п»ї 圧倒される丹念な取材と子細な描写『読まずに死ねるかこの1冊』第8回 | ニュース屋台村

圧倒される丹念な取材と子細な描写
『読まずに死ねるかこの1冊』第8回

1月 24日 2014年 文化

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記者M

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間100冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウオーキング。

第150回芥川賞・直木賞がさきごろ発表された。節目を迎えたこれら二つの賞について新聞各紙はこぞって特集を組んで紹介した。ただし、受賞作だからといって必ずしも読者の支持が高いとはいえないほか、作家の中には受賞作以外にこれといった作品が見当たらず「一発屋」みたいなところもあって、僕は関心はあるものの受賞作を直ちに読んだことはない。そして残念ながら、ずっと後になって読んでみて、期待を裏切られることも少なくない。

特に近年の受賞作は表現も内容もよく理解できないものが多く、とりわけ芥川賞については、「芸術性」なるものを重んじるあまり、ついていけないような作品が多い。文芸評論家の市川真人早稲田大学准教授は2014年1月11日付の朝日新聞紙上で、両賞について「芸術性と大衆性のせめぎあう地点にある」と解説していたが、近年の受賞作をみていると、年々その傾向は強まり、大衆性よりも(一般の読書家には理解できないような)芸術性のほうが重視されているようだ。

◆動画として想起させる文字の迫力

吉村昭(1927~2006年)は芥川賞候補に4度なりながら、結局受賞できなかった。受賞の知らせを受けて駆けつけると間違いだったということもあったという。

僕は、関東大震災からちょうど90年となる2013年9月1日、震災当時避難場所の一つになった上野公園で、防災訓練のもようを見ながら、菊池寛賞を受賞した吉村の『関東大震災』(文芸春秋、1973年)の中の描写について記憶を新たにしていた。

この日はまだ真夏の暑さといっていいほどの猛暑で、汗だくで上野公園を目指して自宅から20キロほど歩いてきた。公園の中にあるしゃれたカフェテリアでアイスコーヒーでも飲んで涼みながら訓練を見学しようと思って来たのだったが、午前10時前にはすでに満席で、仕方なく屋外に出て木陰に近いテーブルに腰を下ろした。

関東大震災では10万人以上が犠牲になったが、その内訳をみると、建物の倒壊による圧死よりも火災による死者のほうが断然多く、その数は全体の約87%に相当する9万1千人以上に上る。

地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから次々に延焼していった。このくだりは『関東大震災』の中で詳述されているが、特に現在の東京都墨田区横網の陸軍本所(ほんじょ)被服廠(しょう)跡地での火災の猛威と惨劇は当時の状況が脳裏に動画としてイメージできるほど細かで、背筋が寒くなるほどである。

吉村の一連の作品に通底するのは、私的な感情は避け、丹念な取材を基に事実に最も近いと思われる細かで丁寧な描写によって、読者にその場面を容易に画像として想起させるほどの圧倒的な迫力がある点である。その意味で吉村は、ノンフィクション作家と呼んでもいいかもしれない。

炎天下での上野公園の防災訓練はイベント色が強く、90年前の関東大震災を思い起こさせるような要素は何一つなかった。だからこそ、吉村が『関東大震災』の中で子細に、かつ淡々と描いた被災当時の状況と真逆のような好対照をなしているように思え、その力に改めて圧倒された。

◆史実に肉薄するドキュメンタリー

僕は記者としての駆け出し時代を長崎で過ごした。学生時代に気合を入れて読んだ遠藤周作のキリスト教を題材にした一連の作品に感化されたことも、長崎赴任を希望した理由の一つだった。遠藤の小説の中に出てくる長崎の地は、取材や旅行ですべて足を運んだ。

しかし本当に残念なことに当時、僕は吉村昭の作品をまったく読んでいなかった。もし読んでいたら……。楽しい思い出ばかりの長崎時代がより充実していたに違いないと、いま正直、悔やんでいる。

鎖国時代、日本の中で外国への唯一の窓口だった長崎の出島。吉村昭の作品の中には、出島を舞台にしたものや出島から派生したものがある。やがて明治維新を迎える動乱の前後。その時代に生きた人々を克明に活写した吉村の作品は細かな所作や心理描写によってどれも、動画のようにイメージできる。読了後、その残像が余韻として残る。日本史が不得意だった僕でも、史実を説得力のある文学作品として楽しむことができる。

『長英逃亡』(新潮社、1984年)は、明治時代の文明開化を先取りした近代思想の先駆者として幕末期の最も傑出した存在だった高野長英(たかの・ちょうえい)を描いた作品である。蘭方医学を学び、シーボルトに師事。町医を開業しつつ西欧事情を研究したが、鎖国政策を批判したため幕府に捕らわれ、終身禁固刑に。入牢後5年で脱獄し、6年にわたる逃亡生活の果てに幕府に再び捕らわれ、47歳の生涯を閉じた。

作品では、長英の脱獄から逃亡生活のもようが細かに描かれており、史実に基づいたドキュメンタリーに近い。長英の逃亡を行く先々で友人たちは自らの危険も顧みず献身的に支え助ける。長英と彼を助ける人たちの紐帯(ちゅうたい)に、時代を超えて「持つべきは友」だと痛感する。

この作品を僕に最初に薦めてくれた吉村昭ファンの友人は「読みながら、長英とともに逃亡していたので、読了後しばらくは親友を失ったような虚脱感に襲われた」と話した。

去年暮れ、吉村が栄誉区民になっている東京都荒川区の日暮里図書館と荒川ふるさと文化館を訪ねた。これら2カ所には吉村が生前使っていた机や万年筆、生原稿の写しなどが展示されている。区によると、「吉村昭記念文学館」の2016年開館をめざし今年着工するという。開館までに吉村の膨大な作品群を読破し、ぜひ訪ねたいと目標を立てている。

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