п»ї 人が生きるコミュニケーション『ジャーナリスティックなやさしい未来』第47回 | ニュース屋台村

人が生きるコミュニケーション
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第47回

5月 01日 2015年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

「人を幸せにするコミュニケーション」から始まって7編のコミュニケーションに関する記事を展開してきたが、この間、日本社会と政治をめぐるコミュニケーションの危機が急速に広がったような気がしてならない。

まずは季節の話から始める。3月の終わりから4月の境目。桜が咲くころに決まって思い出すのは、故郷を離れての大学入学や新聞社入社など希望に胸躍った時の思い出。桜を愛でるときに、決まってその過去にまつわる情景がよみがえる。同時に思い出すのが新聞社に入社してしばらくした時の先輩記者からの一言。地方の支局でデスクだったその先輩記者は、市民運動の記事を熱心に追うことをライフワークとし、権力や行政への追及を取材の基本としていた気骨ある人だった。

◆相手の普段着で

新人らしくスーツにネクタイ姿で仕事をする私に、先輩が言い放ったのは、「いつまでそんな格好してるんだ」との一喝。そして「君は誰を相手に取材したいんだ?」と続け、日本でも世界でもスーツを着ていない人こそが世の中の大多数であり、それが「われわれの取材対象」であり、それが「新聞記者の使命だ」と語った。そして、次の日から私もスーツを脱ぐことにしたのだ。

この精神は今、私がコミュニケーションに関する仕事などにも受け継がれている。多くの人とコミュニケーションをするには、その格好だけではなく、言葉の衣(ころも)を相手に合せなくてはならない。東日本大震災のボランティアで被災者という括(くく)りの中で様々な立場の人と話を重ねてきて、堅苦しい衣を脱いで「相手に普段着に合せること」の大切さを実感した。

特に震災直後から年月が経つにつれて、「力」を持った人は復興の中で確実に復活し、危機をチャンスに変えて成功している人もいるが、対照的に、希望を見いだせず取り残されてしまう人々もいる。概して、その人たちは庶民であり、美辞麗句の苦手な不器用な人たちであった。

震災から1年たった春、その「取り残された」と嘆く被災者たちと話をしながら、こう思った。「駆け出しの記者時代にスーツを脱いだのは、この人たちと話をするためかもしれない」と。同時にスーツを脱いだあの頃、同じ決意で、関わっていきたいと学びの場としたテーマにはまだ何も出来ていない悔しさがこみ上げてくる。それが沖縄である。

◆誤解・不信の原因

若い記者にとって沖縄は、米国の傘の下での安全保障を直視する現場であり、日本政府という権力を認識する場所であり、戦争の過去を振り返る教材であり、日米関係の現実を突きつけてきた。同時に独自の文化と気候に自然との調和や人間の豊かさ、庶民文化との触れ合いに心ときめかせてくれる土地でもあった。

私の世代の記者の多くがそうであるように、故筑紫哲也氏が新聞記者としてもニュースキャスターとしても見つめ続け、問題を抽出し続けてきたその姿勢も影響しているかもしれない。当時私は休みの時には沖縄に渡り、外国の軍隊を沖縄に「押しつけている」私たちの存在と現実を、どう理解し、自分の中で国家をどう位置づけていくのか、自分という国民と、自分という新聞記者が、何をするべきなのか、と自問自答してきた。

それは、やるべきことの理想とやれないことの多さに絶望する内面との葛藤である。あくまで一市民として土地の方々との対話を重ねて、沖縄戦の風化防止も、米軍基地の移転も、地位協定の問題も自分のものにしようと、普天間(ふてんま)基地を見たり、移設場所として持ち上がった辺野古(へのこ)の海を眺めたりしながら考えてきた。

対話の相手に、やはりスーツ姿の人はいなかった。誰もが涼しい格好をして、熱い思いを語り、若い私に「立派な記者になってよ」と檄(げき)を飛ばした。いつかは沖縄問題に取り組みたいと思いながら、毎日新聞や共同通信では縁がないまま、時が過ぎた。

冒頭で「コミュニケーションの危機」と言ったのは、この沖縄の米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾〈ぎのわん〉市)の同県名護(なご)市辺野古への移設問題が象徴するように、国民と政治、当事者間のコミュニケーションが不全に陥っていることが気になってならない。

沖縄問題は政治問題ではあるが、今起きているのはコミュニケーションの問題である。昨年11月の沖縄県知事選で移設反対を掲げ勝利した翁長雄志(おなが・たけし)氏は、その後年末に行われた衆議院選挙で自らが推薦する移設反対の候補者が県内全ての4選挙区で勝利をおさめたことで、民意は「移設反対」であることを確信し、3月23日に移設作業の停止を沖縄防衛局に指示した。

しかし、防衛局長が対抗措置として行政不服審査法に基づく執行停止を求め、林芳正農林水産相が翁長知事の指示の効力を停止する決定を行った。この行政手続の応酬は、訴訟が避けられない情勢だが、翁長知事が就任あいさつに出向いた東京で安倍晋三首相ら政権の中枢に4月まで会えずにいた。

時が過ぎ、安倍首相の訪米前に「面談」は実現したが、各報道を見ると、お互いが良好なコミュニケーションをしていたとは言い難い。コミュニケーション不全から誤解や不信が生まれ、衝突となるのは、小さなけんかも大戦争も同じ原理である。政権と沖縄県の記者会見やメディアを通じての伝言ゲームは、戦争に向かう火遊びにほかならないのである。

◆リーダーに向けて

この沖縄問題に限らず、特定秘密保護法や安全保障、戦後70年談話など、全てにおいて、今動き出している政治の流れは、コミュニケーションを積み重ねて民意を折り重ねていくという精緻(せいち)な民主主義の作法が欠如しているように思う。

政府からすれば、戦後70年談話は、懇話会を設置して専門家の意見を聴く態勢をとっていると反論するかもしれないが、背広を着たコミュニケーションだけが正しいとは限らない。円滑なコミュニケーションを、背広を着ていない人たちと、どうとっていくのかは、主義の左右に関係なく、民主主義と平和のプロセスには欠かせないはずである。

政治は言葉であり、対話であり、時には説得である。どんな問題でも徹底したコミュニケーションを貫くべきである。合意ができる、ゴールの見えるコミュニケーションなら誰でも出来る。ゴールが見えないからこそ、コミュニケーションを重ねるべきなのである。背広を着ている人とも、背広を着ていない人とも。これを「人が生きるコミュニケーション」と位置づけたい。今回は特にこの国のリーダーに向けて、そのコミュニケーションを要求したい。

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