п»ї 運転手いろいろ、人生いろいろ『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第34回 | ニュース屋台村

運転手いろいろ、人生いろいろ
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第34回

11月 28日 2014年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

タイ在住17年目に入ったが、日本では滅多に味わえない経験として「運転手付き自動車の使用」がある。この17年間私は主に3人の運転手を使ってきた。運転手は単純に自動車を運転するものと思っていたが、これら3人の運転手にはそれぞれ特徴があり、運転の仕方にこんなに差があるものかと勉強させてもらった。

今でこそバンコク市内に高架鉄道や地下鉄が3路線出来たが、いまだに公共交通機関は不十分。自分で自動車を運転しようにも交通標識が統一されず、さらに日本人には解読不能なタイ文字で書かれている。

バンコク市内は絶対的に道路面積が足りず(都市に占める道路の割合はバンコク9%、東京12%、米ニューヨーク・マンハッタン18%)、苦肉の策としてバンコクでは時間帯によって道路の上下線の車線数を変えたりする。タイ語が読めないと、時間帯によっては反対車線を間違えて走ることになり、大事故につながる。

タイではまた、10年ぐらい前までは自動車でも「赤信号は注意して通り抜ける」ということがあった。最近はかなり運転マナーも良くなったが、ウインカー無しの車線変更は当たり前。車線もあってないようなもので、車線をまたいでの運転も当たり前。これに加え、オートバイがこの自動車の間隙を縫って縦横無尽に走っている。危ないったらありゃしない。

こんな状況なので、タイに赴任した大半の日本人駐在員には運転手付きの自動車があてがわれる。日本にいて運転手付きの自動車に乗れるのは政治家、高級官僚、一部上場会社の役員、中小企業の社長などごく一部の人に限られる。こんな中で私は17年もの長きにわたって運転手付き自動車に乗れたのである。なんと幸せなことであろうか。今回は、私の3人の運転手の違いについて感じたことを紹介したい。

◆フェラーリを抜き返す元レーサー

まずW運転手である。元レーサーだった彼は運転がとてもうまかった。時速200キロ以上で走ることも当たり前。追い抜きする時はパッシングサインを出した後、時速150キロで走行していても、前の自動車の1メートルぐらいまで車を接近させ、横幅30センチほどで追い抜いていく。

W運転手を使っていた頃の私はバンコクから100キロ以上離れた工業団地にある顧客を頻繁に訪問し、年間3万キロぐらい自動車で移動していた。時間を効率的に使いたかった私は、移動時間を短くしてくれるW運転手の自動車運転は大変ありがたかったが、後部座席に乗りながら生きた心地がしなかった。

とにかく気が強い。ある時は高速道路でフェラーリに抜かれ、突然スイッチが全開。フェラーリを追走しフェラーリを抜き返した時、フェラーリの運転手が苦笑いをしていた。また別の車が車線変更をする時なども絶対に自分の車の前には入れさせなかった。

バンコク市内でも彼の運転には特徴があった。それは少しでも前に出ようとする姿勢である。複数の車線があり、信号機などで自動車を停車させる時は、車線変更をして一番待ちが少ない車線に移動をした。

しかし、待ち自動車が少ない車線には少ないなりの理由がある。前に大型トラックがいたり左折車がいたりする。大型トラックは加速が遅いので、その後についていればこちらも青信号に変わった後、加速が遅くなる。結果として隣の車線の車がどんどん追い越していくのに、こちらは出遅れてしまう。

右折車や左折車がいても似たようなことが起こる。毎日の通勤経路のため、混雑のあり方などわかってよさそうなものなのにW運転手は自分のポリシーを変えない。常に一歩でも前に出ようとするのである。

◆場所も行き方も覚えない

2番目のT運転手は、W運転手と全く違うのでびっくりした。とにかく安全運転。時速100キロ以上は滅多に出さない。顧客訪問の際の移動時間が大幅に増加してしまった。

それだけではない。割り込みの車があってもすべて入れてしまう。歩行者を見かけると必ず止まる(日本では歩行者優先が当り前だが、タイは自動車優先)。あまりの人に対する優しさとおっとりさに、使い始めた当初は私もかなりイライラした。

しかし徐々にT運転手にも良い所がいっぱいあることがわかってきた。例えば道路の分岐点などでこれから行きたい方向が混んでいた場合など、彼は路肩などを使ってスルスルと前に進み、分岐点近くで割り込んでしまうのである。

他人の割り込みを許すが、当り前のように自分も割り込む。渋滞時の車線の選び方なども理にかなったもので、結果的に一番早く進む車線を選ぶことが多かった。
もう1つ面白かったのが、駐車場での駐車場所である。T運転手はなぜかコンサート会場などでも出口に一番近い場所に駐車して私を迎えてくれた。これは彼の人徳の成せる術ではないかと思った。

高齢のため最近辞めた3番目のN運転手は更に驚くことがあった。昔ながらのN運転手は、自分の仕事は「自動車を運転することだけ」だと思っている。工業団地やゴルフ場など何度行っても、場所も行き方も覚えない。それは彼の仕事ではないのである。そのつど、私に道を聞く。

毎日の通勤経路はさすがに覚えたが、車線についても私が指示したものをずっと使い続ける。状況を見ながら判断するなどと言うことはない。しかしそもそもは私が指示した行き方である。私としても文句は言えない。

こんなN運転手であるが、不器用なゆえに優れた面もあった。どんな所に行っても私を迎えるために自動車を玄関の前に置くのである。警備員に文句を言われてもひるむことなく、私を玄関の前で待つのである。もっとも時によっては私もそれで 恥ずかしい思いもしたが。

◆三人三様 まるで中国、タイ、日本

自動車を運転するという単純に思えることでも、運転手によってそのあり様が違うということに気づき、私は人それぞれの性格や人生観に思いをやってしまう。そうしているうちに、私はこうした違いが国というレベルでもあると思いあたった。

W運転手はさしずめ中国。勝ち気で自分が一番でなければ気が済まない性格。それによって損をしている部分があるのにも気が付いていない。T運転手はタイ。「サバーイ、サバーイ」と生きながら、ちゃっかりと他人の懐に飛び込み、結果として良いポジションをキープしている。残念ながら日本は、高齢化したN運転手か? 昔ながらのやり方を金科玉条として守り、アメリカに忠誠を誓う。同じく国家を運営しているのに、各国によってその方法が大きく異なる。

そんなことを考えていると、自然に私は島倉千代子のあの歌を口ずさんでいた。「人生いろいろ、国もいろいろ」。私はこれら3人の運転手の車の後部座席に座りながら、彼らの自動車の運転の仕方、行き先までの経路、車線のとり方などいつもイライラしながら見ていた。しかし、決して直接文句を言うことはしなかった。私は自分自身のことは、少しはわかっているつもりである。彼ら3人の運転技術は、私よりも圧倒的にうまかったのである。

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