肌で感じた観光大国スペイン
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第77回

9月 09日 2016年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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 バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住18年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

この8月に私達夫婦はイタリア、スペインに出かけたが、スペインではマドリード、バルセロナに1週間滞在した(イタリア旅行については「ニュース屋台村」2016年8月26日号の第76回をご参照ください)。私にとって実に30年ぶりのスペイン訪問である。マドリードでは「ニュース屋台村」の執筆陣になってもらっている経済協力開発機構(OECD)次長の玉木林太郎君と奥様のナタリヤさんがわざわざパリから駆けつけてきてくれ、私達にとって大変楽しく有意義な旅行となった。

◆観光地としてそなわる3要件

ナタリヤさんは若い頃スペインに留学され、スペイン語にも堪能である。また玉木君もナタリヤさんもスペインの歴史、社会、文化に精通していることから多くのことを勉強させてもらった。

まず私にとって目から鱗(うろこ)であったのは、スペインがフランス、アメリカに次いで世界で3番目の観光大国であるという事実である。国連の専門機関である世界観光機関によると、スペインは人口4645万人に対し、観光客数は6821万人(15年)と、なんと人口の1.5倍の観光客を受け入れているのである。観光客数ナンバー1のフランスも、人口6632万人に対し8445万人の観光客を受け入れており、人口よりも多くの観光客を受け入れているという点は、この2カ国は極めて稀有(けう)な事例と言えよう。ちなみに私が現在住んでいるタイの観光客数は2988万人で世界11位、日本はこの数年順位を伸ばし1973万人で16位につけている。

ところがマスターカードが10年から発表している世界の都市別観光者数によると、15年の1位はロンドンで1882万人、2位がバンコクで1826万人、3位がパリの1606万人と続いている。その中でスペインではバルセロナが12位で763万人、マドリードは20位以内にも入っていない。

バンコクは13年に世界一の観光都市の座に輝いたが、15年もロンドンと世界一の座を競っている。しかしタイの場合、バンコクがタイの観光客のほぼ2/3を受け入れ、ロンドンについても英国向け観光客の半分以上を受け入れているという一都市集中型である。一方で観光大国に輝いているフランス、アメリカ、スペインは観光客が各都市、各地方に分散して向かっているのである。ちなみに15年のスペインの場合、バルセロナの所在するカタルニア州で1670万人、セビリアやグラナダなどの所在するアンダルシア州が940万人、マドリード州で810万人、カナリア諸島が900万人という実績のようである。

さて今回、私はマドリードとバルセロナの2都市を訪問したが、この2都市を見る限り、スペインは観光立国としての条件が良く整っていると私には感じられた。私がかねて日本の観光推進を語る際に言っていることだが、観光地として成り立つためには、以下の三つの要件を取りそろえる必要がある。

①観光できる場所(景勝地、歴史的建造物、美術館など)

②特色のある食べ物

③買い物が出来る場所(高級品ならびに友人に買っていく土産物)

スペインにはこうしたものがふんだんにあった。

◆スペインの歴史を知る

ここで少し日本ではあまり知られていないスペインの歴史をひも解いてみよう。スペインにはもともとの先住民であるイベリア人、ケルト人、バスク人などが住んでいたが、紀元前500年ごろにギリシア人が地中海沿岸部に植民都市を建設。その後ローマとカルタゴで行われた第2次ポエニ戦争の和平案として、紀元前202年に半島全体がローマの属州「ヒスパニア」となった。当時肥沃(ひよく)の土地であったスペインからは毛織物、オリーブオイル、ワインなどがローマに輸出されたようである。キリスト教は1世紀ごろ伝えられた。また現在のスペインの言語、宗教、法律などはほとんどこの時期が原型となっている。

紀元410年ごろゲルマン族がスペインに侵入し、418年西ゴート王国がヒスパニア全域を支配する。この西ゴート王国はカトリック教を国教として以後スペインの主流はカトリックとなる。

ところが8世紀初頭、北アフリカからイスラム勢力であるウマイヤ朝が侵入し、11世紀までスペインを支配する。シリアのダマスカスが首都のウマイヤ朝は当時文明が高く、新たな農業知識と農産物を得たスペインはヨーロッパでも最も豊かな地域となった。

11世紀に入るとスペインにおけるウマイヤ王朝が滅び、主に北部に位置するキリスト教勢力と南部のイスラム教勢力が対立。徐々に戦況はキリスト教勢力に有利となってくる。1469年イザベル女王とフェルナンド国王の結婚によりカスティーリャ王国(マドリード近郊のトレドを中心とした国)とアラゴン王国(マドリードとバルセロナの中間にあるサラゴサを中心とした国)が併合。その後スペイン南部を征服し1492年、キリスト教勢力によるスペイン統合が実現する。くしくもこの年イザベル女王によって資金援助を受けたコロンブスがアメリカ大陸を発見している。

16世紀前半にスペインは、アステカ文明、マヤ文明、インカ文明などを滅ぼすと、アメリカ大陸の先住民を奴隷として活用し金や銀を採掘させ、ヨーロッパに還流させた。これらの財宝を資金源としてハプスブルグ統治下のスペインは世界の覇権を手にした。しかし当時強大化しつつあったイスラム勢力のオスマン帝国との戦争や、プロテスタントとの宗教戦争の泥沼化によりスペインの体力は徐々に消耗(しょうもう)、1640年にポルトガル、1648年にはオランダが独立。対外的にもフランス共和国との戦争やイギリスとの戦争などに次々に敗れ、1808年にはナポレオンによりフランスの傀儡(かいらい)政権が成立してしまう。

この時スペイン独立戦争が起こるが、ナポレオンのロシアでの敗走により、1814年スペインは独立。ところがその後100年にわたりスペインの内政は混乱をきわめる。このためスペインは産業革命にも乗り遅れ、経済的にも低迷する。特に1936年、選挙により左派連合の政権が樹立されると、ナチス・ドイツやイタリアの支援を受けたフランシスコ・フランコ将軍による軍部が反乱を起こしスペイン内戦がぼっ発、最終的にフランコ将軍が勝利する。

1939年から75年まではフランコ将軍による独裁政治となったが、ファシズム体制下のスペインは政治的、経済的にも孤立。地方文化や地方言語への弾圧を行った結果、各地方の独立運動が蜂起した。1975年フランコ将軍の死によりファン・カルロス国王が王座についたが、カルロス国王は1978年憲法を制定し民主化を達成。1982年に北大西洋条約機構(NATO)、1986年には欧州共同体(EC)に加入。1992年にはバルセロナ・オリンピックを開催。近年になり欧州連合(EU)の統合とユーロ通貨の切り替えとともにスペインの経済発展が急激に進んできているが、一方で貿易赤字に伴う対外借入問題と若年層の失業が深刻な問題となっている。

◆豊富な観光資源

ここまで長々とスペインの歴史について書いてきたが、スペインの観光資源について語る時、スペインの歴史を知らないとその価値が半減するというのが今回の旅行の教訓であった。

私が今回のスペイン旅行で最初に訪れたのはマドリードだが、マドリードがスペインの首都となったのは1561年のことであり、トレドやバルセロナ、グラナダ、コルドバなどスペインの各都市と比べると歴史は浅く、市庁舎や教会などの歴史的建造物は近代からのものとなる。

しかしながらマドリードにはグレコ、ベラスケス、ゴヤなどの作品がある「プラド美術館」、ピカソの「ゲルニカ」が展示されている「ソフィア王妃美術センター」、中世から現代美術まで豊富な作品群を誇る「ティッセン=ボルミネッサ美術館」があり、これらの美術館をゆっくり回るだけで1週間は必要である。

まずはエル・グレコからである。1541年当時地中海随一の勢力を誇ったベネチアの支配下にあったクレタ島(現在はギリシャ領)に生まれたグレコはビザンチン美術とベネチア・ルネサンスの双方の技術を修得。しかしイタリアで大成すること無く、当時経済的に最も栄えていたスペインに移り住んだ。グレコはトレドを本拠として多くの宗教画を描いたが、その過激な性格と斬新な画風から発注者である教会などと度々衝突し、金銭問題で争ったようである。プラド美術館だけでなくトレドの街にも多くの作品が残っており、その異彩を放った画は私たちを魅了する。

1620年ごろから国王フェリペ4世の庇護(ひご)のもと宮廷画家として活躍したディエゴ・ベラスケスもすばらしい。大胆な筆使いながら見事に光を表現している。プラド美術館にあるフランシスコ・デ・ゴヤの絵画を時代別に見てくると、彼の生涯と時代背景が見えてくる。1808年から始まるナポレオンに対する独立戦争の絵画やその後に書かれた「黒い絵」と呼ばれるシリーズを見ると、人間の存在そのものを問うゴヤの問題意識が直接我々に訴えかけてくる。

「ソフィア王妃美術センター」にあるパプロ・ピカソの代表作「ゲルニカ」はスペイン内戦当時の1937年に描かれたものである。そのテーマはナチス・ドイツ軍により都市無差別爆撃を受けたゲルニカの街の悲惨な光景である。このようにいずれの絵画も歴史を知っているとその絵画の意味が更に理解出来る。

玉木夫妻に連れて行ってもらったトレドの街も同様だ。ローマ時代から植民都市となり、560年にはキリスト教の西ゴート王国の首都。711年イスラム勢力のウマイヤ朝に征服されるとイスラム文化が流入した。1085年には再びキリスト教勢力であるカスティーリャ王国によってトレドが奪還されると、トレドは一時期スペインの首都となりスペインの繁栄を謳歌(おうか)した。

トレドは旧市街全域がユネスコの世界遺産になっており、街並みも素晴らしいが、1493年に完成したトレド大聖堂はとても素晴らしい。この教会はゴシック様式に分類されているが、細部にわたってイスラム様式も採用されており、他のヨーロッパ諸国では見られない建築物となっている。特に楕円形のアーチなど重力の逃がし方が単純なローマ様式と異なり当時のイスラム文化の程度の高さがわかるものである。

この他、バルセロナにはいわずと知れたガウディの建築群がある。直線を避けた彼の建造物は独特の雰囲気を醸し出している。サグラダ・ファミリアなど多くの解説書がでており、私が語るまでもない。

◆多彩な料理とワイン

次はいよいよスペインの食べ物についてである。まずびっくりしたのは、スペイン人が1日5回食事をするという事実である。起きがけに食べる朝食、午前11時ごろタパス(おつまみ)をつまむ軽食、午後2時ごろに1日のメインの食事である昼食、午後6時ごろまたタパスをつまむ夕方の軽食、午後9時ごろサラダやスープなどを食べる夕食、以上の5回である。

30年前にマドリードに出張に来た時、当時の東海銀行マドリード駐在員事務所長から「マドリードのレストランが夜8時半からしか開かない」と聞いてびっくりしたことを良く覚えている。現在は観光業を生業(なりわい)とするため四六時中レストランもバル(居酒屋)も開いており、いつもお客が入っている。

私たちが玉木夫妻に連れられて特に楽しんだのがこのバルである。マドリードには何と単品だけのタパス(おつまみ)を出す店が幾つもあり、マッシュルームの鉄板焼、ムール貝の蒸し煮、スペインオムレツなど各店でこうしたつまみをビールもしくはワインを飲みながら何軒もはしごをする。この他にもスペイン唐辛子のオリーブ炒めやエビのアヒージョ、たこフライ、牛の胃などを煮込んだカジョスなど日本で食べたことのない食べ物のオンパレードである。

もちろん、イベリコハムやチョリソーなどもおいしいが、レストランによって味が異なる。オリーブだって味が違う。玉木君が「この店のオリーブは新鮮でおいしい」とか「この店は塩が効きすぎている」などと言っているのを聞いて、恥ずかしながら初めてオリーブの味の違いに気がついた。オリーブの実そのものの品質、味付けの方法、味付け期間などによって店ごとに味が違うのだそうだ。

スペインで最も有名な料理であるパエリアだってそうだ。元々米どころであったバレンシア地方の料理であったが、スペイン各地に伝わり具材や味付けなど独自の発展を遂げている。最近では食品加工業者のもとでパエリアを8割方作り、レストランでは温めるだけという店も多いようである。玉木君夫妻はこうした店を避け、一からパエリアを作ってくれる店を探し出して私たちを案内してくれた。

こうした食べ物だけでなく、これに合わせる飲み物がまた難解である。スペインは世界で一番ワインの作付面積が大きいといわれる。産地やブドウの品種、もちろんワイナリーやビンテージ(年)によってワインの味が変わってくる。これはもう私のお手上げの世界である。幸いなことに私たちには玉木君という強い味方がいる。彼に任せておけば間違いはない。それにしても人生の達人である玉木夫妻に同行をお願いしたのは正解であった。

◆「スペイン人は怠け者」のイメージ払しょく

お土産品は観光の重要な要素だが、これはもうスペインでは簡単な話である。食べ物関連ではワイン、オリーブオイル、生ハム、パエリアの素、スペインの塩など幾らでもある。美術館や教会などにはそれらをモチーフにした絵葉書、ランチョンマット、しおり、ホルダー、スカーフなどこれも沢山ある。またこうした物以外にも、高級人形メーカー「リヤドロ」に代表されるスペイン人形やサッカー大国スペインのチームグッズ(Tシャツなど)がある。

ちなみに玉木君は大手デパートに併設されている食品売り場でスペイン唐辛子を4袋買いしめて帰った。何と玉木家は定期的にスペインに買い出しに来て、スペインの食材やワインを大量に買って帰るのだそうである。美食の国フランスからわざわざスペインにまで食材を買いにくるとは「スペイン恐るべし」である。

こうして見てくると、スペインは観光を成り立たせる三つの要素が地方ごとにそろっていることがわかる。更に今回の旅行でびっくりしたことが幾つかある。30年前にマドリードを訪問した時はタクシーはもちろん、ホテルですら英語があまり通じなかった。ところが今回スペインを訪問して、ホテル、レストラン、デパート、土産物屋、タクシーなどどこでも英語が通じるのである。

まさに観光によって鍛えられたスペイン人の英語である。またスペイン人のメリハリのある勤勉さもびっくりしたことの一つである。ホテルのボーイやレストランのウエーターなどが極めて手際よく働く。スペイン人に怠け者のイメージを重ねていた私は猛烈に反省した。現にマドリードからバルセロナまで利用した高速鉄道は最高時速300キロで安定感を持って走っており、バルセロナ到着は定刻通りであった。なんとスペインの高速鉄道は30分遅れれば料金を100%払い戻すということである。

今回スペインを旅行して、多くの新しい発見が出来た。やはり「百聞は一見にしかず」である。玉木ご夫妻に大いに感謝したい。それとともに、観光大国スペインを目の当たりにして、日本の観光の在り方について再度考えさせられた。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』関連記事は以下の通り

食事の流儀(イタリア編)(2016年8月26日号)
http://www.newsyataimura.com/?p=5812

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