п»ї 「震災での知的障がい者」を未来に生かせ『ジャーナリスティックなやさしい未来』第43回 | ニュース屋台村

「震災での知的障がい者」を未来に生かせ
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第43回

3月 27日 2015年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

 コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆初めての国際舞台

 仙台市で開催された国連世界防災会議のテーマ別セッション「多様性と災害対応~障がい者・LGBT・ジェンダー・外国人の視点から~」が3月16日、同市で行われ、宮城県気仙沼市本吉町の知的障がい者の母のグループ「本吉絆つながりたい」の小野寺明美さんが登壇し、災害における知的障がい者に関する問題と、その家族の苦悩などを語った。

「震災と障がい者」の問題は支援が行き届かない切実な問題だが、なかなかその問題を発信する機会がなく、小野寺さんも事あるごとに説明してきたが、今回は初めての国際舞台。このセッションでは、スピーカー5人のうち、小野寺さんが唯一の震災被害の当事者だった。

彼女の言葉が次に来る震災への備えとして、どう生かされ、市民の間でその思いを繋(つな)げていくのか。「本吉絆つながりたい」とは、私が震災直後から取り組んできた「小さな避難所と集落をまわるボランティア」、そして歌というメディアで風化防止策を展開する「気仙沼線普及委員会」を通じて連携し、切実な彼女らの訴えを広く伝えようとしてきた。それが、震災の教訓として明日来るかもしれないどこかの被害での誰かの命を救うと信じているから。私もその役割を担う未来に責任を持つ当事者として、今回の動きを大きな展開にしたいと考えている。

今回の小野寺さんの発表を、朝日新聞3月17日付は以下のように報じた。

別の集まりでは、大震災で被災した宮城県気仙沼市の小野寺明美さん(55)が避難所に行けなかった経験を紹介。自閉症の次男(19)が大勢がいる狭い空間でパニックに陥って、周りに迷惑をかけてはいけないと考えたという。電気が通らない半壊の自宅で、寒さに震えた。家族を失った人のつらさを思うと、周囲にも打ち明けられなかった。「災害弱者をつくらない地域は、すべての人に優しい地域。誰もが身を寄せられる福祉避難所が必要です」と訴えた。(引用終わり)

◆被災地の知的障がい者

紙幅の関係で要点しか書けない新聞を補足する形で、小野寺さんが発表した被災当初の本吉の知的障がい者に関する事例を紹介すると、「大勢の人の声や騒音の中での避難生活は難しかった」「大声やパニックが『迷惑になる』と気を遣った」「避難所に入れず、母子2人で1週間、車で過ごした」「障がいのある子と一緒では、身動きが取れなかった」「母子家庭で、支援の『お風呂』が利用できなかった」「『居場所』が見つからず、親子共々疲弊していった」という。

しかしながら、そんな苦難の中でも、確かな喜びもあったという。それは「ある公民館の避難所では、宿直室を貸してもらえた」「がれきの片づけを手伝い、ボランティアと仲良くなった」「避難所暮らしを通して、地域の人との距離が縮まった」「心の拠(よ)り所を無くしたが、乗り越えた」「『我慢』と『人のために何かをすること』を習得した」こと。

さらに小野寺さんは6人の障がい者の事例を挙げて説明した。知的障がいと肢体不自由、てんかんのある男性(19=震災当時、以下同)は自宅が全壊し避難所で暮らしていた震災2か月後から母親の髪の毛を引っ張ったり、頭突きをしたりするという行動をはじめたという。

父親を津波で亡くし、遺体の第一発見者にもなった自閉症の男性(35)は震災後、食事を食べなくなり、よだれを流すようにもなった。別の自閉症の男性(36)は5人家族のうち母親と2人だけが生き残った。この母親は、親戚から「なぜ2人だけ助かったのか」と非難され、精神的苦痛が続いたという。

10代だった自閉症の男性(17)は、4歳から使っていたお気に入りの毛布が流され、気持ちを落ち着かせる道具を無くし、精神的に不安定な状態が続き、12歳だった自閉症男子のケースでは、親が避難所では周囲に迷惑をかけるからと考え、避難所を離れ過ごすしかなかった。それまで通っていた小学校の特別学級の教諭など関係者から状況を見てもらえなかったことに、今後の改善を提言した。

ダウン症の27歳は、自宅を流されたショックが大きかったが、ボランティアとの交流で「人のためになることをする」のを学んだ、という前向きな事例として紹介した。

◆災害弱者をつくるな

事例を紹介した後、小野寺さんはこう問いかけた。「災害は、いつ、どこで起こるか分かりません。本日お話した障がい児・者の事例だけではなく、視覚や聴覚が不自由な方、車いすの方、高齢の方、乳幼児を抱えたお母さん、妊婦など『災害弱者』となりうる方々は、普段の社会に大勢おられます。災害で『日常の平穏』が失われた時、人々は混乱し社会が平静さを失った中で、災害弱者には何が起きるのでしょうか? 例えば、自閉症の方が『大勢の人』や『狭い空間』が苦手という特徴を知っている方は、どのくらいいるのでしょうか?」

そうして、災害に対応するための方策として、普段からの取り組みを呼びかける。「災害の起きる前から、地域ぐるみで方法を考えること。災害弱者のために居場所を確保すること。そして、普段からお互いの理解を深めるために『交流の場や機会』を増やすことが必要です。『災害弱者』をつくらない地域は、全ての人にやさしい地域です」

最後にこう結んだ。「障がいを抱える子どもたちが、被災後の『平静さを失った社会』で経験したつらい出来事が、今でもトラウマになっている現実は、二度と起こしてはいけないことです」。これらの事例、そしてメッセージを社会、そして私たちはどう受け止め、明日の命を守るために、形にしていくのか。私たちが今からできることを考えたい。

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