п»ї ジャーナリズムの果たすべき役割―日本がもう一度輝くために(6)『翌檜Xの独白』第6回 | ニュース屋台村

ジャーナリズムの果たすべき役割―日本がもう一度輝くために(6)
『翌檜Xの独白』第6回

12月 20日 2013年 社会

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翌檜X(あすなろ・えっくす)

企業経営者。銀行勤務歴28年(うち欧米駐在8年)。「命を楽しむ」がモットー。趣味はテニス、音楽鑑賞。

今回は、日本がもう一度輝くために日本のジャーナリズムが果たすべき役割について考えてみたいと思います。

まず、ジャーナリズムという言葉を事典で引いてみました。曰く、「日々に生起する社会的な事件や問題についてその様相と本質を速くまた深く公衆に伝える作業。また、その作業をおこなう表現媒体をさしていう」。

この定義に照らして現在のマスコミをどう評価すれば良いのでしょう? 多くのメディアがありますが、ここでは主として新聞とテレビのニュース・報道番組を対象とします。

上記の定義に照らして気になるのは、「本質を深く」公衆に伝えているかという点ではないでしょうか。そもそもジャーナリストを志す人たちは何を達成したくてその職業を選んでいるのでしょう? 権力へのお目付け役、国民の知る権利の擁護、隠された真実の発掘などその動機は様々でしょう。

でも視点の違いはあっても、究極はフェアで住みよい社会づくりへの貢献を目指しているはずです。想像するに、ジャーナリストは当初は理想に燃えて、そもそもの問題意識に基づいて職務に取り組んでいたはずです。しかしながら、時が経つうちに組織の要求や世の中のニーズと思しき事柄に反応していくなかで、初心から遠く離れた活動になってしまっているということはないでしょうか。

確かにすばらしい活動をしているジャーナリストもいますが、総体としてみたメディアが、本来メディアに期待されている役割を果たしているかと問われれば、首をかしげたくなる人が多いような気がします。チープな正義感、現象の表面だけをなぞった報道、一貫しない主張、もしくは偏向した言説。多くの場合、「本質を深く」からは遠いように感じます。

とりわけテレビのニュース・報道番組のレベルの低さには、ただただ驚かされます。私は、メディアは一度原点に返って自分たちの活動の目的を確認すべきだと思っています。訳知り顔で無責任な評論しかできない人たちがその場限りの勝手な発言を繰り返しているのを見るにつけ、がっかりします。

最初に述べたように、メディアの究極の目的はフェアで住みよい社会づくりに貢献することにあるはずです。高い志に根ざさない言動は説得力を持ちえません。テレビは、速報性の求められる新聞と違って、テーマを選定しそれを掘り下げて伝えることに向いたメディアです。この国にとって大切なテーマをじっくりと多面的に分析し、国民に結論ではなく考える材料を与えることができるはずです。

テレビのニュースや報道番組を見ていて気になるのは、大衆に迎合し、劣情を刺激することを目的としているかのような浅薄な切り口の報道が多いことです。もちろん、視聴率を気にして大衆の求めているものを提供しようとした結果であるならば、聴衆そのものに問題があるのかも知れません。しかしながら聴衆の問題意識が低いのであれば、その持つべき問題意識を喚起することもメディアの責務なのではないでしょうか?

◆目的意識を持った批判、様相と本質を速く深く

最近のメディアを見ていると、往々にして時の権力者や成功者を批判することが自己目的化してしまい、何かを築き上げようとの視点が希薄になっているように感じられます。

批判精神を否定する気は毛頭ありませんし、権力はその乱用が監視されるべきだと思っています。大切なことは、何のための批判なのかを十分考え抜いた上で目的意識をしっかりと持つことだと思います。間違っても、悪平等を助長したり、妬(ねた)みや嫉(そね)みといった低劣な感情におもねったりするような報道であってはならないと思います。

私たち報道を受ける側からの希望を言えば、メディアの広いネットワークを通じて聴衆や読者の知らないことを広く知らしめ、啓蒙してくれること。今をそして将来を考えるにあたって知っておくべき世界の動きについて広く深く報道してくれること。日本が輝き続けるために取り組むべき課題の指摘と、それらの課題について考えるための材料を提供してくれること。日々の生活の中で忘れがちなマクロ的な視点を補ってくれることなどです。それこそ、日々に生起する社会的な事件や問題について、その様相と本質を速くまた深く伝えてほしいのです。

日本の新聞を読んでいて思うのは、扱う世界(視野)の狭さと変化の少なさです。世界は大きく変容しようとしています。G7(8) からG20、そして今やGゼロの世界と評されています。2050年には人口大国トップ10には先進国では米国だけが残り、その他はアジアが4カ国、アフリカが5カ国を占める見込みです。

当然物事は決まらなくなります。世界を動かす枠組みが大きく変容してきているのに、私たちの常識はいまだG7の世界にとどまっているかのようです。

新聞は、今の時代にふさわしく、新たなグローバル視点で世界と対峙(たいじ)し、新しい切り口で報道することが求められています。また、報道は客観的かつフェアであるべきだと思います。

中国報道などは格好の事例です。この大国に関する報道には大きなばらつきがあります。中国べったりの報道があるかと思えば、明らかに毛嫌いしていることが底意に見える報道もあります。

◆国益を意識し、事実を多面的に伝える

大切なことは事実を多面的に伝えることです。この国は確かに世界第二の経済大国になりました。その一方で一人当たりの国民所得は約6000ドル(世界88位)で、トルクメニスタンとナミビアに挟まれています。

ところが1億円以上の資産を持つ人たちが既に5000万人を超えます。人口比にするとたいしたことはありませんが、絶対数では日本の人口の約半分の人たちが既にそのような資産レベルにあるということです。

また、20年も前から米国の大学院に毎年500人以上留学しているようです。この蓄積は徐々に中国企業の経営力強化に結びついていくことでしょう。このように社会のありようは、さまざまな視点から光を照らさないことには全体像が把握できません。

欧米のメディアを見ていると、時の権力や権力者には絶えず監視の目を向けながらも、論説のベースには国益が据えられているように思えます。いやしくも日本のジャーナリズムである限り、日本の国益を意識しないことはありえないと思っています。

私は、「健全な危機意識」という言葉が好きです。われわれは、人間社会の将来について危機意識を持つべきです。ただし、その危機意識は広く集められた事実に基づく健全なものでなければなりません。

一国の時々のムード(気質)に与えるメディアの影響力は甚大です。社会が健全であるためにはそもそも、社会の気質がポジティブであることが重要です。どんな時も否定から入るのではなく、築き上げる精神が必要です。

日本はグローバルな繋がりなくしては生存し得ない宿命を背負っています。日本が再び輝くためにメディアの果たすべき役割は言葉に表せないほど大きいのではないでしょうか。

2 responses so far

  • 小路誠子 より:

    はじめまして

    私が変わるきっかけになった”意識”についてブログにあげている者です。
    ブログにアクセスされた方で元記者、ジャーナリスト希望の方の意識的なサポートをしております。
    その方との会話がもととなりこの記事にたどり着きました。

    その方は、ある冤罪を応援しています。
    その行為は素晴らしいと思いますが、私が感じたことは、間違った方向に努力しているというものです。

    この記事を通して、再確認ができました。
    誰かを傷つけたり、怖がらせたりすることは間違いなのだと。

    人間は健全な意識をもってこそ救われますね。

    ありがとうございます。

    とても素晴らしいお考えだと思います。ご活躍何よりです。
    心から感謝申し上げます。

    小路誠子

  • 関 淑子 より:

    日本のメディアが駄目なのは、最近の現象ではないと思います。田中角栄の汚職も、社会党の村山富市が首相になった途端に自衛隊を合憲と宣言した時も、新聞やTVは厳しく追究するのを嫌がりましたね。

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