п»ї 教育は格差の根源? 「近代」を撃つイスラム国『山田厚史の地球は丸くない』第32回 | ニュース屋台村

教育は格差の根源? 「近代」を撃つイスラム国
『山田厚史の地球は丸くない』第32回

10月 24日 2014年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

カナダの国会で起きた銃乱射事件。米国に高まる地上軍投入の気運。中東の過激派組織「イスラム国」を巡る緊張は高まり、世界のどこでもテロが起きかねない状況になった。イスラムは怖い。そんなイメージが広がっている。

◆過酷な現世を忘れる精神安定剤

イスラム教徒とテロを結びつける発想は日本の警察にもある。3年前、警視庁から流出した公安情報にその一端が現れている。「テロ対策」として都内に住むイスラム教徒をリストアップし、身辺を監視していた。

なじみ薄い人にとってイスラム教は凶暴な宗教と受け取られがちだ。過激派は女性を差別し、自爆テロも辞さない。人質の首を切断するシーンをネットで公開する。イスラムは何をするかわからない、という刷り込みが世界に広がった。

バンコク駐在のころ、タイ南部のイスラム社会や世界最大のイスラム国インドネシア、金持ちイスラム国のブルネイなどを取材する機会があった。砂漠の民の宗教が、なぜアジアの農耕社会で拡大するのか。関心はそこにあった。

結論からいえば、イスラムはマネー経済が巻き起こす「近代化」を養分に肥大化している。農村共同体が貨幣によって壊されていく過程でイスラム教が広がっている。富が一部の者に偏る現実。イスラムは富める者は無条件に貧しい者に施しを与え、貧者はこだわりなく恩恵に浴す。アラー(神)の前では、階層や貧富の隔てはない。経済活動が引き起こすストレスを解消する響きが聖典コーランにはある。イスラムは信者にとって「温かな共同体」だ。

カール・マルクスは「宗教はアヘンだ」と言ったが、イスラム教は過酷な現世を忘れる精神安定剤として広まっているのではないか、とさえ思った。

貧困から脱出するためには教育が欠かせない。近代が到達した「教育の普及」という大原則も、現実には「格差を生む芽」になっている実態があった。「すべての子を学校に行かせるから貨幣経済が広がった」という意見をイスラムの人から聞いたことがある。

自給自足の経済では貨幣は暮らしの補助的な役割でしかなかった。例えば灯油を買うため飼っているニワトリを市場で売る。そんな光景は21世紀初頭のラオスの村にもあった。前近代的な風景を一変させたのが教育の普及である。

教育は人々を自由にする。努力すれば貧しい暮らしから抜け出ることができる。それは現金の必要性を認識させることにもなる。学校はカネがかかるからだ。

政府には潤沢な教育予算がない。教師は給料では暮らせない。学校で教材を売って生活の足しにする。親は子供だけは学校にやりたいと思う。学校という家庭外の営みは、暮らしを現金経済に引き込む入り口だという。

家族が食べる分を作ればよかった農耕が、作物を売る商品生産へと傾斜する。生産性が重視され、肥料・種もみ・資材が必要になる。仲買人から借金して買いそろえ、収穫時に清算する。ところが現金を手にすると消費は急速に膨らみ、やがて借金漬けになる。田畑や牛を手放す結果にもなる。現金を求め働き手は都市に流れ、家族はバラバラになり共同体は崩壊する。

◆マネー経済がもたらす共同体の崩壊

日本で起きたことが、アジアで激烈に起きている。社会問題の根源はマネー経済がもたらす共同体の崩壊にある。絆を断ち切られ孤立する人々の怨念は社会を不安定にし、一方で避難所としてイスラム過激派を増殖させる。

身内には温かいが異なる神を崇める他者に戦闘的なのがイスラム過激派だ。怨念と結合すると闘争のエネルギーは爆発する。

マネー経済は近代の所産である。キリスト教や帝国主義と結びつき、文化の違う国を植民地にして蹂躙(じゅうりん)した。分かりやすい例が中東であり、シリア、イラクである。

アメリカでさえ、貧者やアフリカ系移民にイスラム教は浸透した。貧者の宗教として、強者が作った世界秩序を揺るがす力になろうとしている。

日本にいるとマネー経済=金融資本主義、あるいは市場原理主義へと対立軸は社会民主主義という発想になりがちだ。だが世界では、市場原理への対立軸はイスラム、という構図である。ソ連の崩壊、中国の変容が、資本主義VS社会主義という対立構造を消滅させた。

米国の一極支配は、資本の自己増殖を良しとする近代合理主義を肯定し、強者が自由に羽ばたける方向に世界を再編した。貿易・金融の自由化、市場開放、規制緩和、知的所有権など経済のグローバル化は途上国を多国籍企業の餌場にした。

共産圏との緊張感があった時、強者の論理を丸出しにすれば、足元から反乱が起きかねなかった。資本主義を進めながらも、社会保障や生活保護、福祉社会への配慮が欠かせなかった。「努力した者が報われる社会」は、強者に抑制が求められる社会でもある。

強欲や身内の利益に目が向かうと、弱者は黙っていない。「努力のしようがない人たち」が沢山いる。世界は平等なスタートラインに立ってはいない。アジアの各地を取材してそうした現実を痛感した。

◆貧困とイスラム過激派の増殖

20世紀末の体制問題に決着をつけた世界は、アメリカ型の市場原理主義へと舵(かじ)を切った。真っ先に金融で起きたのが、リーマン・ショックだった。その後遺症は今も続いている。

そしてグローバル資本が処女地として活動する新興国で起きたのが、貧困とイスラム過激派の増殖だ。イスラム国はその象徴である。先進国の若者が吸い寄せられるのも「貧困構造」が世界に広がっているからだ。

今や恐怖の的になっているイスラム国は、今の世界を映す鏡だ。冷戦が崩壊し、強者の論理を丸出しにした世界が作り出した闇ではないのか。

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