п»ї 半沢直樹がいない銀行―みずほはどこで失敗したのか『山田厚史の地球は丸くない』第8回 | ニュース屋台村

半沢直樹がいない銀行―みずほはどこで失敗したのか
『山田厚史の地球は丸くない』第8回

10月 18日 2013年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

暴力団融資が発覚したみずほ銀行の右往左往は「危機対応の悪しき実例として歴史に残る」といわれる。まず一連の動きを振り返ってみよう。

2010年12月、提携関係にある信販会社オリエントコーポレーション(オリコ)の自動車融資に反社会的勢力への融資が多数あることが分かった。340件で総額2億300万円。銀行内部の調査で分かったが、事実は隠され、経営陣は手を打たなかった。

2012年12月、金融庁検査が始まる。

今年2月になって隠していた融資が見つかる。金融庁主任検査官は塚本頭取と面接、暴力団融資のいきさつ、対応方針を聴取。頭取は「情報は担当役員止まりで情報は共有されなかった」と釈明した。

3月に検査が終わる。終了に当たり、検査官は取締役全員を集め、問題点を指摘した。

6月、金融庁は検査報告書をみずほに送付。検査結果は監督局に回り、銀行1課がみずほに対し、暴力団融資のいきさつや対応策を文書にして報告するよう求めた。

7月1日、みずほコーポレート銀行を合併し、みずほ銀行のワンバンク化が実現。頭取は佐藤康博みずほフィナンシャルグループ社長が兼務することになった。

7月、金融庁に報告書提出。「情報は担当役員止まりで、認識が共有されなかった」と重ねて報告。署名者は佐藤頭取だった。

9月27日、金融庁が業務改善命令を発表。10月27日までに提出するよう求めた。

みずほ銀行は金融記者クラブに「業務改善命令を受けた」という資料を配布。「記者会見し説明を」と求める記者に「会見の予定はない」と拒否。広報担当者が「反社会的勢力への融資は、情報が担当役員段階で止まり、上層部に報告されていなかった」と説明した。

9月4日、朝日新聞が朝刊で「副頭取に情報が上がっていた」と特報。夕方、岡部副頭取が緊急会見、「情報は常務止まり」という主張を覆し「上野副頭取は認識していた」と認める。「西堀頭取は知っていたのか」「佐藤頭取はいつ認識したのか」などの質問にはあいまいな答えを繰り返す。

9月8日、佐藤頭取が記者会見。「西堀頭取は認識していた」「私が知ったのは今年3月、金融庁の検査後だった」と岡部副頭取のあいまい発言を訂正。第三者委員会の報告を待って責任を明らかにする、と述べた。

◆隠す、ウソをつく、逃げる、とぼける、責任転嫁する

一連の対応で明らかになったのは、みずほのこんな体質だ  
 
①不都合な事実が見つかると「隠す」
暴力団融資が見つかっても、だれも手をつけずあたかも無いかのように放置した。
 
②金融庁に見つかると「ウソをつく」
担当役員止まり、というウソは誰が考えたのだろうか。
 
③公表されると「説明しない」「逃げる」
記者会見を拒否。頭取宅に張り込む記者を避けようと頭取は家に帰らない。
 
④説明を求められると「ウソを重ねる」
会見をしないまま、広報担当者は非公式に「当時のコンプライアンス担当は常務でした」と常務止まり、とウソの筋書きをリーク。
 
⑤ウソがばれると「とぼける」
岡部副頭取は「西堀頭取は知らなかったと思う」と言いながら、「本当か」と念を押されると「確認してはいない」とあいまいな表現に。「佐藤頭取が知ったのは7月」と言いながら、念を押されると「7月だと思う」となり、「確認してみます」とあいまいに。
 
⑥逃げられなくなると「責任を転嫁する」
「西堀頭取は認識していた」と明言した佐藤頭取は、自分の責任について「知りうる立場にあったが、記憶にない」とあいまいに。自ら出席した会議で暴力団融資の資料が提出されていたが「知りうる立場にあることと、知っていることは根本的に違う」と強調した。

◆面倒なことにはかかわらないことが得策

ここから見える風景は、「誰も当事者意識を持っていない」ということだ。「なんでオレが巻き込まれなければならないの」という迷惑感が充満している。

コンプライアンス担当で今回の事件で矢面に立たされた岡部副頭取は「反社会的勢力といっても、これはオリコのお客さんで銀行では誰も暴力団と接点を持っていない。自動車ローンという特殊な形態で起きたものだ」。悪いのは顧客審査が甘かったオリコだ。おかげで銀行は迷惑している。そういわんばかりの釈明だった。銀行員の目線は、そんなものである。

オリコは第一勧業銀行の取引先だった。バブルに踊って多額の不良資産を抱え、銀行の支援で命脈を保った取引先である。社長は銀行から送り込んでいる。つまり格下の会社。そんなオリコが迷惑かけやがって、という気分である。

オリコの斡旋であっても融資契約(金銭消費貸借契約)を交わしたのは銀行である。審査の時点で銀行のブラックリストと突き合わせていたら未然に防げたはずだ。ここが第1の誤り。客の選択をオリコに丸投げする銀行側のやり方に問題があった。

甘い審査をすり抜けて入ってきた暴力団を駆除することが銀行の安全保障である。情報が頭取まで上がっていたのに、排除システムが働かなかったことは重大である。

その認識がみずほになかった、ということだ。オリコがずさんだった、では済む話ではない。

目端(めはし)が利く銀行エリートは「面倒なことにはかかわらないことが得策」という意識が強い。オリコとの取引で発生した不都合な融資は「旧第一勧銀の責任でしょ」という空気の中で、誰の責任かが明確にされず放置された。

本来なら法務部門(コンプライアンス担当)の責任で処理される問題である。法務の担当者は個人融資部門に「取引の解消と融資回収」を指示するべきだった。

2年余り放置されていたということは、そうした行動が取られなかったのだろう。これが第2の誤りだ。

そして金融検査で発覚する。検査官が「暴力団融資のリストを出しなさい」と迫ったらしい。というのは、一件当たり50万円程度の中古車ローンなど何万件もある。この中から暴力団融資を探し出すことなど優秀な検査官でも難しい。しかし検査官に「隠している暴力団融資のリストがありますよ」と情報が入ったとしたらどうだろう。

「ありません」とウソを言って、見つかったら大変なことになる。「隠すものではないので、求めに応じて提出した」とみずほ銀行ではいう。この時、みずほは「提携ローンという特殊な形態で起きてしまった。銀行員が直接取引したわけではない。オリコの責任で返済することになっているので問題ではない」と言い訳した。そして検査官に頭取が「情報が担当役員で止まっていたので」とウソの報告をした。第3の誤りは、決定的だった。

◆最高責任者の経営責任が問われる過ち

金融庁までだましたのである。トップが知っていた、と分かれば重い処分を受ける。担当役員の責任にしておけば、という苦肉の策が後で命取りになる。

検査対応は企画部の責任だ。「銀行の一部で隠され、担当止まりで気付かなかった」というウソの筋書きを書いたのはだれか知らないが、頭取の責任はなんとか回避した。

検査終了時、検査官が役員全員を前に口頭で問題点を指摘する講評で、暴力団融資が問題にされた。本来ならここできちんと対応策を考えるべきだった。だが、みずほは、検査を乗りきったことでほっとした。銀行上層部の頭にあったことは7月1日に迫った新生みずほ銀行の発足である。佐藤頭取が就任し、みずほの興銀支配が鮮明になっていた。

そんな中で6月中旬、金融庁から「報告書」の提出命令が来た。検査部から検査結果を受け取った監督局銀行1課が、業務改善命令を出すための事実確認を求めたものだった。ここでまたウソの上塗りがなされた。佐藤頭取の責任で、虚偽の報告書が出された。

佐藤頭取は「担当常務止まり」をウソだと知っていたのか。それとも分からなかったのか。自ら出席した取締役会など4度の会議で報告文書は配られていて。一部の役員が隠していた、ということでないことは明らかだ。

仮に気付かなかったとしても3月に報告を受けた時に、「なぜ情報が役員で止まっていたのか」と担当者に聞けばウソが分かったはずだ。最高責任者がしかるべき処置を取らなかったことが第4の過ち。経営責任が問われる誤りだ。その結果、佐藤頭取の名で金融庁にウソの報告をすることになる。

◆小さなウソが信用を失墜させる大事件に

そして9月、業務改善命令を受ける。今度はメディアに対してウソをついた。何も知らないみずほグループの従業員や取引先、株主にウソをついたことになる。

公表された途端、ウソは簡単にばれた。誰かが書いたウソのシナリオにそって関係者の口裏を合わせる作業がなされていなかった。「常務に責任を負わすなら、銀行のために罪を背負ってくれ、と誰かが言い含めなければならない。それをしていなかった」と関係者はいう。

銀行の役員までなって、いわれもないことで晩節を汚すのは、誰もが抵抗がある。そこを言い含めるにはそれなりの覚悟と、見返りを用意しなければならない。

3行が相争うみずほは疑心暗鬼の銀行だ。出身母体が違う頭取を守るために自分が犠牲になるようなお人よしはいない。頼むに頼めず、無理な「お願い」をすれば情報が抜け、金融庁に届くかもしれない。

口裏合わせができないまま、ウソだけが広がりメディアの取材でほころびが出る。一角が崩れると歴代頭取がなぎ倒される、という大災害に発展した。

小さなウソが、複雑な内部事情と上層部の保身によって「みずほはもう駄目だね」という信用を失墜させる大事件になった。

立ち止まって考える機会は何度もあった。「これはおかしいですよ」と言う勇気ある行員が一人でもいれば、こんなおおごとにならなかった。

現実の銀行に、半沢直樹はいない。

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