п»ї 乙女ケ丘と希望づくり『ジャーナリスティックなやさしい未来』第7回 | ニュース屋台村

乙女ケ丘と希望づくり
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第7回

4月 04日 2014年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。

先週に引き続き、全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ局「ミュージックバード」の「未来へのかけはし Voice from Tohoku」の放送分をお届けする。まずは、ラジオ放送の内容を紹介する。

◆3年目からが大事

東日本大震災からまもなく3年。このコーナーでは被災地の「今」を、現地の方々ご自身が綴った思いを、生の声で語っていただきます。

本日お伝えするのは、福島県富岡町の社会福祉協議会「おだがいさまセンター」、青木淑子(あおきよしこ)さんです。

富岡町は、原発事故の放射能汚染で、避難生活が続いています。富岡高校の校長も務めた経験もある青木さんは、避難先の郡山市を拠点に人々の生活の復興に取り組まれております。センターが運営する災害放送「おだがいさまFM」では、昨年の年越しに、富岡町の「龍台寺の鐘の音」を、避難する住民向けに放送しました。これは、帰れない故郷の、年越しの除夜の鐘の音です。
  
【青木さんより】
 家族を流され、家を流され、壊滅的な被害を受けた地域の惨状もさる事ながら、家があっても、土地があっても、そこに住むことを許されなくなった人間の思いは、新しい一歩を出すにあたって、どれほど大きなハードルとなるか分かりません。そんな中で、富岡町社協(社会福祉協議会)の「おだがいさまセンター」では、次のような事業をやってきました。

まず一つは、避難している方々への交流活動の支援です。交流の場を提供することで、人がそこに集まり、やがてそこから自治が生まれます。また、生きがいを見出すためにものづくりを促したり、その販売をお手伝いしたり―そうやって生きがいと希望づくり、そんなことも力を入れてきました。

また、情報活動に関する事業として、「みでやっぺ」という情報誌を月に2回発行し、臨時災害FM「おだがいさまFM」を開局して、生放送では郡山地区だけですけども、沖縄から北海道、全都道府県に避難している町民の皆さんに、インターネットやスマホでそれを同時に聴いていただいたり、ラジオを通して情報を共有するということにも努力してきました。

そして何よりも、被災後の富岡の現状が風化されてしまうことを防ぐために、語り部事業というものにも取り組んでいます。知ってもらうこと、またそれを語ることで、自分が今生きていることが、決して無駄ではなく、自分が生きて命があることが、人の役に立ち、次の世代に何かを残せるんだという、そういう希望を持ってもらうということのために、力を入れています。

いよいよ、3年が過ぎます。3年目からが一番大事な時だと言われています。「おだがいさまセンター」の支援活動は、来年度もますます力を入れて、住民の皆さんに寄り添って、続けていく必要があるというふうに、新たな気持ちで3年目を迎えようとしています。
   
【エンディング】
「おだがいさまセンター」の活動は、ホームページでご覧ください(http://odagaisama.info/)。風化を食い止めようとする私が関わる活動は「気仙沼線普及委員会」のフェイスブックでご覧ください。

(以上放送内容終わり)

◆喪失を埋めるために

富岡町の住民は現在、役場を郡山市のビックパレットふくしま内の間借りから、今年初めに同市内の仮庁舎に移転。住民は郡山市内のほか、いわき市などに分散して「避難生活」が続く。

今年初めから同町内の本格除染は、冒頭で紹介した龍台寺から始まった。復興に一歩前進しているように見えるが、お寺からの除染は、震災以来、墓地の墓石が倒れたままで先祖の墓参りができないままになっている住民の声を聞き入れ、彼岸までにお墓の整備をするのが目標だった。

放射能という見えない敵に、対抗するのは、そのような先祖への思いを形として表現する環境整備も不可欠である、この積み重ねが、青木さんの言う交流支援、そして「希望づくり」にもつながっていく。

青木さんが以前、校長の任に就いていた富岡高校は、現在も町外での疎開が続く。富岡高校には通称「乙女ケ丘」と呼ばれる場所がある。桜の木が並び、春にはピンク色に染まり、桜が散ると、それに変わるように地面では白い水仙が一斉に咲くという。

春から初夏にかけて、淡いピンクから真っ白に変わる景色は、地域の方や富岡高校で学んだ人の心に宿す故郷の景色。ラジオで紹介した除夜の鐘は故郷の音。それら慣れ親しんだ景色や音がなくなる、ということが「故郷を喪失した」ことなのだろう。

この喪失を埋めるために、「希望づくり」がある。誰もが将来への希望や、人とのつながりが、途切れそうだから、その負の力に抵抗するように、青木さんら「おだがいさまセンター」は活動している。

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