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アスリートの進化の背後にあるもの
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第17回

9月 11日 2015年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。

今回は、アスリートの進化に焦点をあてた記事を紹介したい。近代スポーツの多くを生み出した英国のメディアならではの記事である。

話を分かりやすくするためとはいえ、野球のピッチャーの打撃をずぶの素人と見なすあたりの無理さ加減は別としても、なかなか興味深い内容である。また、同時掲載のゴルフに絞った同じ趣旨の記事では、これまた話の勢いで12歳の子供でも今のゴルフボール、今のクラブを使えば200ヤード飛ばすことができると述べる箇所では、絶対にそれだけ飛ばせない自分としては密かに傷ついている。

しかし、衛星放送を通して世界中で様々なスポーツの国際試合に興奮できる現在、さもなければもっと深刻な民族間、国家間対立に至る状況がスポーツを通したガス抜きでかなり緩和されていると察するのだが、いかがだろうか?

実際、我々日本人にとっても外交問題を抱える国とのスポーツ試合の結果には、概ねその問題の大きさに比例して、そのつど高揚感に浸り、あるいは失望している。それを思うと、スポーツを世界中で観戦できることは結構大事な人類の進歩だと思う。

◆「芝の王者」ジョコビッチが色あせる日

以下は、「Athletic performance  Citius, altius, fortius, numerus」(アスリートの能力 より速く、より高く、より強く、エコノミスト誌2015年7月18日号)の抄訳である。

こんにちのスポーツ選手が先輩たちより優れていることは誰もが知っている。しかし、どれだけ優れているのかを知るにはちょっと難しい計算が必要になる。

7月12日に行われたテニスのウィンブルドン選手権男子シングルスでノバク・ジョコビッチがロジャー・フェデラーを破って優勝を果たしたとき、彼はサポーターたちに彼が歴史上のいかなる選手よりも優れたテニスをしていると主張させるための新鮮な説明根拠を与えた。スイスの巨匠(フェデラー)に対する今回の彼の勝利が、過去21回の対決の中で14番目にも及ぶものであるということ。若いファンは、このジョコビッチの強さに並ぶのは、フェデラーが2004年から09年にわたり王座に君臨した最高の偉業くらいしかないと想定するに違いない。

しかし、より長く昔を知る人たちなら1956年から76年までの間に200回のトーナメント優勝を飾ったロッド・レーバー、あるいは1920年代を圧倒したビル・チルデンだってすごかったのだと主張したくなることであろう。

フェデラーがしばしば史上最高の選手の位置にあると言及されること、そしてジョコビッチが彼の(史上最高の選手としての)後継者であるとされることは広く信じられているが立証が難しい仮定に基づくものである:それはプレーの水準が多年にわたって、あまりにも高度になっているため、今の最強選手の方がその先輩達よりも優れているに違いないと考える仮定である。

時代を超えた比較は、走り、跳躍、重量挙げのようにタイム、距離あるいは質量の単位で計測されるスポーツにおいてはより簡単である。そして総じてそのような競技における記録は過去に比較して相当に上回ってきている。:100メートル走の上位10人の平均記録は1900年の11.2秒から現在のわずかに10秒を切るレベルまでに短縮されている。そしてマラソンでは1939年、2時間35分近辺であったものが今では2時間5分である。

さらに、複雑な器機や技術が関与している種目における記録の伸びはもっと顕著である。:ちなみに現在の棒高跳びの世界記録は6メートル16センチであるが、これは100年前の記録(4メートル10センチ)を50%も上回っている。

しかし、記録の伸びのペースは落ちてきている。100メートル走を例外としてほとんどの競技において頭打ちとなっており、世界新記録が出る頻度が減り、出たとしても過去の記録との差異が小さくなっている。

例えば、800メートル走の現在のベストタイムは、1981年以来0秒82しか短縮されていないが、その81年の記録をさらに26年さかのぼった時点と比べた差はおよそ4秒にも及ぶものであった。そして、いくつかの分野では完全に伸びが止まっている。女子の短・中距離走者たちの平均記録は過去30年の間ほとんど変わっていない(もっとも、1980年代の東欧の競技者の記録のいくつかは薬物の助けを借りて向上されたのではあるが……)。

“スピードの限界”はいくつかの競技において避けられない。― 人間は航空機のように速く走れることはなく、宇宙にまで跳躍することもできない。― そしてアスリートたちは広く信じられているよりも速く人間の限界に近づいているかもしれない。スタンフォード大学のマーク・ダニー氏は大抵の競技において人類はその伸びしろを3%以下しか残していないという。

(純粋な)競技以外の要素の何かが介在する場合は、(時代を超えた)能力の測定はより難しい。例えば、ボウリングにおいて米国で300点のパーフェクトゲームの達成件数が1999年までの30年間で40倍にも増えている。専門家によれば、広く選手の技量が進歩したというより、ボールをピンに誘導するレーンの油ふきのやり方によるところが大きいという。

ゴルフには逆のことがあてはまる。:優れたゴルファーが高性能なクラブを振り回すようになった事実に対応してゴルフ場設計者たちは池やバンカーなどの障害難度を高め、そしてより長いコースを造るようになった。

それでも、相対的な力の差がものをいう対決型の競技での(時代を超えた)選手能力を比べる場合のことを思えば、難しさはまだ知れている。(対決型の競技では)選手たちがお互いに同様のペースで進歩すれば点数は伸びない。

サッカーのような競技でそれぞれ異なる時代の選手たちを比較すること ― たとえばペレ、マラドーナ、メッシを比べること ― は酒場での殴り合いにつながる格好の話題となってきた。しかし、分析家たちは、そのような論争を収めるため、そして過去の偉大な選手たちがいまの競争相手に対しどのように対抗できうるであろうかについて推定するための統計的手法を編み出している。

ハーバード大学の生物学者であるスティーブン・ジェイ・グールド氏は1985年、自身のエッセイのなかでプレーの水準を計測するために(各々の活躍時の)アスリート間の差についてのデータを使用することを提案した。もしあるスポーツに少数の競技者だけが集まるのであれば、凡庸なプレーヤーでもそのスポーツで食べていける。出来が安定しない相手に対してなら最良の技量者は目立って優れた成果を収めることができる。

一方、才能ある選手が豊富なスポーツで本格的にプレーできる選手なら、ある程度優れているといえるであろう。結果として、最良のプレーヤーでも(他の場合と違って)平均的選手との違いは小さくなる。グールド氏は加盟リーグの個々の選手間の成績の違いが大きければ大きいほど当該リーグは弱いとみなすことができると結論付けている。

この理論はオーストラリアの研究者、チャールズ・デイビス氏の研究成果の上に成り立つものである。彼は異なる時代におけるクリケット選手の打率について、標準偏差を求めた。―すなわち、選手たちの成績がどの程度互いに接近しているか、あるいは乖離(かいり)しているかを分析したのである。彼は選手間差異が、クリケット界最高の選手と広くみなされたダン・ブラッドマンが最盛期であった1930年代に比べて2000年では、実に25%も低かったことを見いだしている。

しかし、ブラッドマンは当時の競争相手達の打率成績を比類ない4.4標準偏差も上回り、自らを10万人に1人の不世出のプレーヤーたらしめていたのである。その事実は彼のテストマッチでの成績について、当時の実数値の99.84は、現在であれば70から80台となったであろうと推察されるものの、今でも十分破格の選手として存在できたであろうと考えられる。

もうひとつの分析のためのアプローチは、対決型競技に隠れてはいるが無理なく掘り起こせる材料で分析可能な実験を試みることである。

最適事例はおそらく野球に当てはまるであろう。投手はボールを投げる能力でもって選ばれる。しかし、試合においては何度かそれを打つよう試みる。一般的に彼らのバッティング練習はただ形式だけにすぎない。かくして投手の打撃に関する統計数字はつまるところ、通りを歩く一般人から無作為に選んだ人が―とはいってもプロの投手たちが高い運動能力を持っていることは認めるとしても―メジャーリーグの投手に対して示すと思われる打撃成績を表している。

この計測手法の正確さをもっとも説得力を以て立証するのは第2次大戦時である。:ほとんどのスター選手たちが戦争に出かけた際、(調査目的上の実験材料として)打席に立った投手たちはいわば二番煎じともいえる投手に対してうんと良い打撃成績を残したのである。もし競技の質が時代の経過に伴って向上しているのであれば今の投手の打撃は昔に比べてずいぶん悪くなっているはずである。

果たしてその通り、数字はシャープな低下傾向を示した。それに基づけば、クリケットのブラッドマンに匹敵する、野球のベーブ・ルースは今日のベストヒッターたちと肩を並べるであろうが、より優れているとは言えないであろう。

ジョコビッチのファンにとっては幸いなことに、テニスはバットとボールを用いる球技よりも速く進歩しているようである。2014年に、統計解析者のジェフ・サックマン氏は2年連続で上位50位にランクされた選手を1970年から調査した。(その結果)調査対象の選手たちは他の上位50位内ランキングにある選手に対して獲得したリターンポイントは前年に比べて2.2%少ない事実を把握している。これは常に、翌年にランクインする選手たちは彼らが退出させた前年の選手たちよりも優れているからである。

その進化のスピードは44年間複利的に加速されてきたのであり、さしずめレーバーといえどもフェデラーあるいは他の大概どんな相手に対してもセットおよび試合はおろか1ゲームだって勝ち取ることに窮するであろうと想像できる。

そしてテニスにおいては他の多くの競技のレベルが進化のスピードが頭打ちとなっているのに反して、近年になってわずかに減速して1.5%程度の進歩を示している。ジョコビッチでさえもこれから輩出される選手たちと比べられれば色あせることとなるであろう。(抄訳終わり)

◆セントアンドルーズの全英オープンゴルフ今昔

同じエコノミスト誌2015年7月18日号には、「How much have golfers improved? No gutties, more glory」(ゴルファーはどれだけ進化しているのだろうか?  ゴムボールはもう使わずにもっと栄光を〈英語のことわざとしての”No gutties, no glory”勇気をもってやってみなければ栄光にはありつけない〉をもじっている)と題された、ゴルフ(ゴルファー)の進化に関する記事が掲載されている。以下はその抄訳である。

近代ゴルファーを過去のチャンピオンたちと比べることは、アイアンでたこつぼバンカーから脱出するよりやっかいなことである。

セントアンドルーズのオールドコースで7月16日に行われた今年の全英オープンの優勝者は115万ポンド(179万ドル)を手にした。昔はゴルフで勝ってもそんなに派手な金額の報酬を得られるわけではなかった。

1873年、最初にセントアンドルーズで(全英)オープンが開催された際の優勝賞金は11ポンド(今の価値に換算して1079ポンド)であった。スポンサーもつかずテレビ放映もなく、吹きすさぶ寒風をいとわない観客が少数いるだけだった。

トム・キッドという名前の地元のキャディーが優勝者であったが、賞金は思わぬうれしい授かり物だった。しかし彼はその11年後貧困の中に生涯を閉じた。彼のゴルフクラブと優勝メダルは酒代と消えたものとされている。

昔と比べてよくなったのは賞金だけではない。(全英)オープンはゴルフ発祥の地とされるセントアンドルーズで他のコースよりも最も頻繁に行われてきたので、過去1世紀半の間にスコアの変遷を測ることが可能である。こんにち、スコアは限りなく進化している。キッドは各18ホールをおおよそ90で回った。今ならすこしましなアマチュアでもそのくらいはできる。

2010年の全英オープンチャンピオンであるルイ・ウェストヘーゼンは各ラウンドを平均68で回った。コースの長さがキッドの時代に6577ヤードであったのに対し今や7305ヤードに伸ばされているにもかかわらず、である。キッドの頃は芝を短くするのは芝刈り機でなく羊だった。ゆえに芝生の状態は凹凸があり予測不可能であった。

そして、キッドは原始的なクラブでプレーをした。ウィンストン・チャーチルはかってこう言った。「ゴルフとは非常に小さなボールを、その用途にしては風変わりで不適切にデザインされたと思われる道具で打って小さな穴に入れようとするゲームである」と。その表現はキッドの時代の真実を確かに物語っていた。

彼はシャフト部分が木製のクラブ(それは打つ際によく反ってしまうが)とゴムボール(マレーシアの熱帯樹から抽出された液を固めてできる)を使っていたのである。それでも「ガッティー」と呼ばれたゴムボールはそれに取って代わられた、鳥の羽を革で包んだ代物で頻繁に空中で破裂してしまうボールよりもましだった。しかし、そのボールを200ヤード以上飛ばすことは誰もできなかった。― 今の化学合成でつくられるボールなら、グラファイトとチタン製のクラブで12歳の子供でも飛ばせるであろうが。

(道具が進化している事実を差し引くとしても、もし一緒にプレーしたら) こんにちのゴルファーたちが昔の先輩たちを負かすであろうことはほぼ疑いない。今の選手たちはより長く練習し、より多く筋トレを行い、スイングのわずかな違いも認識できる動作センサーを使っている。:7月8日に足首を痛めて欠場するまで前評判トップであったローリー・マキロイは家の裏庭に巨大な練習場を保有し、そこにはまずいアプローチショットをすると“ブラックホール”と化すセントアンドルーズの悪名高い“ロードホールバンカー”のレプリカが完備されている。

選手たちは今や世界中から集まる相手と戦うのである。今年の全英オープンには24カ国からの選手をそろえたのであるが、1873年には9人のスコットランド人と1人のイギリス人がコースに登場しただけである。

※今回紹介した英文記事へのリンク
http://www.economist.com/news/international/21657818-everybody-knows-todays-sportsmen-are-better-their-predecessors-working-out-how
http://www.economist.com/news/international/21657815-comparing-modern-golfers-champions-old-trickier-escaping-pot-bunker

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