п»ї マレーシアの軽井沢 キャメロン・ハイランド『マレーシア紀行』第5回 | ニュース屋台村

マレーシアの軽井沢 キャメロン・ハイランド
『マレーシア紀行』第5回

8月 01日 2014年 国際

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マレーの猫

エネルギー関連業界で30年以上働いてきたぱっとしないオヤジ。専門は経理、財務。実務経験は長く、会計、税務に関しては専門家と自負。2012年からマレーシアのクアラルンプールに単身赴任。趣味は映画鑑賞、ジャズ、ボサノバ鑑賞、読書。最近は浅田次郎の大ファン、SF小説も

マレーシアでの単身駐在期間が長くはなってきたが、それでもこの国のことをあまり知らない私があれこれ書くのは気が引けるが、旅行記第5弾を書くことをお許しいただければと思う。今回紹介させていただく場所は、首都クアラルンプールからはちょっと遠いが、マレーシア半島にある高原リゾート、キャメロン・ハイランドである。私がこちらでの駐在を始めてから、是非一度訪問してみたいと思い続けていた場所である。

◆避暑地としての歴史

まずキャメロン・ハイランドの歴史などについて述べるが、場所としてはクアラルンプールの北、約200キロのバハン州にあり、ちょうど半島部の中央に位置していると言える。標高1300~1500mと高いので、年間を通じて気温が20度前後ととても涼しい。普段クアラルンプールに住んでいる私にとっては、とにかく高原の風が吹いていることにいたく感動したのであった。

この地の名前の由来は、英国統治時代の国土調査官のウィリアム・キャメロンが1885年に初めてこの地を訪れ、その後、彼によって開発が進められたので、彼の名前を取ってキャメロン・ハイランドと命名されたそうである。今回初めて訪れてみて、その涼しさや美しい高原の風景を見て、次回はもう少し長く滞在して、ゴルフなどもやってみたいと思ったのであった。

そんな気持ちになった場所は、このマレーシアに来てからはこのキャメロン・ハイランドが初めてである。その理由が気温の冷涼さにあることは明らかであるが、とにかくマレーシアの軽井沢、と言うか東南アジアの軽井沢と呼んでもいいのではないかと勝手に思った次第である。

◆「タイシルクブランドの創業者」ジム・トンプソン失踪の地

タイを訪れた方なら「ジム・トンプソン」のことを知らない方はいないと思うが、そうでない方にはあまりなじみがない名前かもしれない。タイシルク製品のブランド名であり、世界的にはある程度有名であるとのことであるが、現在の日本ではあまり知名度はないと思う。

ただ日本でも1980年代から90年代半ばごろまでは東急百貨店が輸入販売を行っていたので、当時は東急百貨店の各店で同製品を購入することができた。現在は同百貨店では販売していないし、他の日本の百貨店でも扱っていないはずである。

私が初めてジム・トンプソンの名前を知ったのは、80年代初めにタイを観光で訪問した時であった。タイシルクの衣類やネッカチーフ、その他タイシルクを使ったカバンや小物類があり、その色使いとデザインはとてもしゃれていると感じた。現在クアラルンプールには同ブランドのショップがあるのでたまに店頭で見ると、今でもとてもセンスのいい品々が並んでいる。

ただ、当時から創業者のジム・トンプソンがどこかで失踪(しっそう)してしまったという話は聞いていたが、それ以上は興味もなかったので、どこで失踪したかについては全く知らなかった。ところがマレーシアに駐在してから、彼がタイからこのキャメロン・ハイランドに遊びに来ていて、67年3月に友人の所有する山荘から忽然(こつぜん)としていなくなってしまったという話を聞いて、大変驚いたのであった。

この実話を基に松本清張が『熱い絹』という小説を書いているが、私自身はまだ読んでいない。友人にこの話をしたところ、彼が最近日本で購入して読んだそうなので、今度休暇で帰った時に借りて読んでみようと思っている。

ジム・トンプソンはタイシルクの事業を始める前はCIA(米中央情報局)の前身の「OSS」に勤めていて、戦前はヨーロッパでノルマンディー上陸作戦にも関わり、その後タイに移り、戦後はOSSのバンコク支局長に就任する。ただその後は同機関を辞め、衰退していたタイシルクを復活させ、ジム・トンプソンブランドを確立させたのであった。56年に公開された、皆様もご存知であろうハリウッド映画「王様と私」(ユル・ブリンナー、デボラ・カー主演)の衣装にもジム・トンプソンの製品が多く使われたそうである。

ただ、彼はOSSを辞めジム・トンプソンの経営者になってからも、そういった諜報(ちょうほう)機関の人々との付き合いは続けていたようであり、またタイ政府の要人とも深い付き合いがあったようである。

また彼が失踪した5カ月後に、米ペンシルベニア州にいた実姉が自宅で殺されて、この事件の犯人も捕まっていないそうである。そのため、彼の失踪に関しては色々取りざたされたようである。ただ、現在に至るまで行方も生死も不明のまま、全く手がかりが残されていないという不思議な事件である。

その失踪事件の舞台となった山荘は「Moonlight Cottage(月光荘)」と呼ばれていて、失踪事件以降長い間使われていなかったが、昨年暮れごろからホテルとして使われるようになった。

私は最初ここに泊ろうと考え電話をして予約しようとしたが、もともとホテルとして建てられた建物ではないので宿泊はできるが食事はできない(ただし15人以上の団体ならケータリングで食事を用意することはできると言われたが)そうなので、今回は別のホテルに宿泊したのであった。

ただ、この山荘を訪れてみて、そのロケーションの良さには感激した。一つの山の上にあるのだが、比較的土地も広いためゆったりとした雰囲気の山荘であり、またそこから見る周りの景色も大変素晴らしく、昼間でも涼しい風が吹いていた。

ここからふらっと出かけたまま戻らず、大規模な捜索活動が実施されたにもかかわらず、全く手がかりがなかったとは実に不思議なことである。最近のマレーシア航空機失踪事件とは全く関係はないが、失踪後何も見つからないということだけは似ているなと感じた次第である。

◆マレーシアの紅茶ブランド「ボーティー」

話は変わるが、マレーシアが英国の植民地になってから、キャメロン・ハイランドで丘陵を利用した茶葉の生産が始まったそうである。現在でもマレーシアで最大の茶葉生産地であり、また高原野菜やイチゴの生産も盛んである。

ところで皆さんは「ボーティー(Boh Tea)」というブランド名の紅茶をご存知だろうか? 日本では残念ながら全く無名であると思う。このBoh社は1929年にスコットランド人のJAラッセル氏によって設立されたそうであるが、同社のように自家農園内で栽培、生産、包装まで一貫して行っている会社は、世界的に見ても大変希少な存在であるようだ。

リプトンやトワイニングなど有名ブランドの紅茶は、無論栽培や生産はインドやスリランカ、その他の国で行い、その後スコットランドやイギリス国内に持ち込み、包装は国内で行っているので、Boh社のような会社は確かに珍しいと思われる。またこの紅茶はシンガポールとバンコクの間を走る「イースタン・オリエンタル・エクスプレス」の車内やマレーシア航空の機内で出されており、シンガポールとマレーシアでは最大の紅茶供給メーカーとしてブランド価値が確立しているようである。シンガポールに駐在された方々にとっては、ボーティーのブランド名は大変懐かしいようである。

今回この会社の茶畑と工場を見学したが、なかなか近代的な感じでお茶が作られる工程を見学することができた。やはりイギリスの影響が大きいのであろうが、見学者には結構欧米人が多かったのには驚いた。売店でここでしか買えないお茶がないか探し回ったが、クアラルンプールの伊勢丹で売っているものしかなかった。さすが伊勢丹であるな、と変な感心をしてしまったのであった。

◆マレーシア・セカンドホーム・プログラム

マレーシア政府は最近、日本人を含む海外の年金生活者を呼び込むために種々の恩典を与えてマレーシアへの長期滞在を促している(マレーシア・セカンドホーム・プログラム)ので、クアラルンプールやマラッカ、ペナンには結構多くの日本人が長期滞在しているようである。確かに私が住んでいるクアラルンプールでも欧米人や日本人の年配者を結構見かける。

このことは日本のテレビでも時々紹介されているので、ご存知の方も多いのではないだろうか? このキャメロン・ハイランドにも日本人向けのマンション建設が進められているという話を聞いたのだが、今回の訪問ではその建物も分からなかったし、日本人にはほとんど出会わなかった。

物価はクアラルンプールより安いし、とにかく高原であるためとても過ごしやすいので、日本人にとっては気候の面だけで考えると、マレーシア国内では一番住みやすい場所だと言えると思う。私自身、リタイアした後に一カ月くらいの長期滞在はしてもいいな、と心底思った次第である。今回の旅行でとにかく暑くないということは、私にとって最高の気分転換になった。

キャメロン・ハイランドにある「Moonlight Cottage(月光荘)」=筆者撮影 

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