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重ねる対話、治療共同体の動き方-退院促す精神医療(4)
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第123回

1月 09日 2018年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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一般財団法人福祉教育支援協会専務理事・上席研究員(就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括・ケアメディア推進プロジェクト代表)。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。

のぞえ診療総合病院(福岡県久留米市)は長期入院を主体とした前身の病院の体質から短期型の病院に変貌した。精神科病院の理想像を求め、確立してきた施設、ハードやソフトがあり、医師やスタッフが作り上げてきた文化がある。「全資源を治療のために」を掲げて歩んできた堀川公平院長とやわらかな対話を行い、「のぞえの文化」について聞いた。

▼メニンガーが原点

――病院づくりの原点は米国のメニンガー・クリニックですね。

堀川院長 僕は精神科医療をやりたい、特に精神科病院をやりたいと思っていたから、「良い」と言われるいろいろな病院にあちこち行ったけど、全然「ぴたっ」とくるものがなかった。何か違っていた。「こんなところに僕はいたくないな」っていうような感じ。一生懸命勉強するうちにメニンガー・クリニックに出会った。論文で読んでいたけど、本当の姿は知らないから、行くまでに(心に)抵抗があった。そしたら、行ってみたら、あったわけだよ。探していたものが、そこにあったわけ。「あったー」という感じ。幸せだね。それまで幸せじゃなかったけど、そういうことってあるんだね、と思う。

――日本でメニンガー方式をやることは大変だったのではないでしょうか。

堀川院長 その時々、しんどいと思ったことはあるけど、振り返ると、しんどい部分と喜びの部分が表裏みたいでね、しんどさもいろいろなことをするエネルギーになったような気がする。改革の初めはスタッフがどんどんやめていって、しんどかったけども、来てくれたスタッフもいたりしてね、それが不思議だね

――対話のゆるぎない姿勢のベースは何でしょうか。一般的に管理型のほうが楽な運営ができます。

堀川院長 (管理がよいとは)思わないんだよ、僕は。そこが違うと思う。管理するのが楽だったら、たくさんの日本の病院を見て、「あれが違う」「これが違う」と思わないし、僕もそこに行き着いていた。ただ、行き着いているというのは先に進めないわけだから、僕はそこにいたくなかったんだろうね。

▼僕はADHD

――管理に対抗する原体験・原風景は何でしょうか。

堀川院長 幼い頃のいろんなことだと思う。僕はどちらかと言えば今でいうASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群)的なところもあったし、小学校の時にはADHD(注意欠陥・多動性障害)だった。小さい時は言葉が遅れていて、おふくろに「あなた、何でもいいから言葉をちゃんとしゃべらなければだめよ」と言われたのを覚えている。霧の中にいるような、霧の中に包まれたような感じだったのが、小学校3年の時にみんなでボールで遊んでいた時に鉄棒に頭をがんとぶつけて、気づいたら病院にいて、親が優しくしてくれたので、調子に乗っちゃって、ADHDになっちゃった(笑)。

――どんなふうに調子にのったのでしょうか。

堀川院長 有頂天になっちゃったんだね。忘れ物をするのだけど、それも忘れ物をしたかったんだね。先生が何か言うとすぐに答えたりしていて、「お前は落ち着かないから、ベランダに行け」と言われて、ベランダに僕だけ机置かされて勉強していたよ。ベランダの窓から「はい」って手を挙げてね。だけどね、僕の感覚では疎外されたとは思わないの。特別に扱ってもらったって。その頃は放浪癖があるとも言われていた。やっぱりそういうものがずっとあったんだろうね。うちの親父も精神科医だし、うちにお手伝いさんも統合失調症の、ぶつぶつ言っているような人もいたし、その人にお世話をしてもらったりして、そういうことがベースにあると思う。だから、自分の中で精神科医になりたいというのが、いつも気になるようなことがあったような気がする。

▼コミュニケーションが幸せ

――(病院内の院長室横のベランダにある多種多様な植物を見ながら)この植生は趣味ですか

堀川院長 そうだね、好きだね。好きだけじゃない、僕は、こういうものは僕だけが楽しめるわけじゃないじゃない、みんなが楽しめるでしょ、それがまた楽しい。こっそり自分の部屋に置いてというようなことじゃなくてね、みんなで共有したいという思いがある。

――先生が幸せに感じる時間はどんな時ですか

堀川院長 幸せというのは、今日のように社会復帰フォーラム(同日に病院内で開催された院長を中心に患者と社会復帰について話し合う対話イベント)で「あんたよくなったね」と言っている時とか、変化しているのが見える時かな。うち(同病院)は見えるようにしている、分かりやすいように、と考えている。多くの病院はよくなっているのが見えにくくなっているのではないかな。患者が自分の言葉で話す練習もしていないけど、ここ(同病院)はいつも(対話を)やっているから、いろんなこと表現してくれる。こちらが何らかのものを与えて共有したものをフィードバックしてくれるし、こっちもフィードバックするし、そのコミュニケーションがずっとあることが幸せのような気がするね。

▼くたびれて帰ってきてもいい

――日本の精神医療は先生の方向にいきますか。

堀川院長 こういうやり方かどうかは別にしても、医療は医療でしかないわけで、こういう危機介入的な短期で入院して、そして社会に返していく、ということは間違いないと思う。

――しかし社会が変わらなければまた戻ってくることになります。

堀川院長 それは例えば、僕らも毎日家に戻っていくように、あっていいんじゃない。僕らは分からなかったけど、統合失調症の人にとっては地域で生活するのは大変なこと、いろんなことが、僕らが当たり前のことが、少々人を傷つけながら、生きていける僕たちとちょっと違うところがあってね、そういう人たちが何か月か1年もすればくたびれて、その時にほっとできる場所があるのは、僕はいいと思う。もちろん病院でなくてもよいかもしれない。だけども、そういう場所は重要だと思う。僕は病院づくりから街づくりへという論文も書いているけど、そういうものだと思う。病院を変えるということは、町を変えるということなんだよね。僕は地域に対して被害的な考えだったけども、そうじゃないって気づかせてくれたしね。それは面白いね。気づかせてくれるんだからね。被害的になっているときは受け入れられていない、と思うんだよね。

■堀川公平(ほりかわ・こうへい)

医療法人コミュニテ風と虹理事長、のぞえ総合心療病院院長。福岡県久留米市生まれ。1976年東京慈恵会医科大学卒業。1983年医学博士、1988年に米国メニンガー・クリニック留学。1994年医療法人光生会野添病院理事長。2005年に法人名を現在の名前に改称。

※『ジャーナリスティックなやさしい未来』過去の関連記事は以下の通り

第115回 相模原事件を考え、学び、語らうことを続けたい
https://www.newsyataimura.com/?p=6821

第120回 重ねる対話、治療共同体の動き方―退院促す精神医療(1)
https://www.newsyataimura.com/?p=7074#more-7074

第121回 重ねる対話、治療共同体の動き方-退院促す精神医療(2)
https://www.newsyataimura.com/?p=7102#more-7102

第123回 重ねる対話、治療共同体の動き方-退院促す精神医療(3)
https://www.newsyataimura.com/?p=7117#more-7117

精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/

■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link

■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/

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