п»ї 尊敬する「人倫国家」への失望と、そして切ない希望 『ジャーナリスティックなやさしい未来』第92回 | ニュース屋台村

尊敬する「人倫国家」への失望と、そして切ない希望
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第92回

11月 10日 2016年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括。ケアメディア推進プロジェクト代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆事業所に彼を呼ばない

米大統領選挙が共和党のドナルド・トランプ氏の大逆転勝利の報を受けて、私は大きな失望感におそわれている。民主党のブルーでも、共和党のレッドでも、どちらでもよかった。その国が主義主張を決めるプロセスと結果は国の専権事項である。しかし、今回の結果は赤と青の戦いではなく、異質のリーダーが、最も大事にすべき「人倫」、平たく言えば「人への配慮(ケア)と優しさ」が欠如しているという人を選んだという事実に愕然(がくぜん)としている。

根強いエスタブリッシュメントへの反発もあるだろうが、トランプ氏が異端であればあるほど、言動が過激であるがゆえに、有権者は彼に動いた。結果として、「人倫」を後回しにする思想が受け入れられたことは、副産物であってほしい、と願うばかりである。

自国優先、守るもののために攻撃もいとわない――。中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領しかりで、これはリーダーの世界的な潮流かもしれないし、この2大国のリーダーの気質が米国の選挙に影響したとも言えるだろう。「強さ」は「優しさ」ではなく「攻撃」という論理。言動でもそれは明らかだが、いるだけで威圧の空気感があるのは間違いない。

私がいる精神疾患者向けの事業所には彼を決して呼ばない。拒否反応をする人が多いことは容易に想像できるからだ。トランプ氏が何を言おうが、笑顔を取り繕うが、漂う雰囲気は隠せない。人へのケアという雰囲気の中にある福祉現場に彼はしっくりこないであろう。しっくりこないことを演出で隠すであろう。政策立案や実行のために、しっくりこない福祉に焦点をあてようとすると、彼はマイノリティーの考えを憑依(ひょうい)させるしかない。彼にはできるだろうか。強い自我はそれを妨げることしかないように思う。

◆偉大な米国の寛容

高校時代のこと、初めてホームステイしたのはロサンゼルス近郊のリバーサイドという町だった。カウボーイハットをかぶった無骨なドイツ系移民の主人と小柄なヒスパニック系の妻、高校生の息子と小学生の弟の4人暮らしに私は迎えられた。

初対面の時に、主人のその大きな手での力強い握手は今でも忘れられない。包み込むような無骨な手。これが私の米国の最初の印象だ。同時に移民夫婦は典型的なカリフォルニアのリベラルな空気の中で暮らしていた。高校3年生の私に「お前は将来何になりたいんだ」と率直に聞かれ、たじろぎながら「ジャーナリスト」と答えことは、その後の記者を目指す決意表明ともなったから、このホストファミリーは私の恩人であり、そして多様な国や文化や民族を許容する寛容さを目の前で見せてくれた。それが「偉大なる米国」として尊敬する原体験となった。

もちろん、ベトナム戦争のことは知っているし、当時の核兵器開発に突き進むレーガン政権の矛盾も知っていた。それでも、米国はこの移民夫婦のようにマイノリティーを尊重し、アジア人の自分も大切にしてくれる「人倫」を尊重する模範を示してくれたことは、それらの矛盾を解消してくれたのである。

今回の選挙でそれが瓦解したことになる。2001年9月11日の米中枢同時多発テロ以降のアフガニスタン侵攻と、結局は存在しなかった大量破壊兵器を理由に侵攻したイラクも、大きな過ちだった。それを「ブッシュの戦争」と名付けた人もいて、それの揺れ戻しとして黒人初の大統領としてオバマ氏が進めたのは、理念の追求だった。「オバマケア」という医療保険制度改革は彼らしい政策だが、これが米国という社会には馴染まないらしい。

そしてまた揺り戻しが起こったのである。最悪な揺り戻しである。

◆福祉の対極

今回の米国民の判断により、悲しいかな、私の米国への思いの「貯金」はすべてがマイナスになってしまった。

他国のことだから、と受け流してしまうのは簡単だが、この風潮は日本にも輸入されそうだから憂鬱(ゆううつ)だ。トランプ氏に喝采を送る人たちも少なくないし、その人たちは、福祉やマイノリティーに対して本当の理解を示す人たちとは対極にいるような気がしてならない。世の中を貨幣的価値ではかり、人倫としての社会の成り立ちを後回しにうるような思考は、怖い。

だけれども世界は終わってない。この終わりと始まりと思うしかない。

絶望的な人が何かをきっかけに「よく」なる事例を、私自身、精神疾患の世界で見てきた。それが今の私の仕事だ。それは人を信じることから始まったはずで、そんな気持ちを呼び起こしながら、また米国という偉大な国とつき合っていきたいと思う。

これは切ない希望なのだろうか。

■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/

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