п»ї オウムの「集団」死刑執行と私たちのココロ 『ジャーナリスティックなやさしい未来』第137回 | ニュース屋台村

オウムの「集団」死刑執行と私たちのココロ
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第137回

7月 28日 2018年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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一般財団法人福祉教育支援協会専務理事・上席研究員(就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括・ケアメディア推進プロジェクト代表)。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。

◆同時代の出来事

今月、オウム真理教元代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の元教団幹部の死刑囚の死刑が執行されたのに続き、さらに死刑囚6人の刑も執行された。確定判決では、1989年11月の坂本弁護士殺害事件で3人、94年6月の松本サリン事件で7人、1995年3月の地下鉄サリン事件で12人をはじめ13事件で27人を死なせており、この罪はあまりにも重い。

オウム真理教が89年に宗教法人化し、各大学で大学のサークル活動を装い、学生への勧誘が行われ、国政選挙にも進出する勢いを見せていた時期に、大学生活を送った私にとって、オウムは同時代の出来事であった。

教祖に追随していった若き高学歴の信者たちには、受験戦争や社会のしがらみから「新しい価値観」に生きがいを見つけたのだろうと、共感する気持ちもあった。その気持ちに整理を付けながら、人と社会は成長していくのだろうが、13人も「集団で」死刑にすることで、われわれが学び続けてきたことが断絶され、忘却にひたすら進んでいるようで、それを企図しているような権力の思考が怖い。

◆思想世界の問いかけを無視

地下鉄サリン事件をきっかけにオウム真理教が連日のようにテレビのワイドショーに取り上げられ、その実態が明るみに出たと同時に、教団幹部の若き信者の声は、この世への嘆きに聞こえてきたのは新聞社に入社した社会人1年目だった。1995年1月に阪神・淡路大震災を経験し、社会と災害について考えさせられたところに、地下鉄サリン事件、そしてオウム真理教の内実が明らかになってくるのだが、そこで突きつけられたのは現代人の心の問題である。

オウム事件は「ココロの事件」であると考えてはみたものの、駆け出しの記者にそんな思いを表現する場所はなかった。次々と逮捕され事件の全体像が浮かび上がってくると、社会はオウム真理教を理解できないカルト集団という認識で一致させ、人はなぜカルトを信じ、その結果、人を殺せるのか、という根気強い探索をやめた。

私が松本死刑囚を初めて見たのは東京地裁の法廷の場だった。裁判で松本死刑囚は何も語らず、ただひとりごとをぶつぶつ言うだけで、開廷された裁判はただのセレモニーとなり、傍聴席もほとんどいない中で、私は一日中、何かをつぶやき続ける松本死刑囚の後ろ姿を見続けた。

なぜ、人はこの人を信じ、身を捧げ、そして市民を殺すまでにいたったのか。そんな無言の問いかけはもちろん、当時は空虚な風となるだけだったが、あらためて死刑執行を受け、そして時の政権が一気に執行を決定したこと、さらに、松本死刑囚の執行前には、報道機関に執行予定がリークされたことを聞くにつれ、この出来事はあまりにも政治的であり、かつ私たちが歩んできた思想世界の問いかけを無視したような気がして、憤りを感じてしまう。

◆探索をあきらめない

その思想性とは「オウムとは何だったのか」という問いの連続によって浮かび上がってくるものであろう。あの時学生だった私や若くして入信した方々が、四半世紀を過ぎて振り返り考えることで見えることがある。権力はその機会を奪ってしまったのである。

元幹部で死刑執行された元死刑囚の中には反省の弁を手記にした人もいれば、いまだに麻原死刑囚への崇拝の念を抱いている人もいたとされるが、心の問題としてとらえれば、信じたプロセスはもちろん、その信仰心が罪であるという認識もまた、さまざま。この違いを見極めながら、私たち社会がカルトと向き合う姿勢や、厭世(えんせい)的な心に宿る弱さとどう共にいることができるのかという問題には大きな教訓が得られるはずだった。

一部のジャーナリストはそこに立ち向かい、仕事を続けたが、大手メディアはそこまでの余裕はなかったと思われる。もう死刑囚はこの世にはいなくなった。オウムとか何かを語れる口がなくなった今もなお、この事件を教訓として、私たちの思想と心について、探索する姿勢はあきらめないでいたい。それが心の問題を解くカギが隠されているはずだと信じて。

■法定外シャローム大学
shalom.wess.or.jp/

■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/

■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link

■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/

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