п»ї 31 | 7月 | 2015 | ニュース屋台村

Archive for: 7月 31st, 2015

携帯電話依存症になっていませんか
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第51回

7月 31日 2015年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

日本に出張で帰ると、私には奇異に映る光景が幾つかある。日本の電車では老若男女を問わず、乗客が席を取り合う。バンコクの電車では老人や女性がいると皆、率先して席を譲るのが当り前である。ところが日本では、若い学生であってもドアが開くと走って席を目指す。そしてすぐに携帯電話を取り出す。よくよく見ると、座席に着いている人の8割程度の人が携帯電話をいじっている。それとなく観察してみているとメールやラインを送っている人、ゲームをしている人、ブログを読んでいる人など様々なようである。しかし無言で黙々と携帯電話に向かっている姿は、私には気持ち悪く映る。

◆スマホ登場で激変した日常の風景

私にとってもっと解せないのは、レストランやカフェで若い男女が向かい合って座っているに、2人はほとんど話もせず携帯電話をいじっているのである。これでは何のためのデートなのかわからない。ひょっとしたら2人テーブルで向かい合いながら、メールで会話のやりとりをしているのではないかと勘ぐってしまう。
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インドネシア華僑系企業との取引のビジネスマナー
『東南アジアの座標軸』第11回

7月 31日 2015年 国際

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宮本昭洋(みやもと・あきひろ)

りそな総合研究所など日本企業3社の顧問。インドネシアのコンサルティングファームの顧問も務め、ジャカルタと日本を行き来。1978年りそな銀行(旧大和銀)入行。87年から4年半、シンガポールに勤務。東南アジア全域の営業を担当。2004年から14年まで、りそなプルダニア銀行(本店ジャカルタ)の社長を務める。

私は2004年2月から14年9月まで足掛け約11年半にわたり、インドネシアの日系合弁銀行の経営トップを務めました。この銀行はりそなプルダニア銀行(旧大和プルダニア銀行)で、日本とインドネシアが国交を回復した1958年2月に日系合弁企業第1号として誕生した銀行です。今回は、私が在任中に学んだインドネシア華僑系企業と取引するうえでの大切なビジネスマナーについてご紹介します。

◆地場に密着した経営を貫く

最初の本店は北ジャカルタに位置するコタというインドネシア華僑中心の商業地区に置かれました。日系企業が進出していない時期ですから、銀行の取引先は近隣の商店街の華僑とのビジネスが中心でした。このため私の在任中には、成功している華僑の方から「子供の頃に両親に手を引かれてコタ本店を度々訪れましたよ」という懐かしい話を聞くことがありました。
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シンガポール人にとっての兵役
『アセアン複眼』第9回

7月 31日 2015年 国際

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佐藤剛己(さとう・つよき)

企業買収や提携時の相手先デュー・デリジェンス、深掘りのビジネス情報、政治リスク分析などを提供するHummingbird Advisories 代表。シンガポールと東京を拠点に日本、アセアン、オセアニアをカバーする。新聞記者9年、米調査系コンサルティング会社で11年働いた後、起業。グローバルの同業者50か国400社・個人が会員の米国Intellenet日本代表。公認不正検査士。

戦後70年の節目に、日本の安全保障のあり方についての議論が活発になっている。この分野で多少心得のある身としては言いたいことはあるものの、本稿ではシンガポール人の日々の言葉や行動から読み取れる彼らの兵役に対する考え方を紐(ひも)解いてみたい。そこからシンガポールが安全保障にどう取り組み、それが日本とどう違うか、8月15日を前に読者に考えていただく参考になれば幸いである。

◆シンガポール国軍の姿

今年建国50周年を迎えるシンガポール。陸軍を主体に約7万人が現役である。建国当時は歩兵連隊2個1000人しか自前の兵士がおらず、しかもほぼ全員が当時在住の非シンガポール人だったとされる。徴兵制が始まったのは、駐留イギリス軍が撤退を決めた1967年。周囲を大国(しかもイスラム教徒の国)に囲まれ、国土を守るには職業軍人だけでは足りない状況だった。イスラエルから極秘に専門家を招へいし、軍や徴兵システム、また諜報(ちょうほう)手法まで協力を仰いで今日の基礎を築いた。イスラエルとシンガポールは軍事面で今も協力関係にある。
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