п»ї 「坊ちゃん首相」はなぜ傲慢になったのか『山田厚史の地球は丸くない』第48回 | ニュース屋台村

「坊ちゃん首相」はなぜ傲慢になったのか
『山田厚史の地球は丸くない』第48回

6月 12日 2015年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

国会が「朝まで生テレビ」みたいになってきた。主役が首相だ。衆議院予算委員会で質問している議員に「日教組、日教組!」とヤジり、大島理森委員長にたしなめられたが反省はない。「早く質問しろよ」に至っては、本性むきだしの一場面だった。

痛いところを突かれると不機嫌になる。立場の弱い相手を小バカにする。女性を上から目線で見る。興奮して我を忘れると地金が出てしまうのか。

◆「見識と経験」を欠く

ヤジの矛先は辻本清美議員(民主)だった。「女性が輝く社会に」などと日頃言っている首相が、パワハラ親父のようだった。

政権復帰して2年半、第1次安倍内閣を含めると首相在位は1250日を超え、祖父の岸信介元首相(1241日)をしのいだ。野党弱体化、党内敵なし。「ひ弱な坊ちゃん」は「尊大な権力者」になったのだろうか。

首相の叔父にあたる西村正雄氏(故人、日本興業銀行元頭取)はこんなことを言っていた。「晋三君はまだ首相になるには早い。もう少し勉強してからのほうがいいのだが」

小泉内閣で官房長官を経験したが主要閣僚の経験はない。政策を学ぶ機会も権力闘争の修羅場も経験することなく、首相になった。

田中角栄元首相は幹事長3点、蔵相2点など党務・閣僚に点数をつけ「宰相になるには10点必要だ」と言っていたという。国政のリーダーには見識と経験が必要ということである。

祖父・父の七光りと反中・嫌韓の右翼バネに頼って首相になった安倍さんに欠けているのは「見識と経験」だろう。

首相になった頃、出入りする官僚はこう言っていた「安倍さんは、聞いた話を鵜(う)呑(の)みにしてくれる。ありがたいが、次に別の意見を聞くと、上書きされてしまう」

行政に精通する官僚からみれば「わかっていないな」と思うだろうが、新聞記者をしてきたわが身を振り返ると、安倍さんの苦労は分かる気がする。

新米で大蔵省を担当させられた時の戸惑いは今も忘れない。先輩記者2人が主計局、主税局をカバーし、私は「雑局担当」だった。理財局、銀行局、証券局、国際金融局、関税局などだ。国債管理から銀行証券の不祥事、企業会計、為替管理、国際会議など、何も知らない分野を1人で担当する。出来るわけないだろ、と叫びたくなるほどだった。

それでも記事を書かなければならない。役人が早口でしゃべる発表は、聞いているだけでは分からない。終わった後、担当者を追っかけて聞いた。内容を理解するため分からないことを聞く。四苦八苦しているうちに、この人の言うことは分かりやすい、親切に教えてくれる、という人が1人2人と見つかる。恥も外聞もなく、そうした人を頼り、教えてもらう。今日の仕事をこなすため教えてくれる人に頼った。

◆「分かったつもり」の段階に入った

首相の仕事は、記者など比較にならない膨大な知識が求められる。日頃の仕事は役人に任せても、国会答弁はしくじれば責任問題だ。どう答えればいいのか。かわるがわる訪れる役人の進講を素直に聞く。じっくり考える時間はない。詰め込むしかない。初期の安倍さんが「鵜呑み」といわれたのはそんな状況だったと思う。

記者は、持ち場を1年も経験すると役所用語にも慣れ、役人と会話できるようになる。「お願い、教えて」から「この点はどうなんですか」などと切り返す質問ができるようなり、自信なげに取材していた頃がウソのように、分かった気分になる。記事にも主観や思いが滲(にじ)む。

安倍首相は、この段階に入ったのではないか。自分は分かっているつもりだから、意見が違うと「分かってないな」とイヤになる。「耳障りの悪い意見を聞きたがらない。意見する人を遠ざけるようになった」という声を聞く。鵜呑み・上書きだった首相が変貌(へんぼう)した。

記者は「分かったつもり」の時が危ない。耳学問で経験を積んでも、情報の入手先は役所や業界だ。取材先の思考回路と同調できるようになっただけだ。仲間内の狭い議論は、内輪で褒め合い、心地いい。外部から見れば突っ込みどころ満載だが、外からの批判は「分からん奴の議論」と切り捨てる。

役人は「付け焼刃」の記者を重宝がる。記者はそれを「評価された」と誤解する。今から思うと恥ずかしい話だ。大蔵省の論理を外から批判できるようになるのは、それから10年余り経ってからだった。

◆業界偏重・対米従属と同調回路

政権を投げ出して不遇だったころ、安倍晋三氏を囲んでいたのは、改憲を叫ぶ右翼と官界や学界からはみ出て日本では「異端」とされる人脈だった。

そこで注入されたのが、お札を刷りまくって国債を買い上げる金融の量的緩和だ。後に「アベノミクス」として看板政策なった。財政再建路線と異なり、財務省と不協和音が起きる。首相は財務官僚を遠ざけ、頼ったのは父晋太郎氏が大臣を務めた通商産業省(現経済産業省)・外務省人脈だ。両省の伝統芸である業界偏重・対米従属と同調回路ができた首相が、「分かったつもり」の発言を繰り返すようになった。

新米記者がお粗末な原稿を書いても、経験豊富なキャップやデスクが手を入れる。整理部など編集者が読者の立場で原稿を見る。部長や編集局長が全体の構造の中で論調を点検する。上司のチェックで「分かったつもり」の原稿は、そのまま読者のもとに届くことはない。

首相の判断をチェックする官僚は「下僕」である。「これ、違うんじゃない」と指摘できる立場ではない。余計なことを言えばクビが飛ぶ。慎重な役人は言葉を慎む。

記者なら「これはボツだ」で終わることも、権力者なら「ごもっともで」となる。諫言(かんげん)する者がなくなると、勘違いした政治家は傲慢(ごうまん)になる。

「見識と経験」はやはり大事だ。

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