п»ї イサーン地方の曇天と「心の問題」への展開『ジャーナリスティックなやさしい未来』第60回 | ニュース屋台村

イサーン地方の曇天と「心の問題」への展開
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第60回

10月 23日 2015年 文化

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャローム所沢施設長。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆それは近代国家の「隔離」

タイ東北部のイサーン地方といえば、不安定な気候で収穫量の見通しが立たず、言語も隣接するラオスやカンボジアなどに近い方言を話すため、バンコクから見れば、この地方の人びとは差別の対象とされてきた歴史がある。

都市化が進む国では、そのような文化が違う貧しい地域出身者を蔑(さげす)むのが法則的に存在するようで、韓国のそれは全羅南道であり、日本では、かつての東北であり、沖縄であった。この差別は中央集権化した発展により生み出されたものともいえ、政変を繰り返しているタイではあるが着実に生活は進歩している。しかし、その恩恵は地方にどれだけ及んでいるのだろうか。

かつて、私が滞在したイサーン地方について、タイの作家ピラ・スダムの著作は発展の陰影を浮かび上がらせてくれる。そこから導き出されるのは、都市化の問題は、地方の人びとの夢と希望を打ち砕き、「人の心の崩壊」につながるということ、である。

学生時代に格闘技「ムエタイ」というタイの国技に打ち込んでいた私は、自然と長期休みの際に、バンコクに滞在しムエタイ修行の真似ごとのようなことをしていた。社会人になってそんな世界とも離れていたが、共同通信の外信部記者になって初めての海外出張が記者自らの経験を記事にする企画取材で、「タイに行って修行をしてムエタイの試合に出てこい」であった。

修行といっても、与えられた時間は1週間程度だから、半年前から東京で練習を積んで鍛え直し、タイ滞在中に練習を少しだけ重ねて試合に出るというストーリー。そして、修行先を最も貧しく、バンコクに選手を輩出しているとされるイサーン地方ウボンラチャタニーの住み込みができる郊外のムエタイジムにした。

◆「都会の真実を悟るだろう」

ラオスとカンボジア国境に近いこの町は大きな軍施設があり、主要部はにぎやかだが、やはり地方の町らしく、そのにぎやかさも1ブロックほどに過ぎない。その代わりに野犬が多く、夜に彼らは町を我が物顔で歩き回り人を圧倒する。自転車でジムから町へ出かける時には、自転車のカゴに拳(こぶし)ほどの大きさの石をいくつも持っておいて、野犬を追い払いながら行かなければならなかった。

ジムにはバンコクのリングを目指す小さな子どもを中心に十数人が暮らしていたが、不思議なことに、その中に一人、初老の日本人の男がいた。彼は当時社会問題になった財務省官僚が風俗店に接待された様子を写真週刊誌にスクープされた際に、財務省官僚と同席していた民間企業の関係者だった。

彼は、ただ一緒に「ただ遊んだ」だけだから法的責任はないが写真週刊誌が出たことで家族から叱責(しっせき)され、仕事を退き、タイの田舎町のムエタイジムの合宿所で練習をぼんやり眺めながらゆったりとした時間を過ごしていた。彼の滞在は半年以上だったと思う。

ジムは、熱帯地方特有の植物に囲まれて、鉄骨の柱に大きなテントを張られた中央にリングがあるだけ。そのまわりに4畳半ほどの宿泊用の部屋が並んでいる簡素なつくりだった。私の滞在は1週間程度だった。その風景は背の高い植物に囲まれていたせいか、薄暗くていつも曇り空の下にあって時折雨が降っていたという印象が強い。私の中でのイサーンはいつも曇りである。

この地方出身である作家のピラ・スダムは美しい文体でこの都会とイサーンとのギャップや、この地方の人々に宿した心の風景を表現した。それは、今もなお輝きを放つ。以下は短編集に収められた「見習い僧」の一節である。貧しさにより、子供のころに僧侶になるためにバンコクで修行したが、大人になってから故郷に戻り、そこの自然とともに淡々と暮らす内容で、静かな描写が心を打つ。

「暑い夏の盛りに水を求め何キロも歩いた。単調な田舎の生活の繰り返しも耐えられた。一度も村を離れたことがなかったら、都会に憧れる村の若者と同じことだったろう。バンコクで数年過ごした今、故郷の村の日々は、ぼくにとって平穏に満ちたものとなっていた。自足することで、幸せを手に入れ、辛苦を軽くするすべを知っていた。村の若い男女が、魅力ある都会へと運んでくれるミニバスを熱心に待つ姿に、悲しくなった。彼らのうちだれかは、富裕となり、権勢を手にして欲しい。でも後に残った、貧しく無学な人びとのことを、忘れてくれるな。ある者は都会の真実を悟るであろう。土地への愛着が心の中で強まり、逃げ出したくなった時こそ、迷いから覚めるに違いない」(杵淵信雄訳)。

◆「いち早く」心に対応を

タイでは一昨年からの政治対立により国内が混乱している。昨年は軍部によるクーデターでプラユット陸軍司令官が権力を掌握。首相となったプラユット氏は先日、「国民へのメッセージ」として、完全なる民主化を目指す新憲法のもとで国民和解を実現する考えを示した。

一方で、バンコクから離れた観光地プーケットでは警察に対する不満から暴動が起きるなど、安定はしていない。最近のタイの不安定さを外から眺めていると、若いころにタイに通っていた際に感じていた都市と地方の格差は、現在、情報の伝播(でんぱ)とのギャップに貧困層は不満を鬱積(うっせき)させている印象がある。

ピラ・スダムが指摘した「迷いから覚める」若者たちは農村で田植えをするのではなく、都会で政治スローガンを叫び、時には暴発する可能性を秘めながら、鬱屈した気持ちを消化しようとしているかもしれない。同時に鬱屈したままふさぎ込んでしまう人もいるであろう。これはもう経済的成長と情報氾濫(はんらん)により発生する心の病である。

そこには「心の崩壊」してしまっている人も存在するはず。日本での対応は遅かった。その結果の精神疾患の子どもたちと接しているから、そう強く思う。タイでも、それに対応しなければいけない時期に来ている。青春時代に過ごした場所だからこそ、いち早く、という思いでタイの近代化を見つめている。

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