п»ї 「無念」を伝える『ジャーナリスティックなやさしい未来』第11回 | ニュース屋台村

「無念」を伝える
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第11回

5月 02日 2014年 社会

LINEで送る
Pocket

引地達也(ひきち・たつや)

仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。

今回も全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ局「ミュージックバード」の「未来へのかけはし Voice from Tohoku」の放送分のうち、ちょうど東日本大震災から3年となる3月11日分の内容をお届けする。それは、「高台に逃げてください」の防災無線で避難を呼びかける声であまりにも有名になった宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さんの話。まずは、ラジオ放送の内容を紹介する。

◆亡き娘への手紙

本日お伝えするのは宮城県南三陸町の防災無線で最後まで避難を呼びかけ、犠牲となった町職員、遠藤未希さんのご両親、遠藤清喜さん、恵美子さんの未希さんに宛てた手紙です。冒頭で流れる気仙沼線の歌詞にも描きました未希さん。彼女を亡くしご両親は多大な苦悩とたたかってまいりました。この手紙は私が代読させていただきます。

 
【手紙】
未希へ
   突然の別れでまだあなたがいないあの家にとまどっています。それでもあなたの家族になり、親となり、24年という短い時間共に過ごせた事に感謝したい、本当にありがとう。あの大地震のゆれの中、よく声を出し放送を続けましたね。恐かっただろう、にげたかっただろうに、それでもあなたは冷静に避難を呼びつづけました。本当に御苦労さまでした。親として心に残るのはあなたを助けに行けなかった事です。あなたの声に後押しされた私たちも津波から逃げる事ができました。命をいただきました。

未希が見つかって家に入った瞬間、一直線の虹が自宅の前に出ました。やさしい、いつもにこにこしているあなたの笑顔のような虹色です。そして7月、出たこともない庭先にホタルが飛びました。未希かもしれないと毎晩のようにさがしました。そして、ふと防災庁舎へ足を運んだ時、西の空が黄金のように夕焼けがまぶしく光っていた事、ある日の夜には龍のような、真っ白い一直線の幅広い雲が泳いでいるような景色、いつも私たちは未希が姿を変えて私たちの目の前に現れてくれていると感じています。

悲しみは決して消えることはありません。季節ごとにあなたを思い、毎日その日を精いっぱい生きていく。私たちはこの悲しみや無念さを忘れない。そして、少しずつですが、こう思うようになりました。生き残った者にはそれぞれ必ずその役割がある。あなたが最後まで呼び続けた「高台に逃げてください」、その言葉をこれからのまた来るとされる大地震・大津波の際には誰もが避難をし、第一に命を考える防災である事を伝えて行こうと考えています。

未希、姿は見えなくても私たちの心の中にはずーっとあなたは生きています。
 
【エンディング】
   現在、母恵美子さんは、ご自身のストレスを解消するために学んだストレスケアを多くの方に施そうと無料で仮設住宅をまわっています。遠藤さんご両親と同じ気持ちで震災の風化を食い止めようとつくられた歌「気仙沼線」。活動は気仙沼線普及委員会のフェイスブックでご覧ください。
(以上放送内容終わり)

◆再生の物語へ

「高台に逃げてください」の声があまりにも衝撃的で、今回の震災の象徴的な存在となった遠藤未希さんに、当初はマスコミ報道も過熱し、両親も悩んだ時期があった。私もその当時は一人のボランティアとして両親と対話しながら、その思いを受け止め共有しようと努めてきた。そして3年を前にした母、恵美子さんは、その時期を乗り越え「伝える」ことの使命を強く感じてきたという。手紙にあるように悲しみは消えないだろう。しかし、生きる使命を見出すことで、人は再生する。これは再生の物語でもあり、私もお手伝いをし、そして、ほかにも伝えていこうと思う。

コメント

コメントを残す