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『敗北を抱きしめて』―占領と近代主義の全面的受容(3)
『視点を磨き、視野を広げる』第15回

3月 06日 2018年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに

戦後70年を迎えた年に、「世論調査で見る日本人の『戦後』」と題してNHKが世論調査を行った(*注1)。それによると「全体としてよい時代だった(「どちらかといえば」を含む)」と答えた人は85%に上った。また、「戦後築いてきたと思うもの」という質問に対する答えのトップは「戦争のない平和な社会」であり、圧倒的大部分(87%)の人々の支持を得ている。そうした「肯定的な戦後」の象徴が平和憲法である。

前回まで2回にわたり、米国の歴史学者ジョン・ダワー(1938〜)の『敗北を抱きしめて』を指針に、占領による「上からの民主主義」がどのようなものであったかを見た。それに呼応して、明治以来の立憲主義の伝統を土台とする草の根の「下からの民主主義」があったことは忘れてはならないが、米国の占領政策が果たした役割の大きさは評価されるべきであり、その意味で「占領」は成功したといえるだろう。しかし、占領は「負の遺産」も残した。それが「対米従属構造」であり、ダワーは、平和憲法と日米安保の補完的関係の上にその「構造」が形成されているという問題把握から議論を展開していく。

現在、覇権国米国の相対的弱体化とアジアの安全保障環境の変化によって、日本は「構造」が抱える矛盾の顕在化に直面している。「改憲」問題然り、沖縄の基地問題然りである。本稿では、日本の「戦後」とは、こうした構造的問題を抱えながら、それを忘れたかのように豊かさと平和を享受していた時代だったのではないかという問題意識に立って、占領が日本に残した負の遺産を考察したい。

◆「占領の負の遺産」についての考察

・米国の背信による民主勢力と保守派のねじれ現象

占領初期において、GHQは「解放者」であり「民主勢力の味方」であった。しかし、マッカーサーによるゼネスト中止指令(1947年2月1日)以降は、占領政策が「逆コース」に転換していく。この日から占領軍は、「民主主義の敵」となった。これらの出来事の背景には米ソの冷戦構造の進行があったのであり、遅かれ早かれ政策の転換は不可避であったと思われるが、日本の左翼・民主勢力は、米国の「背信」と受け取った。

本書では、「戦後になって急に民主主義を唱えて現れた」と皮肉る「進歩的知識人」たちは、「日本の戦争を総括する理論的枠組みを与えてくれるマルクス主義に強く惹かれた」とする。マルクス主義に従えば、日本の敗北は、「明治の革命の不完全さの露呈」であり、占領は「解放」であり、民主主義的社会への移行と最終的な「社会主義社会への必然的移行」を加速させると考えたのである。こうして社会主義国を日本が目指すべき「民主主義的で平等な社会」のモデルだという考え方が生まれる。マルクス主義の色彩を帯びた進歩史観の一種といえるだろう。

進歩的知識人が属する左翼・民主勢力の目から見た米国は、再軍備を求め、検閲、レッドパージを行う「民主主義の敵」であり、平等を掲げる社会主義国を代表するソ連は民主主義運動の味方とみなされたのだ。これに対し、保守主義者から見た米国は、同盟国であるとともに自由と民主主義のリーダーとされ、ソ連は、自由を抑圧する非民主的な国であった。左右の両勢力は離合集散をへて、保守と革新という政治の流れとなっていき、「55年体制」を形成する。言ってみれば、左翼・民主勢力が、平和憲法と民主主義を日本に与えた米国を敵視して反米となり、対米従属をよしとしないはずの保守主義者が、親米派になるという「ねじれ」ができるのである。これが「戦後体制」の政治的構造の特徴であり、それは憲法問題において顕著に表れる。左翼・民主勢力は、平和憲法を護持することが、日本の平和をもたらすと考え、安保条約には反対の立場をとる。したがって反米である。これは、平和憲法と安保条約を「対立的関係」にあることを前提にした議論である。しかし、リベラル左派のダワーは、両者は「補完的関係」にあるとする。それはどういう意味なのかを、次に考えたい。

・対米従属構造という「檻」

憲法制定にあたって、マッカーサーが出した3原則の一つに「絶対的平和主義」がある。これは、「国の主権の一つとしての戦争は廃止される。日本は、自国の紛争解決手段としての戦争も、安全を保持する手段としての戦争も放棄する。日本の防衛と保護はより崇高な理想に委ねる」という内容であった。ただしマッカーサーは、憲法草案作成に口を出さず、部下たちに自由裁量権を与えた。そして、憲法制定会議の実質上の責任者ケーディス大佐(*注2)は、「絶対的平和主義」は行き過ぎで、どの国も「自衛権はある」と考え、「国民の主権としての戦争はこれを廃止する。他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇又は使用は永久にこれを廃棄す」と修正したとする。さらに、ケーディスは、「自己の安全を保持するための適度な再軍備の可能性を意図的に曖昧(あいまい)なままにした」が、それが「その後数十年にもわたる論争の火種を植え付けたのである」としている。この点に関連し、ダワーは、憲法制定会議メンバーたちは「押し付け憲法」との批判に対して「日本国民は後になって憲法を変えることはいつでも可能であった」という答えを準備していたとしており、その後の日本の憲法をめぐる神学論争を予想していなかったとみている。

新憲法に反対したのは日本共産党だけであったが、その主な理由の一つに「自己防衛の放棄は非現実的」をあげている。他の政党は、新憲法の平和主義を単純に歓迎したが、日本共産党だけが日本を取り巻く世界の現実を考えていたということになる。日本が自分で護(まも)ることが許されないなら、米国に護ってもらうしか選択肢はなかったからである。

占領期間中に国際関係は変化し、米ソの対立による冷戦が進行していた。米国は占領政策を180度転換する。西側諸国とだけの講和条約(単独講和)は、日本が独立と引き換えに自由主義圏の一員なることを意味した。また、日米安保は、日本を米国のアジア戦略の要として位置づけていくことを示していた。

本書は、こうしてできた平和憲法、講和条約、日米安保条約からなる米国への従属的構造を「保守派の視点から見れば、分離講和と日米安保は、危険に満ちた世界の現実の中で独立と安全を確保するための高価な代償」であるが、「リベラルや左翼の立場から見れば、占領当初の非軍事化と民主化という目的からの逸脱であり、パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)への編入を意味した」としている。この構造の問題は、日本人が「憲法9条に忠実に従えば、湾岸戦争時のように世界から嘲笑されることになる」。反対に「憲法9条を放棄すれば、アジア諸国から激しい反発を招く」。本書では、この状態を、「占領という「檻(おり)」から抜け出したのはいいが、次に従属という新しい「檻」に入るという「罠(わな)」に落ちたようである」と表現している。

さて、現在の日本国民が日米安保をどう考えているかについて見ておきたい。内閣府の世論調査(*注3)によると、日米安保を82.9%が「役立っている」とし、安全保障については、現行の「日米安保と自衛隊で日本の安全を守る」が、84.6%を占めている。圧倒的大多数が日本の安全保障のために日米安保が必要だとしていることがわかる。憲法9条の改正については、NHKの世論調査(*注4)によると、「必要25%」に対し「必要ない57%」となる。ちなみに同じ調査の「自衛隊は憲法上認められる」が「62%」に対し、「認められない」が「11%」である。ここから言えることは、日本人の大多数は、日本の安全保障を担保する日米安保と自衛隊は必要だが、憲法9条の改正は必要ないと考えているということになる。平和憲法と日米安保の相互依存関係を認めて現状維持を望んでいるということだ。しかし、日本を取り巻く環境の変化がそれを許さなくなってきている。それはどういうことかを次に見たい。

まず、安保条約は、同盟関係の「ジレンマ」を内包していることを認識しておく必要がある。これは、同盟関係を強化すれば米国の戦争に巻き込まれるリスクが増大するし、同盟が弱まれば米国に見捨てられるリスクが増すことを指す。アジア地域で米国の圧倒的な力による平和が維持されていた間は、こうした問題を「考えないでいる」ことが可能であったが、米国の相対的弱体化、中国の台頭により、日米同盟が抱えるジレンマが顕在化してきた。米国は同盟への一層の貢献を求めており、日本がそれに応えようとすれば、憲法問題に直面する。集団的自衛権を巡る議論を見てみよう。集団的自衛権の行使容認の立場からは、同盟強化により日本の安全保障は確保される。また、容認しないと米国から見捨てられるリスクが増す。一方、行使否定派は、米国の戦争に巻き込まれるリスクが高まると批判する。さらに米国の世界戦略の中で日本の軍事的役割が増すことは、憲法9条の理念に反することになる。

日本が陥ったもう一つの罠は、沖縄の基地問題である。日米安保条約は、非対称性が特徴である。米国は日本の安全保障を約束し、日本は米国に基地を提供するという構造である。米軍基地は全国に所在するが、常時使用される米軍専用基地の大部分が沖縄に所在している。矛盾が沖縄の基地問題にしわ寄せされているのであり、それにもかかわらず、いやそれゆえに本土の私たちは、平和の代償の支払いを免除されているかのような錯覚に陥っているのである。憲法9条と日米安保の補完的関係のジレンマを既にみたが、ここに沖縄問題を加えると3者の関係のトリレンマが見えてくる。憲法9条と日米安保の補完性を認めれば、沖縄問題は憲法9条のためにやむを得ないということになる。沖縄問題解決のために、日米安保破棄を覚悟して米国と交渉すれば日本の安全保障が危うくなる。そのために自前の軍備を拡充すれば憲法9条に違反するし、アジア諸国から受け入れられないであろう。沖縄問題に心を痛めても現実的な解決方法が容易に見つからない、まさに「罠」にはまっているように思えてくる。

私には、この問題の答えが見つけられないのであるが、最近ある新聞記事(*注5)を見て、かすかな希望が見えたように感じた。記事は、反基地運動の象徴的事件となった「砂川裁判」(*注6)に参加した活動家であった老人が、「沖縄に謝罪したい」と述べるところから始まる。記事は続けて、1950年代の冷戦激化を背景に米軍が全国で基地拡張を計画したが、「反基地闘争」の広がりで本土の基地は縮小した一方で、沖縄の基地が増えた事実を指摘する。記事を引用すると「米軍統治下で憲法の適用外にあった沖縄は『忘れられた島』だった。本土からも米軍が移り、『本土9、沖縄1』だった基地負担の割合が『本土3、沖縄7』に逆転。その歴史は近年になって光があてられるようになった」とする。老人の自省は、沖縄に基地負担を押し付けたが、その認識が希薄であったということに気がついたことからきているのである。

記事は市民運動に取り組むもう1人の人物を紹介する。彼は牧師(元教師)で「憲法9条を守ろうというとき、沖縄がどこまで視野に入っていたか。沖縄に基地を押し付け、日米安保の『恩恵』を受けてきた平和憲法、護憲運動だったと気付かされた」と話す。同氏は「日米安保を8割の人が支持しているなら、沖縄の基地は本土で引き取るべきだ」と呼びかけて市民運動をスタートさせた。同運動には「安保賛成派も反対派も加わる」としている。改憲・護憲論争は、日米安保と平和憲法の関係性を議論するところからスタートすべきだという主張であり、それは必然的に両者の補完的関係と戦後の対米従属構造の再構築に踏み込んでいくことになるだろう。

・戦争責任

敗戦と占領期間を通じ、日本人は、戦争で大きな犠牲を出したという被害者意識が強く残った。それに、アジアの人々に犠牲を強いたという加害者意識が混在するのであるが、本書が指摘するように「被害者意識がより大きかった」というのが事実であろう。この理由として、「日本人は敗戦によって筆舌に尽くしがたい惨禍を受けた。その痛みの大きさゆえに自分が与えた他者の痛みを感じなくなった」と分析する。また、左翼・民主勢力が平和運動で反軍国主義強調のために犠牲者意識に訴えたこと、進歩的知識人は、加害者意識を協調しすぎると政府の「一億総懺悔(ざんげ)(国民皆に責任がある)」イデオロギーに乗じられると考えたことを理由としてあげている。もう一つ日本人の被害者意識に大きな影響を与えたものとして、原爆をあげる。被害者意識の一種の神聖化が行われ、そうした意識の基底には戦争そのものが「犠牲を生んだ張本人」という戦争の一般化があるとするのだ。

さらに米国の責任として、東京裁判が、「アジアの視点を置き去りにしたために、日本のアジアに対する戦争責任が曖昧になった」ことをあげる。また占領軍の検閲で、「大東亜戦争」という言い方が禁じられ、「太平洋戦争」の呼称が強制されたことで、「日本と米国の戦争」に置き換えられ、「アジアに対する戦争責任を忘却させる一助となった」としている。

東京裁判に関しては、インドのパル判事が、米国による日本の諸都市の無差別爆撃と原爆投下を「ナチスの大量虐殺と近似した唯一のもの」として激しく批判した視点があることも忘れてはならないだろう。さらに、本書では「日本の共同謀議による侵略戦争の舞台となったアジアは、欧米の帝国主義が分割領有していた世界であった」が、「東京裁判はこうした欧米戦勝国による「帝国主義の世界」と、「平和と人道に対する犯罪の追求という高邁(こうまい)な理想」との矛盾を「無視」することによって解決する他なかった「勝者の欺瞞(ぎまん)」であった」とするのである。実際、日本の敗戦後、旧宗主国として英・仏・蘭はそれぞれマレーシア、ベトナム、インドネシアに戻り支配を再開する。大戦後の世界的な民族自決の流れにのってアジア植民地も独立を目指すが、旧宗主国との独立戦争で多くの犠牲者を出している。

このように、戦争責任の問題は、重層的で複雑だ。政治的に利用されやすいテーマでもあり、例えばパル判事の反対意見は、日本の保守勢力による東京裁判史観の批判として利用されている。また、被害者意識が強かったからこそ、戦後平和を護り続けてこられたのだと考えることもできる。さらにそれを批判して「(加害者意識の)忘却による平和」は偽善だという考え方もある。これらのすべては占領期に始まったのである。その意味でまだ「占領の総決算」は終わっていないのである。私に言えることは、私たちは被害者であるが、同時に加害者でもあったということであり、それを日本人としての「記憶」にとどめる努力を怠ってはならないということだ。「忘却による平和」はもう許されないのだと思う。

◆米国にとっての「占領の負の側面」について

・成功による過信

占領は、米国にも「負の遺産」を残した。正確に言えば、占領の成功が米国を誤らせたといえる。日本占領の成功は、米国にとって「後進国においても、米国流「民主化」が成功するという確信」を米国人の意識に植え付けたからだ。米国は、それをベトナムに適用しようとして、泥沼の戦争にのめりこんでいく。

ベトナム戦争での手痛い敗北も米国の確信を変えることはなかった。ブッシュ大統領は、イラク占領後の民主化プロセス推進に当たって、日本占領時の民主化の成功を例としてあげ、イラクでの成功を信じる根拠としている。少し長いが米国の考え方がよく表れているので当時の記事を引用する。

“ブッシュ米大統領は30日昼、カリフォルニア州サンディエゴの米海軍基地で対日戦勝記念の演説をおこない、第2次大戦後に民主国家として発展した日本の成功例を手本に中東民主化を推進する決意を表明した。米国内でイラク政策への批判がくすぶるなか、「日本モデル」を引き合いにイラク復興の歴史的な意義を強調、米国民の支持を取り付けようとする狙いがある。演説の中で「(第2次大戦)開戦時には、太平洋地域の民主主義国家はオーストラリアとニュージーランドだけだった」と指摘。「米国は真珠湾攻撃から4年以内に立ち直り、(欧州と太平洋の)二つの前線で戦い、世界戦争に勝利した」と自賛した。そのうえで「米国と日本の専門家は当時、日本には民主主義の備えがないと指摘した。だが(米国の戦争世代が)日本で達成したことを見れば、特定の人々が平等と自由に適していないと信じるのは誤りだということが分かる」と主張。平和憲法を持つ日本は米国の「信頼できる同盟」であり、アジア地域の安定にも寄与しているとたたえた。”(*注7)

・民主主義と資本主義の限界

米国人は、自らの民主主義を唯一絶対の価値だと考えているようだ。人類共通の価値として「自由」を謳(うた)いながら、米国とは異なる政治体制をとる「自由」は認めないのである。そうした民主主義という立派な外見をまとった米国人の「生」の根源にあるのは、リーマン・ショックの狂態を見るまでもなく(*注8)、もはや「プロテスタンティズムの倫理観」ではなく、どこまでも富を追い求める快楽主義であり金銭主義に堕したのだという疑念が脳裏を離れない。

民主主義とともに近代主義の基底をなす資本主義は、自由な活動によってフロンティアを開拓し、技術革新を生み出すことで自律的に発展していく。合理主義の適用と自由競争を世界中に求めグローバル化していく。活動範囲はボーダーレスであり、伝統的価値を「合理的ではない」として破壊しながら拡大再生産されていく。民主主義にそれを止める力はあるのだろうか。トランプ現象や英国のEU離脱、ヨーロッパにおける排外主義的右翼勢力の伸張は、反グローバルの動きと捉えるべきなのであろうか。現代社会の諸問題の根源にある民主主義と資本主義の限界について、さらに考察を進めていきたいと思っている。

◆おわりに

3回に分けて占領の意味を探ってきたが、最後に、少し異なる視点を紹介しておきたい。上記に触れたが、戦後の民主化成功の要因として戦前からの立憲主義という基盤があった。本稿第7~11回で取り上げた『日本の近代とは何であったか』において、著者の三谷太一郎は、明治憲法下の立憲主義を非常に高く評価する。その中で、憲法学者美濃部達吉(*注9)が、敗戦後の憲法改正に消極的だった理由は、大日本帝国憲法がもつ「立憲主義的で自由主義的な側面」を自らの「天皇機関説」の復活によって「将来拡充していく可能性への確信に由来していると思われる」として肯定的に述べている。

ダワーも本書において美濃部を取り上げているが、明治憲法改正に消極的な美濃部を「日本の戦前エリート層の限界」として切り捨てている。戦前・戦後の歴史の連続性をどう評価するかの違いであるが、私としては、三谷の見解に、より説得力を感じるとともに、ダワーの思考に米国リベラル特有の傲慢さを感じ取った。同時に、保守派からはリベラルにみえるであろう三谷であるが、その著作『日本の近代とは何であったか』は、いろいろな読み方ができる本だということを改めて認識した。私の拙い解釈では、三谷が試みたのは、史観にとらわれない明治維新の「歴史化」であったということだ。それに習えば、占領期の評価も「歴史化」が必要だということになる。ただ、明治維新から150年たってようやく可能になったのであれば、その半分の時間しかたたない占領期の歴史化は、もう少し時間と省察が必要なのかもしれない。

<参考図書>
『敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)上・下 増補版』(ジョン・ダワー著、三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店 2004年〈初版は2001年、原書出版は1999年〉)

(*注1)NHKが2014年11月に実施した「世論調査で見る日本人の『戦後』〜戦後70年に関する意識調査の結果から」(https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20150801_4.pdf)。

(*注2)チャールズ・L・ケーディス大佐(1906〜96)はGHQ民政局の次長。ユダヤ系。ハーバード大学法科大学院卒の弁護士でニューディール派とされる。

(*注3)平成26年度の内閣府の「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」(https://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-bouei/index.html)を参照した。

(*注4)内閣府の「憲法に関する世論調査」は昭和46年2月を最後に行われていないので、ここではNHKの「みんなの憲法」の中の「世論調査『日本人と憲法2017年』」(https://www3.nhk.or.jp/news/special/kenpou70/yoron2017.html)を参照した。

(*注5)2018年1月13日朝日新聞に掲載された『改憲の足音』というシリーズの第6回『「平和憲法」沖縄置き去り―—基地集中 見過ごされた現実』という記事。

(*注6)砂川事件とは1957年に米軍立川基地拡張の反対運動で基地内に侵入したデモ隊が起訴された裁判。安保条約の合憲性が争われた。1959年に一審は「米軍は9条違反」とする無罪判決を堕したが、最高裁は事実上の合憲判断を出し有罪が確定した。(上記朝日新聞記事内容を要約)

(*注7)2005年8月31日付日本経済新聞(秋田浩之記者)の記事。

(*注8)本稿第5回『世紀の空売り』―—「リーマン・ショックの本質」参照。

(*注9)美濃部達吉(1873〜1948)は、憲法学者、東京帝国大学名誉教授。「天皇機関説」とは、国家を統治権の主体とし、天皇は国家の一機関に過ぎないとする明治憲法解釈。学界で支配的な解釈とされたが、満州事変以後、軍部、官僚、右翼が国体に反するとして攻撃し政治問題化した。美濃部の著書は発禁となり、貴族院議員を辞任した。(出所:コトバンク:ブリタニカ国際大百科事典)

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