п»ї 桎梏と向き合う覚悟はあるのか―日本がもう一度輝くために(7)『翌檜Xの独白』第7回 | ニュース屋台村

桎梏と向き合う覚悟はあるのか―日本がもう一度輝くために(7)
『翌檜Xの独白』第7回

1月 10日 2014年 社会

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翌檜X(あすなろ・えっくす)

企業経営者。銀行勤務歴28年(うち欧米駐在8年)。「命を楽しむ」がモットー。趣味はテニス、音楽鑑賞。

今回は、日本の財政問題をテーマにこの国の抱えるいくつかの問題点について考えてみます。

閣議決定された2014年度の予算案によると、歳出は95.9兆円(昨年度比3.3兆円増)、これに対し税収は50兆円(前年度比6.9兆円増)となっています。昨年までの過去10年間の一般会計予算と税収を比べてみると、予算が税収を累計で約450兆円上回ります。平均すると、毎年45兆円の赤字を積み重ねてきたことになります。

日本の国内総生産(GDP)は500兆円程度ですからその間、毎年10%ずつ赤字を増やし、この10年間でGDPとほぼ同額の赤字を累積したことになります。赤字は主として国債と地方債で賄われた結果、国公債の残高は今や1000兆円を超えました。そして初めに述べたように、来年度も同程度の赤字幅が予想されています。

それでは、この赤字は解消する見込みがあるのでしょうか? 残念ながら今のままではいずれ国債の信用が低下し、大変なことになることは必定でしょう。

それは赤字の中身を見れば明らかです。来年度の予算95.9兆円のうち社会保障費が30.5兆円、国債費が23.3兆円を占めます。この二つの費目だけで予定されている税収を上回るのです。現在長期金利の水準が最下限であることを考えると、長期金利が少しでも上がればどんなことになるかは明らかです。今は、日銀がしゃかりきになって国債を買いまくることによって金利を抑えていますが、こんなことをいつまでも続けられるわけがありません。

◆蔓延する「自己責任」意識の欠如

少し考えれば、何の手も打たなければどんな将来が待ち受けているのか自明だと思います。では、なぜこんな状態が放置されているのでしょうか?

政治家や官僚は、このような根本的な構造問題を国民に突き付けて、自ら選択させるという努力をしていません。彼らの本来の仕事は、国を維持し発展させるうえでの課題を国民に明らかにし、その課題への対処策を策定し、国民に選択させることにあるはずです。

長らく「愚民政策」に慣れてきたため、国民に課題を提示し自ら選択させるという行動がとれません。その一方で、この事実が広く知らされたとしても、国民の側にそれを自分の問題としてとらえる感性が乏しいことす。これまでもたびたび触れましたが、日本国民の間に蔓延(まんえん)する「自己責任」意識の欠如です。

自分の生活を考えれば当たり前のことなのですが、返せる借金は一時的な資金不足を補うためにやらざるを得ないことがあります。でも、基本は収入の範囲内で生活することであるはずです。

これを国のケースに当てはめると、収入は急には増やせず、支出を抑えることが必要なのは同じです。その場合、支出の中身を吟味して支出の優先度をつけることが求められます。その優先度付けを支出の全体を知らせたうえで国民に選択させるのです。前述の国家予算に鑑みれば、支出の削減余地はあらゆる費目であり得ますが、まずは最も大きな支出項目である社会保障費が本当に優先度の高いものなのか、削る余地がないのかどうかを吟味することから考えてみましょう。

長年にわたり運用されてきた制度や慣習に慣れてしまうと、それが当たり前になってしまいます。構造問題に対処するには当たり前を疑うことが不可欠です。

国家予算に計上されている社会保障費は30兆円ですが、これは全体の社会保障費が保険料では賄えないために国が負担している部分にすぎません。実際の社会保障費は2013年度で110兆円です。そのうち年金が53兆円、医療が36兆円で両費用ともに近年うなぎのぼりです。これからの人口構造を考えると、ここを抑えないと財政収支の改善があり得ないことは疑う余地がありません。

◆安易に医療に寄りかかる国民の大きな誤解

年金は年金で大変大きな課題であり、別途触れたいと思いますが、ここでは医療費について考えてみます。医療費については根本的なところが議論されるべきだと思っています。ここでは二つの論点を取り上げます。

第一に、国民の医療に対する意識の在り方についてです。日本人はあまりにも安易に医療に寄りかかっています。そもそも、そこには大きな誤解があります。病気は医者に掛かれば治るという誤解です。そして、薬は病気を治せるとの誤解です。

病気を治すのは人間が生来持っている治癒力です。本来医者はその治癒力を最大限に引き出すための手助けをするのが使命です。ところが、この国では医者に掛かりさえすれば病気は治るかのごとく誤解されています。さらに、薬は病気を治すことはなく、症状を和らげることしかできないと正しく理解するべきです。そうすれば医者や薬に安易に頼りすぎることがむしろ害であることが分かるはずです。

最近、久坂部羊氏の『悪医』(朝日新聞出版)という本を読みました。医療についての患者側の視点と医者側の視点の違いを明瞭にすることによって、多くの気づきを与ええてくれました。この他にも、このところ現役のお医者さんが、現在の医療にできることとできないことを正直に語る書物が多く見られるようになりました。とても良いことで、良心の強い医師ほど今の医療についての深刻な課題意識を持つことがよく分かります。

第二は、医療や医薬があまりにも安価に利用できてしまうため、国民が医療の意味や価値について考えなくなってしまったことです。今や病院は老人たちのサロンになっています。医療負担が少なくてすむために病院や医薬に安易に頼ってしまいます。よく病院や医者の不足が喧伝(けんでん)されますが、病院や医者が不足するのではなく、人々があまりにも安易に病院や医者に頼りすぎるのです。

論理上の解決策は簡単です。医療費や医薬品に対する財政からの補助を少なくすればいいのです。その際、補助の受けられる病気とそれ以外の特には治療を必要としない「病気もどき」を区別し、補助金の額や比率を変えてしまえばいいのです。

医療や医薬使用に対する補助を削減すれば、個人の健康にはむしろプラスに働くと同時に、財政の最大の赤字項目への対処も可能になります。

◆厳しくとも国民に選択を促すべき時

もちろん、政治を考えればそれほど単純には解決しないでしょうし、現に解決していません。医療の課題はほんの一例です。申し上げたいのは、国の瓦解(がかい)につながる今の状況をいつまでも放置するのではなく、今こそ抜本的な対処を国を挙げて考えるべきだということです。

時間はさほど残されていません。役人や政治家は、この国が対処すべき課題を国民の前に明確に提示すると同時に、いくつかの選択肢を示し、国民の選択を促すべきです。どの選択肢も厳しいものになるはずです。しかしながら、今自分たちの抱える課題に正面から向き合う覚悟がなければ、この国を子孫に引き継ぐことはできません。

昨年来、景気を浮揚させる点で「アベノミクス」が一定の効果を発揮したことは事実ですが、「アベノミクス」が本物の構造変革に繋(つな)がるかどうかは、この国が抱える桎梏(しっこく)と正面から対峙(たいじ)できるかどうかにかかっているような気がします。

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