п»ї 民主主義ってなんだ? 壊れた日本の統治システム 『山田厚史の地球は丸くない』第115回 | ニュース屋台村

民主主義ってなんだ? 壊れた日本の統治システム
『山田厚史の地球は丸くない』第115回

4月 27日 2018年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「いつまでモリカケをやっているんだ」

「朝鮮半島や中東紛争、世界にはもっと大きな問題がある」

そんな声をあちこちで聞く。たかだか8億円の値引きではないか。獣医学部が一つできることになんでこんな大騒ぎを続けるのか。8億円も獣医学部も国政全体から見ると些細な出来事である。私もそう思う。

だが悩ましい。問題は「事案の規模」ではないからだ。

◆問われる「日本国のガバナンス」

「8億円」や「獣医学部」は、ことの本質ではない。モリカケの肝は、政治や行政の在り方、言葉を換えれば「日本国のガバナンス」が問われている。

疑われてるその①、「権力者のわがまま」で行政が「歪められている」。新設は認められていない獣医学部が、「総理のご意向」で特定の学校法人に認められたという疑念を持たれている。首相夫人が乗り出せば、役所は背後の権力を忖度(そんたく)して特段の優遇をしたのではないか。

疑われているその②、政府のワーキンググループとか審議会は「儀式」でしかない。結論は先に決まっていて、役所による制度設計や選定作業は、あらかじめある結論に議論を収れんさせる茶番でしかない。こんなもののために大勢の役人を雇い、税金を使っている。

疑われているその③、国会は機能していない。首相に都合が悪いことが起こると与党はかばう。過半数の議席がある党が与党になり首相を選ぶから、与党と首相は「お仲間」で、すなわち国会は行政府をチェックしない。

「膿(うみ)を出す」「真相解明に全力を挙げる」という意味のない掛け声だけが空しく響く。

① ②③を合わせると、この国では民主主義は機能していない、ということだ。

◆司法も機能していない

さらに加えれば、司法も機能していない。安保法制を見直す作業が始まった時、安倍首相は、内閣法制局長官の首をすげ替えた。集団的安全保障は憲法違反とされてきた内閣の憲法解釈を、長官を交代させることで「合憲」にしてしまった。

こうした憲法解釈を最高裁は黙認している。森友疑惑でも、大阪地検は告発を受けて捜査を開始したが、近く「不起訴」の結論が出る、といわれている。検察は首相官邸に人事を握られ、権力に都合の悪い案件には手を出さないサラリーマンになったのではないか。決裁文書の改ざんや、財務省が森友学園に口裏合わせを頼んだことがメディアに報じられたのは「事件をうやむやにする上層部に不満を持つ検察内部からのリーク」と多くの国民は疑っている。

事件は「たかだか8億円」「獣医学部の新設」かもしれないが、裏には空洞化されていく日本の民主主義がある。

「ちっぽけな事件なんかもういいじゃないか」と国民が飽きてしまったら、空洞はさらに大きくなるだろう。

モリカケ疑惑だけでない。自衛隊の「日報隠蔽(いんぺい)」や、厚生労働省の「データねつ造」も同根だ。ルールはあっても上層部、あるいは権力者の意向を忖度する者の都合で、平然と無視される。ルールを破るための悪智恵を現場の役人は求められる。そうでないと出世できない。

◆バレたらシラを切る

バレなければいい。バレても知らぬふりをする。証拠が出てきても「そんな証拠は疑わしい」と主張する。典型がセクハラ財務次官の言動である。

財務官僚は日本のベスト・アンド・ブライテストがつく仕事ではなかったか。小中高をトップクラスの成績で勝ち抜き、東大法学部などに進んで上級公務員試験に合格し、国家のかじ取りを目指す人たちが集まった。日本の学歴社会の最上層部が財務省ではなかったか。そのトップが、女性記者を飲み屋に呼び出してセクハラ発言を繰り返した。

露見してもそんな事実はないといい、セクハラを受けたとされる女性記者が所属するテレビ朝日が記者会見で公表すると「会話全体をみればセクハラでないことが分かる」と逃げ、財務大臣は「ハメられたという見方もある」とこれをかばい、次官は処分される前に辞任を願い出て、内閣は認めた。

好き放題をして、バレたらシラを切る。決して認めない。人々が忘れるまでトボケまくる。首相官邸がそうなら、役所の事務次官も同じだ。この国の上層部は丸ごとおかしくなっているのではないか。

「たった8億円」「たかだか獣医学部」「よくあるセクハラ」という「小さな事件」の裏に広がる統治システムの崩壊が日本社会に何をもたらすか。想像力が決定的に欠如している今の政治こそが日本の大問題なのだ。

◆どん詰まり「お任せ民主主義」

日本人の好きな「坂の上の雲」。頂上に続くか細い一本道があったころは、足元さえ見ていればよかった。先進国の制度や技術を取り入れ、ひたすら努力することが進歩と発展につながった。

学歴が高い者が役人になり、私心を捨て国家のかじ取りをする。政治が三流でも、官僚がしっかりしていれば「坂の上の雲」を目指すとこができた。

高度成長の坂を上り切り、雲に覆われた山頂に足を踏み入れ、驕(おご)りが芽生え、進むべき道も見えなくなった。

金融・財政の両方で失敗した大蔵省(当時)は「接待汚職」が発覚し、官僚主導の時代は終わる。政治主導が叫ばれるが、国を率いる志を持ちあわせた人材は政界にどれだけいるのか。気がつけば二世・三世が政界でボス化している。

リーダーとしての試練を受けないまま、限られた交際範囲の中で、ちやほやされた二世・三世は、社会人に必要な教養を身につけないまま権力を握った。

政治主導をいいことに「教養のないリーダー」の威を借りて悪だくみに利用する輩(やから)が横行しているのではないか。与党でチェックできず、国会も機能せず、司法も働かない。タイやフリピンで起きている事態は決して他人事ではない。アジアの諸国は、腐敗する政治と戦った国民の歴史がある。日本はそれすらない。

どん詰まりに来た「お任せ民主主義」に、国民は、どう反応するか。いま問われているのは、有権者の成熟度だろう。

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