者バロー(*注6)の研究を参考にしており、「ある程度までの民主化は経済成長を促進するが、民主化がさらに進むと成長を阻害する」というものだ。ここでは、民主化が進展した場合の負の効果として、ポピュリスト政府の「金持ちいじめ」政策、衰退産業への補助金(日本が例に挙げられている)、非生産的な慈善的、知的、政治的活動の場の拡大等が挙げられている。

また、民主主義国では「国民が政府に要求する項目は増加し、政府支出の割合が増加する。その結果、経済成長の果実が行政サービスに食い潰される可能性もある」と警句を発している。これは、全ての民主制度をとる先進国が内包する問題である。具体的な例として、60年代から70年代の英国を挙げている。当時の英国は、所得再分配と政府支出の増大によって経済危機に陥ったとする。

この問題への対応策として、「苦痛のメニュー」からの組み合わせを示す。具体的には、社会保障の改革のメニュー(負担増と給付の切り下げ)と増税メニュー(所得税、消費税、資産税)の組み合わせであり、先進国はこうした「痛みを伴う」政策によって破滅を回避するだろうと考えている。日本は、こうしたつらい選択を伴う改革を、自発的に成し得るのであろうか。

さらに、本書を貫く著者の姿勢は、どこまでも現実的、実証的であり、この姿勢が、我々の民主主義に対する「思い込み」を否定する。すなわち、「民主的で自由が尊重されている国で経済が発展する」と考えがちだが、実際は順序が逆だとする。経済が豊かになって初めて民主主義が発展する土壌が出来上がるというのだ。その証拠に、途上国の民主化の試みの失敗を挙げる。途上国で民主化を進めても定着しないのは、法治が不十分で財産権が確立していないからだとする。イラクやアフガニスタンの例を見るまでもなく真理であろう。

これを援用すると、途上国での「開発独裁」と言われる「自由は制限してもまず経済発展を目指す」という手法に正当性が与えられることになる。シンガポールはこの成功例だろう。また、中国も同じだということになる。先に経済が発展し、豊かになるにつれて、民主化の要求が高まってくるということは、納得性がある。中国でも遅かれ早かれそうした段階に達するのだろう。

なお、中国に関しては、4要素のうち著者が最も重視する「法の支配が確立しており私的所有権が守られていること」が、中国特有の「人治主義」とどう折り合いをつけて経済成長を実現しているかという疑問が残る。共産党一党独裁下での市場機能導入と外国投資活用という中国モデルは、やがて限界に突き当たるということであろうか。本書ではこの点について説明されていないのが残念である。

◆成長か平等か

経済成長の最大の矛盾は、「富を最も効率的に生み出す市場メカニズムが、富の分配における巨大な不平等を生み出す」点にある。成長を効率的に追求すると、不平等が拡大するという「成長と平等のジレンマ」の問題である。そして、不平等が限度を超えると社会が不安定化する。これを緩和するために、政府による富と所得の再分配機能(累進課税、社会保障制度等)が整備されてきたのだ。

本書では、米国で不平等が再び拡大していることに言及している。日本でも話題となった仏のトマス・ピケティの研究を紹介し、民主主義国での不平等のマイナス効果は極めて大きいと懸念を示す。ただ、それ以上の追求はない。経済成長の第1要素である「私有財産制」以外の道はありえないとする著者の立場の限界かもしれない。

また、経済成長は、先に成長の条件を整備した国と遅れた国の間での不平等を生み出す。グローバリゼーションは、この格差を固定化する。本書は、こうした点について懸念を示すものの、基本的には楽観的である。

◆日本の経済成長

バーンスタインは、西欧の先進諸国より遅れて成長の要素を整えた国として、日本の例を分析している。日本は、明治維新による改革で「四つの要素」の制度改革を進め、必要条件を整備していった。本書では、その基盤があって初めて、戦後の経済復興があり、高度成長につながっていったとしている。明治維新から、戦前、戦後への「つながり」を重視した分析であり、同感である。

また、戦後の高度成長の要因として、軽軍備政策により、財政負担が軽減し経済に資源を集中投資できたことを挙げている。正しい認識だと思うが、著者は同時にこの構造の持続性について懸念を示している。米国が日本の防衛負担に耐えられないと考えるか、あるいは日本が自主防衛による対米依存からの脱却を目指した時に、この条件を失うことになるからだ。トランプ政権の出現によって、この選択が現実のものとなる可能性が高まったといえよう。

◆終わりに:経済成長と日本の将来

過去200年間の経済成長の歴史を見てきた。経済成長の始まりは、大多数の人々が貧困の中で生きてきた歴史の終わりを意味した。ただ、それは人類の長い歴史から見るとごく最近の出来事だという認識を忘れないことが大切である。

経済成長で社会全体が豊かになって民主主義が普及した。民主主義には豊かさが必要であったということだ。その意味で民主主義は贅沢(ぜいたく)な制度である。贅沢に慣れると要求は増して、「経済成長の果実が行政サービスに食いつぶされる」ことになる。この点を、民主制先進諸国が内包する共通の課題として本書で警告している。しっかり念頭に置いておきたい。

さて、産業革命以来の資本主義の問題点であった「貧困」「不平等」「不況」は克服され、「豊かな社会」が建設された。それを可能にしたのが「経済成長」であった。経済成長はすべての社会問題を解決すると信じられており、「政治における錬金術」となった。与野党を問わず「成長」は選挙に不可欠のスローガンとなり、「成長」という言葉の前では誰も異議を挟むことができない。我々は、「成長の神格化」の時代を生きている。

しかし、経済発展の初期段階で高成長率を経験した国々もやがて成熟段階に入り、成長率は鈍化する。本書では、過去の経験則から長期的には成長率は「2%に収斂(しゅうれん)していく」としている。ましてや、現代資本主義は低金利、低成長率の時代に入っているのだ。日本では、人口減少の問題もある。現在の日本の潜在成長率は「0.8%」(*注7)であり、いたずらに高成長の幻想を抱くことなく、潜在成長率を高めていく政策を地道に推進していくことが必要である。

また、現在の日本の社会制度は、成長率が高かった時代に設計されたものだ。社会保障制度を始め、低成長と人口減少を前提とした抜本的な制度改革が不可欠だという認識は、総論では共有されつつあると信じるが、個別論では政治的調整が機能していないというのが日本の現実だ。「経済成長と民主主義」で紹介した「苦痛のメニュー」からの組み合わせの選択は、多くの政治的困難が伴うと予想されるが、「豊かな社会」を維持していくために不可避の選択となりつつあるのだ。

<参考図書>
『「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史』ウィリアム・バーンスタイン著、徳川家広訳(日経ビジネス人文庫、2015年;ハードカバー版は06年刊行)

(*注1)ジョン・ケネス・ガルブレイス(1908〜2006年)は、米国の経済学者

(*注2)出所:コトバンク;ブリタニカ国際大百科事典

(*注3)共有地の悲劇:集合体が共有地を持つ場合、メンバーが利己的に行動すれば共有地を荒廃させる。それを回避する方法として、財産権の導入(私的所有権)が効果的だとするもの。1968年に人間生態学者のギャレット・ハーデン(カリフォルニア大学)が唱えたモデル。同氏は環境保護の観点から本モデルを考えたが、その後、多くの経済学者によって同モデルが応用されている(本書第2章「私有財産制」参照)

(*注4)本書では、英国の経済学者のアンガス・マディソン(1926〜2010年)の推計値を用いて説明している

(*注5)大塚久雄(1907〜96年)は、経済史学者、東京大学名誉教授。マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学で知られる(出所:Wikipedia)

(*注6)ロバート・ジョセフ・バロー(1944年〜):米国のマクロ経済学者。ハーバード大学教授

(*注7)数字は、内閣府月次経済報告(2017年3月15日更新データ)。なお、潜在成長率とは、「資本(=生産設備等)」「労働力(=労働力人口と労働時間)」「生産性(技術進歩)」の三つの伸び率の合計値。中長期的には現実の成長率と一致するとされる。(出所:コトバンク)

※『視点を磨き、視野を広げる』過去の関連記事は以下の通り
第2回 『ゆたかな社会』―“資本主義の諸問題の一考察”
https://www.newsyataimura.com/?p=6360#more-6360

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