п»ї 響かない政治の言葉、姑息なリーダーの説明『ジャーナリスティックなやさしい未来』第53回 | ニュース屋台村

響かない政治の言葉、姑息なリーダーの説明
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第53回

7月 24日 2015年 社会

LINEで送る
Pocket

引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆命から遠い言葉

安倍晋三首相の言葉が受け入れられない。死者を出す可能性がある戦いを想定している議論の中で、命を語るには、あまりにも軽く、凄みもないし、覚悟も感じられない。ただ「命」からかい離した国家観ゆえの信条にとらわれた、国家を「おもちゃ箱」のようにして、もて遊んでいるように思える。勿論本人は「私は真剣だ」と反論するだろう。ただ真剣になればなるほど、その真剣の深さが問われるが、結局かの人の世界観は、人の命を語れるほどの信頼を得ていない。

政治家経験の中で政治のコンテクストにおいては、政局の運営や政策が混乱する中での解答へ導く方程式を学んだかもしれない。しかし命は政治のコンテクストでは語ってはいけない。命をめぐる議論では、文学的なコンテクストを交えて語るべきだと私は考えるが、人文系学部の廃止などを国立大学に求めている政権では、その「文学的」発想を排除しているのかもしれない。言い換えれば、受け入れられないのは、命を無機質に議論している恐ろしさへの反発でもある。

同時に安倍首相を支持する人も少なくはない事実もある。これが今の私たちの国、社会の様相。経済の活性化が生活を豊かにし、経済的に豊かなことが幸せ、もしくは幸せの前提だと考える人も多く、そんな人の支持が多いのも安倍政権の特徴であり、安倍首相によるイメージ戦略の勝利である。それを認めたうえで、「座標軸」について考えたい。

◆座標軸上の戦い

この経済優先の思想は、座標軸に、人やモノを置き、縦軸と横軸の評価基準により、それらの位置から、それらの「価値」を概して相対評価するものである。成長が少なければ成長方向を示され、目標値を否応なく数値で出されるから、自然とそれは「強要」となり、停滞は許されない状況に追い込まれてしまう。それはGDPで常にプラス成長を求められている私たちの国のように、息苦しく、何とも気の毒である。座標軸は、横軸を左が過去、真ん中に現在を置き、右が未来とし、縦軸を上下で良し悪しであるとか、高い低い、会社の売上、営業成績、テストの点数、を置いてみる。世の中には評価があり、上下があり、格付けがある、と考えてしまうと簡単だが、それは本当に必要だろうか。

この問いかけもないまま、疲弊してしまった人と接する時、立ち止まって考えてみる。あまりにもすべてを座標軸上にのせすぎではないだろうか、と。

座標軸にのせられた私たちは競争させられ、国際競争力という貨幣獲得ゲームの一員として踊らされている。安保論議で言えば、その議論が、安全保障という国際貢献ゲームの中で命を差し出す賭け事のようにも見えるから、それは為政者の思想として通底していると思ってしまう。

その座標軸が、うつ病患者や年間約2万7000人の自殺者を発生(内閣府調査)させ、約300万人の精神疾患患者がいる(厚生労働省調査)社会の原因でもあると強く指摘したいが、それは別の機会に展開するとして、今回はこの国のリーダーの話。この座標軸の上に国民や社会グループ、社会の「勢力」を置いて、敵か味方か、反対するか賛成するか、儲けるか損するか、共感するか拒絶するか、二分論で「あっちとこっち」に分けた論法が今のリーダーの言葉である。

真二つに分けられるメンタリティーで話すから、時折、それは明快に聞こえ、受けがよい。二分論では世の中を語れないと知っている賢者は、その言葉を相手にするのさえ嫌になってしまう。リーダーの二分論で勢いづくのは民主党批判である。今となっては支持率10%未満(朝日新聞の世論調査=7月初め)の弱いものへの、ダメ押しに過ぎないのだが。

◆低レベル議論

「我々は国民の生命と幸せな暮らしを守る責任があるわけです。大きく変化する安全保障状況に目をそらすわけにはいかない。(民主党衆院議員)長妻さんにそれはないかもしれませんが」(6月27日の国会答弁)。

国会は議論の場であり、相手を貶める場所ではない。しかし、この答弁では前半部分だけを答弁すればよいものの、なぜか後半を言ってしまうところが、醜い。リーダー自らが、理解を求め、共有化を最優先する姿勢ではなく、論破するか、されるかの低レベルの戦いを演じている。これが安倍首相の政治コンテクストであろう。本来ならば、国家への愛情を答弁で詳らかに告白し、国際貢献と兵士派遣と、その命のリスクを文学的コンテクストで話した方がすっきりする。

賛同するかしないかは別として、もしそれが通用しないのならば、その法案は社会にとって不要なものなのだ。「命」の本質を語らず、命へのリスクを姑息に隠しているから、彼の言葉は響かない。結局空疎な言葉は、嘘だから、受け入れられもしないのである。

コメント

コメントを残す