п»ї 30 | 5月 | 2014 | ニュース屋台村

Archive for: 5月 30th, 2014

カジノで「お・も・て・な・し」
『山田厚史の地球は丸くない』第22回

5月 30日 2014年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

安倍首相はアジア安全保障会議に参加するため30日、シンガポールに発った。会議後、米ラスベガスのサンズ社が経営するカジノ施設「マリーナベイサンズ」を視察する予定だ。経済・金融情報を配信する米ブルンバーグは29日、サンズのアディルソン会長が「安倍首相にカジノ解禁をお願いする」と語ったことを伝えた。

安倍首相は超党派の国会議員による「国際複合型観光施設(IR)推進議員連盟」(通称カジノ議連)の最高顧問を務めており、首相の視察を機に、水面下で進んでいた「カジノ解禁」がいよいよ表面化する。
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改善は時には革命的成果をもたらす
『ものづくり一徹本舗』第16回

5月 30日 2014年 経済

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迎洋一郎(むかえ・よういちろう)

1941年生まれ、60年豊田合成入社。95年豊田合成タイランド社長。2000年一栄工業社長。現在中国、タイで工場コンサルタントを務める。自称「ものづくり研究家」。

前回、リンゴの木のイラストで誇りのもてる工場づくりを紹介したがその中で、原価の枝に注射器でカンフル剤を注入している絵を示し、「改善効果が遅い、少ないときには特命業務として専任者または、プロジクトチームを作り対応することが肝要である」旨を説明した。今回は、その成功事例について述べてみたい。

◆新たな技術開発へ特命業務

新しく赴任した工場は前にも述べたように、社内で最も操業の歴史が浅いため、ものづくりの技術も弱く加工技能も劣っていた。そのためムダ、ムリ、ムラも多く長い間慢性的赤字体質から脱出できないでいた。しかし私の赴任後、工場の役割とやるべき仕事の方向を明確にすることで全職場の改善が進み、改善提案件数も年間数千件と活性化した。
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「気質」から見る日本とアジア その1
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第15回

5月 30日 2014年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。

◆焦点は根源的エネルギー

戦後レジームからの脱却を掲げて誕生した2006年の安倍晋三政権だったが、安倍首相の体調不良による退陣から、復活した12年からの第2次政権は、民主党の自壊もあり、衆参両議員の多数を獲得し、次々とレジーム脱却に向けた法案や政策、人事、そして判断が行われてきた。一つひとつは小さく見えても、気がついたら、国の形を変え、外交の上でも国際関係が変わってくる。今回は、それら現象を国の「気質」という面から考え、特にアジア外交における各国の気質と関係性を明らかにしたい。

まず前提に気質を理解してもらう必要がある。気質は、個人においては生まれ持った「生きる戦略」であり、生まれてから大声で産声をあげる赤ちゃんも、儚(はかな)げな産声の赤ちゃんもそれぞれの気質によっての行動であり、性格行動とは、この気質が表面化、行動化したものである。
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マレーシアの玄関 マラッカ
『マレーシア紀行』第4回

5月 30日 2014年 国際

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マレーの猫

エネルギー関連業界で30年以上働いてきたぱっとしないオヤジ。専門は経理、財務。実務経験は長く、会計、税務に関しては専門家と自負。2012年からマレーシアのクアラルンプールに単身赴任。趣味は映画鑑賞、ジャズ、ボサノバ鑑賞、読書。最近は浅田次郎の大ファン、SF小説も

マレーシアでの単身駐在期間が長くはなってきたが、それでもこの国のことをあまり知らない私があれこれ書くのは気が引けるが、旅行記第4弾を書くことをお許しいただければと思う。今回紹介させていただく場所は、クアラルンプールから車で約2時間で行けるマレーシア半島の西海岸にあるマラッカである。

マラッカ海峡は世界的にも有名で、日本の小学校でも社会科の授業で習うので、知らない方はいないと思う。ただ私自身、名前も海上交通の要衝であるということも知ってはいたが、それ以上のことはほとんど知らないというか、マレーシアに来るまでは興味もなかったのが正直なところである。
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