п»ї 貿易世界ルールの終焉―WTOはなぜ行き詰まったか『山田厚史の地球は丸くない』第11回 | ニュース屋台村

貿易世界ルールの終焉―WTOはなぜ行き詰まったか
『山田厚史の地球は丸くない』第11回

11月 29日 2013年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

世界貿易機関(WTO)の交渉が行き詰まっている。貿易の円滑化など新たな分野の取り決めを話し合うドーハラウンドで各国が折り合わず、10余年かけた交渉は決裂寸前だ。交渉失敗となれば、国境を越えた経済ルールを世界規模で進める、という難事業はついに挫折となる。

だが、そんな現実に驚きはない。「WTOはまだ交渉していたのか」というのが私の率直な思いだ。途上国の台頭で力関係が変わった。強国が音頭を取って世界共通のルールを作る、という考え自体が「妄想」になろうとしている。

日本ですら10年余前「WTO離れ」に舵を切っていた。輸出立国として貿易の共通ルールを重視する日本も「WTOを当てにできない」と考えたからだ。

政府内部に路線闘争があった。外務省vs経済産業省である。「多国間協議」を重視する外務省は「貿易交渉はWTOを軸に」だった。多くの国が集まり品目やテーマごとの交渉は、貿易以外の外交課題も交渉に絡むことから「多国間交渉」なら外務省が主導権を握れると考えた。

経産省は「二国間交渉の時代だ」と考えた。業界利益を背負う同省は、相対で利害損得がぶつかり合う二国間交渉のほうが出番は多い。世界を見渡せば、WTO交渉に見切りをつけ、話をつけやすい相手国を探して自由貿易協定(FTA)を結ぶ動きが目立っていた。欧州連合(EU)は経済統合を完成させ通貨統合へと動き、米国はカナダ、メキシコと北米自由貿易協定(NAFTA)を結んだ。WTO交渉だけでは取り残される、と考えた。

日本政府が二国間交渉重視に舵を切ったのが、2001年のシンガポールとのFTAだった。「開店休業」のWTOを見限り、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国や中南米の途上国を取り込む個別交渉が始まる。行き着いた先が環太平洋経済連携協定(TPP)である。アメリカの価値観を軸にアジア太平洋に経済圏をつくる。面倒な中国は来なくていい。巨大経済圏が出来れば、いずれ中国を引き込める、という戦略だ。

交渉に時間を費やすより、気の合う仲間と既成事実をつくる。この10年を振り返ると、そんな流れである。

◆強国が支配してきた交渉

なぜWTOは行き詰まったのか。答えは、交渉に在り方にある。

貿易交渉がWTOの前身である貿易・関税一般協定(GATT)で行われていた1988年のことだった。本部のあるジュネーブでウルグアイラウンドの交渉が続いていた。会合の合間に会った日本の交渉団の一人が「途上国が可哀想だ」とつぶやいた。交渉で自国に有利な条件を引き出すのが仕事である外交官が、ふと漏らした言葉に交渉の現実が滲(にじ)んでいるように思えた。

ジュネーブの交渉は、本会議と休憩を小刻みに繰り返し進んでいた。というより、本会議より休憩が長い。大事なことは休憩の間に決まる、ということだった。休憩中に「グリーンルーム会合」が頻繁に開かれていた。壁紙に緑の線がある会議室で、事務局長が主要国の交渉官を呼び込んで非公式に話を詰める。グリーンルームが実質的な交渉の場だった。常連は米国、EUなど大国だ。

建前では各国平等だが、交渉力に歴然たる差がある。交渉団の人数、情報量、事務局人事への支配力などが発言力につながる。主たる公用語は英語だ。大国が裏で握り、外交力を使って多数派工作を繰り返す。途上国は手も足も出ない。

交渉の裏舞台を解説してくれた担当者は「途上国は大国にいいようにあしらわれる」と言外に語っているように思えた。

交渉が難航しながらも着実に成果を挙げていたのは、強国が貿易交渉を支配できたからである。背景は米国の一極支配、対抗勢力としてのEUという構造があった。難航しても先進国同士で折り合いをつければ済むことだった。

◆経済交渉は形を変えた戦争

21世紀になってその構造が変わった。冷戦が終わり「戦場から市場へ」の時代になった。軍事費の負担から解放され、直接投資が流入する途上国は経済に目覚め発言力を強めた。主導権は握れないが、拒否することは出来る。それまで途上国の意見はインド、パキスタンが主張していたが無視されることが多かった。そこに中国、ロシアが加わり、米国の主導権は後退し、WTOは世界を動かす装置として機能しなくなった。

冷戦が崩壊して始まったグローバル資本の奔流が豊かさの代償として社会のひずみをあちこちに生んだことも、途上国の声を大きくした。

WTOのとん挫は、米国支配が壁にぶち当たったいまの世界の一端でしかない。分かっている米国は作戦を変え、NAFTAをつくりTPPを主導している。WTOで貫徹できなかった新秩序を環太平洋に実現しようとしている。基軸となる価値観は「グローバル資本の活動の自由」。世界的な規制緩和、ルールの共通化である。

経済力が均衡する国家間なら効率化につながる側面もある。だが技術力・経営力・資金力に劣る途上国は不利だろう。

国益を争う経済交渉は、形を変えた戦争でもある。共存共栄を謳(うた)いながら、相手市場に攻め込んで利益をむしり取る。途上国にとっては、資本が流入し経済が活性化する。成長は高まり、マクロで量る経済は好転するが、放置すれば社会の格差が広がるばかり。中国がいい例だ。成長して人々は豊かになったが、社会は「革命前夜」の様相だ。

◆奪い合う関係から、分かち合う国際社会へ

グローバル資本は世界各国で、成長の上澄みをすくい取り、底辺に溜まる社会問題は当事国の政府のお荷物として残す。そんな現象が起きている。

その一方で、国家間競争、市場間競争という謳い文句に煽(あお)られ、政府までもグローバル資本の競争に巻き込まれ、法人税の引き下げ競争や、ひそかなタックスヘイブンづくりが進んでいる。

世界を見渡すと、武力紛争は絶えないが、国家が戦争で国益を争う時代は去った。平和共存と謳いながら、市場から利益を吸い取る力比べ。それがいまの時代だ。

経済の共通ルール作りは必要である。問題は、どんなルールを誰のために作るか。

強国が途上国を合法的に収奪するルール作りの時代は終わった。しばらくは混乱が続くだろう。そのかなたに、国際社会の次の課題が見えてきた。安心して暮らせる社会をどうつくるかである。奪い合う関係から、分かち合う国際社会へ。賞味期限が切れたWTOが再び脚光を浴びるとしたら、世界が新たな価値に向かって動き出す時ではないだろうか。

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