п»ї カンボジアで考える、「時代の傷」『カンボジア浮草日記』第2回 | ニュース屋台村

カンボジアで考える、「時代の傷」
『カンボジア浮草日記』第2回

9月 20日 2013年 国際

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木村 文(きむら・あや)

元朝日新聞バンコク特派員、マニラ支局長。2009年3月よりカンボジア・プノンペン在住。現地で発行する月刊邦字誌「プノン」編集長。

カンボジアの首都プノンペンで暮らして5年になる。

ここ数年、経済・ビジネスニュースを発信することが多く、内容は右肩上がりのものばかりだ。最近の国民議会選挙をめぐる政局の混乱のように、経済成長や海外投資の勢いを冷え込ませるものもたまにあるが、全体としては「景気のいい」話が多い。

イケイケムードさえ漂うこの若い国の日常の中で、私が最も関心を寄せている「ポル・ポト時代」のことが、語られる場面は極めて少ない。だいたい、人口の7割が、ポル・ポト時代以降に生まれたのだ。多くの人にとって、ポル・ポト時代と呼ばれた1975年から78年の3年8カ月と20日間は、実感を持てない「歴史上の出来事」になってしまうのもやむを得ない。

それでもあの時代が、今のカンボジア社会の底に生々しく脈打っていることを感じる場面がときどき、ある。それに触れるたびに、華々しい経済成長は薄い皮膚一枚に過ぎず、この社会には良くも悪くも長い抑圧と争いの記憶が染みついている、と思わされる。

7月28日、カンボジアは国民議会選挙(定数123)を実施した。同日の投開票直後から、野党・カンボジア救国党は選挙に不正があったと異議を唱え、9月8日に中央選挙管理委員会が発表した公式結果(与党・カンボジア人民党68議席、野党・救国党55議席)も受け入れていない。9月14日には、シハモニ国王が与野党の指導部を王宮に招き調停に入ったが不調に終わった。

◆「カンボジアの春」とその後

今回の総選挙は、1991年の内戦終結から数えて5回目となる。前回2008年の選挙と比べても、「野党支持である」ことをはっきりと一人ひとりが表明できるというのは、大きな変化だったと感じる。実際、州別の開票結果でみると、フン・セン首相の与党・人民党は、大幹部たちの出身州で軒並み負けている。さらに各地で「投票所に行ったが名簿に名前がなく投票できなかった」「他人がなりすまして投票していた」など、選挙の不正が報告されており、政府から独立した委員会による調査を求める野党の主張はまっとうなことだ。

前回の「浮草日記」にも書いたが、投開票日、野党優勢の情報が次々に伝わるなか、与党が負けた場合には政権転覆もあり得る、との憶測が流れた。「アラブの春」になぞらえて「カンボジアの春」という人たちも出てきた。でもその後、今日(9月15日)に至るまで、与野党の対立はダラダラと続き、双方何の打開策も見いだせないままだ。

「結局、銃口に立ち向かっても政治改革を成し遂げたいと思う人々がいなかった。この国に革命は起きない」――。政権交代の大チャンスだというのに、若い層を引っ張っていくような魅力的な若い指導者も、新しい時代を象徴する社会思想に基づいた新鮮なスローガンも、誕生しなかった。野党の集会場では「チェンジ!」の連呼が響くだけ。私も含め、無責任な外国人在住者たちはそんな風に言い合った。

でも、思えばそれは、「二度と内戦に戻って欲しくない」というカンボジアの人々の切なる願いだったのかもしれない。

一連の政情不安で、過剰にも思える心配をしていたのは、外国人ではなく、カンボジアの人々だった。「首都にいると危ない」という考えから、田舎へ帰った工場の労働者たちが、休日が明けてもプノンペンに戻ってこない、という現象が起きた。ピーク時には2割の工員が戻ってこなかった工場もあった。私が一緒に働く20代のカンボジア人女性も、「田舎の両親が、プノンペンは危ないから戻ってこいと何度も言う」とこぼしていた。

◆最も大切なのは「平和であること」

社会を壊し、家族をバラバラにし、生命さえ奪う。抑圧と戦争の実態を知る、あるいは直接経験者から聞かされてきた親たちの世代には、「二度とあの時代に戻してはならない」という思いがある。その優先順位は、何よりも高いのだろう。

数年前から、国際協力機構(JICA)の仕事で、援助のカウンターパートであるカンボジア政府の官僚たちにインタビューをしている。主に40代、50代の人たちだ。短い時間だが、必ずポル・ポト時代や内戦時代の経験を聞くようにしている。

尋ねると、ほとんどの人が堰(せき)を切ったように自身の経験を語り始める。幼いころどんなにおなかがすいたか、朝から晩まで働かされたか、勉強を続けるために何をしたか、父や母がどう守ってくれたか。今は安定した、裕福な暮らしをしている彼らが、当時を思い出して涙を浮かべる。そして最後には必ず「だから今の平和と安定が何よりも大事なのです」と言う。

単純に思われるかもしれないが、私には、この思いがカンボジア社会の骨となっている気がする。国の政策づくりを担うトップ官僚も、地方で暮らす農村の人々も、ある世代以上のカンボジア人にとって最も大切なのは今も、「平和であること」なのだ。汚職がはびこり、貧富の格差が広がり、不公平な政治の仕組みに腹が立つ。それでも「革命」はまだカンボジア国民の選択肢には登場していない。若い世代がどんなに増えようとも、戦争を生きのびた祖父母や父母世代の記憶が、時代の傷としてまだ癒えずに残り、この社会の行く先を定めているように思える。
 
※写真撮影はいずれも筆者です。
<写真1>発展を続けるプノンペンの町。建築ラッシュで、新しい商業ビルやコンドミニアムが立ち並ぶ=プノンペン市内で

 
<写真2> カンボジア北部、タイ国境の町アンロンベンにあるポル・ポト元首相の「墓」。1975年から79年のポル・ポト時代には、200万人近い人々が命を落とした=アンロンベンで

 
<写真3> ポル・ポト政権の元幹部たちを裁く「カンボジア特別法廷」は2009年に本格審議が始まり、今も裁判が続いている。被告たちの高齢化が進むなか、時間とのたたかいともいえる裁判だ=カンボジア特別法廷提供

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