п»ї 人造皮革の自動車部品化に私がこだわる理由『ものづくり一徹本舗』第23回 | ニュース屋台村

人造皮革の自動車部品化に私がこだわる理由
『ものづくり一徹本舗』第23回

11月 28日 2014年 経済

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迎洋一郎(むかえ・よういちろう)

1941年生まれ、60年豊田合成入社。95年豊田合成タイランド社長。2000年一栄工業社長。現在中国、タイで工場コンサルタントを務める。自称「ものづくり研究家」。

私は革巻きハンドルの生産に携わり、国内では姫路(兵庫県)、東京、長野、岩手、さらに海外ではタイ、中国の皮革生産会社の方々に大変お世話になり、いろいろな知識を教わってきた。その時のご恩は決して忘れることはない。今回はその経験を踏まえ、自動車のハンドル用皮革(ひかく)について問題提起をしてみたい。

現在、自動車ハンドルの大半はウレタン樹脂を原材料としている。金型の中に心材としてアルミなどを置き、そこにウレタンを流し込んで発泡させハンドルを作る。そのハンドルに高級感を持たせるため、皮革をかぶせる最終加工を施したものが皮巻きハンドルである。日本に皮巻きハンドルが導入されたのは1980年代前半からだと記憶しているが、現在日本車のハンドルの皮革装着率は約20%程度だといわれている。自動車用皮革はハンドル以外にも、高級乗用車の座席やドアの側面などに使われている。

◆動物の皮は車の部品として使うべきではない

ここで議論を先に進めていくために、用語について少し定義しておきたい。まず動物の皮についてである。一般的には「本皮」と呼ばれるが、本文では「天然皮革」と呼ぶこととする。自動車ハンドルに使用される天然皮革は通常「牛皮」である。この「天然皮革」に対応するものとして「人造皮革」がある。この「人造皮革」は俗称として「合皮」とも呼ばれる。さらに人造皮革はその材料によって「合成皮革」と「人工皮革」に分かれる。

合成皮革は天然の布地を基材とし、合成樹脂(ポリ塩化ビニールなど)を塗布したものである。一方、人工皮革はマイクロファイバーの布地(不織布=ふしょくふ=と呼ぶ)に合成樹脂(ポリウレタンやウレタンなど)を含浸(がんしん)、塗布したものである。

人造皮革は1850年ごろから製造されたようであるが、1910年に米デュポン社が米ファブリコイド社を買収し、人造皮革による自動車の座席シートに本格参入して注目を集めるようになった。

「ニュース屋台村」でも以前ご紹介したが、私は皮巻きハンドルの製造加工で25年ほど前、人生最大の苦渋と言えるような体験をした(2014年4月11日付拙稿「協力工場も自社の一部門」をご参照ください)。この経験以来、皮革については機会をつくって勉強もしてきた。革の塩漬け品の輸入から始まり、革として使用できるまでの約20加工工程について、日本、タイ、中国の皮革メーカーを視察して回り、その製造過程をつぶさに見てきた。

そうした経験を踏まえて到達した私の結論は、「動物の皮は車の部品として使うべきではない」ということである。少々バイアスのかかった言い方をさせていただくと、「牛皮は欧米文化の模倣(もほう)である。日本には繊維文化が根付いているので、それを最大限生かすべきである」というのが私の意見である。

「皮は高級素材である。また本皮は人工の皮よりも品質が高く、値段も高い」というのが、皮革に対する皆さんの共通認識ではないだろうか? そもそも皮革の品質とは何かというと

①耐久性(摩擦に対して劣化しにくい)

②耐候性(日光、湿度、温度の変化に耐える)

③耐薬性(化粧薬など身体に塗布する物に対して劣化しない)

④伸縮性(ある一定の伸び縮みがあること、特に製品加工工程で重要)

⑤難燃性(万一の事故や太陽光の照射で発火しにくい物)

⑥手触り(ハンドルではしっとりとした感触を求められる)

⑦表皮の外観(色、シボ、きずあとなど)などである。

次に天然皮革の製造過程を見ていこう。天然の牛の皮は、「表皮+銀面+コラーゲン+皮下組織(肉)+毛」の5層から成り立っている。このうちシートやハンドルに使われる部分は銀面とコラーゲンの一部分のみである。不要部分の毛や表層、コラーゲンの一部、さらには皮下組織の肉などを除去しなくてはならず、そのため自動車部品材に仕上がるまでに約20の加工工程が必要となってくる。

実際の加工現場では、強烈な異臭はもとより、ロールやプレスなどの大型機械に牛の皮を載せる作業などかなりの重労働と危険作業が伴う。更には加工過程で大量の水を使うがその汚染がひどく、汚染水処理施設に多額の投資が必要となる。

◆天然皮革の最大の欠点は材料の歩留まりの悪さ

天然皮革の製造過程の問題点はこれだけでは終わらない。牛皮の硬さや厚さなどは腹部や臀部(でんぶ)などの部位によって大きなばらつきがある。また放牧されていた牛の皮は傷跡も多い。

こうした中で最大の欠点は材料の歩留まりである。天然皮革が製品になるまでには何回も何回も人手によって検査をされ、厳しい規格の下で傷跡などの不良部分が除去され、その後必要な形状にプレス裁断されるので、最終歩留りは30~40%にまで落ちてしまう(ただし近年ではスプレット革と呼ばれ、皮の銀面表層を使わず歩留まりを2倍程度に上げる手法も使われている)。

一方、人造皮革はどうだろう。この人造皮革については日本の大手繊維メーカーが改良に改良を重ね、牛皮に劣らぬどころか牛皮を上回る品質を確立しているというのが私の見解である。

具体的に見ていくと、皮革の品質を規定する「耐久性」「耐候性」「耐薬性」「伸縮性」「難燃性」などについては、人造皮革と天然皮革の間に大きな差異はない。さらに前述した製造過程全般を通しての品質の安定性については、人造皮革は「繊維+樹脂層」といたって単純な構成であるため、コラーゲンなど不要部分の除去作業が必要なく製造加工もいたってシンプルである。また、部位による品質のばらつきもなく、人造皮革の最終製品の安定性は天然皮革とは比べものにならない。さらに、製造歩留まりは牛皮の2倍以上。材料、加工コストも大幅な低減が可能である。

ここまで見てくると、自動車のハンドルにおける天然皮革の優位性は「手触り」と「表皮の外観」に限られてくる。しかし実際には、自動車部品の天然皮革のほとんどは、合成樹脂の塗料が塗られており、我々が革に触って感じる感触は天然皮革と人造皮革で違いがない。

表皮の外観についてもほぼ同様になる。つまり品質についていえば、今まで見てきたように、人造皮革と天然皮革でほとんど差はないのである。むしろばらつきの少なさから人造皮革のほうが優れている面もある。

◆「人や地球にやさしい自動車造り」を考える

私は天然皮革を全面的に否定するものではない。動物の皮をこよなく愛する人たちは大勢いるから、その要望には応えていかなければならない。またこれまでの経験から、天然皮革の製造にかかわっている方たちも、日々加工方法の改良、開発に邁進(まいしん)されおり、より安くより良い「ものづくり」に尽力されている姿に頭が下がる思いでいる。しかし、今後さらに大量に生産されていくであろう自動車の部品に天然皮革を大量使用することが良いことかと考えた時に、私は「ノー」と思ってしまう。

それではなぜ、私が天然皮革ではなく、人造皮革による自動車部品化を推奨するかをお話ししたい。最初の理由は、皮のなめし工程で発生する廃液処理問題である。動物の皮は本来柔軟性に富み非常に丈夫であるが、そのまま使用するとすぐに腐敗し、乾燥すると板のように硬くなり柔軟性を失う。

これらを防ぎ、皮を柔らかくして耐久性や可塑性(かそせい)を加える作業をなめし加工という。現代では「クロムなめし」が一般的で、硫酸や塩基性硫酸クロムが使用される。これらは危険物質であり、かつきつい作業が伴うため、現在この作業は日本では行われず海外に持ち出されている。海外のこうした国々では、廃材、廃液の処理がかなり粗雑に扱われているようである。

第二の理由は、人造皮革であれば日本の技術力の利点を最大限に発揮できる可能性がることである。日本の経済活性化の一助になり得る。このためには、「人造皮革は革の偽物」との間違ったイメージが取り除くことが必要である。

繊維業界、車産業に携わる方々は、自らが「牛皮などの本皮は人造皮革より品質が優れている」との誤った考えを正してほしい。また「人造皮革」や「合皮」など既存の用語が持つネガティブなイメージを避けるため、たとえば「ニュ-ウェザー」などといった新商品名を前面に出し、地球にやさしい製品であることを訴えるなどの戦術も必要かと思われる。人造皮革であれば機械化も可能であり、現状海外移転してしまった皮革製造工程の日本回帰も夢ではないと期待している。

以上誠に勝手な私の考えを述べてきた。動物の皮革製造に携わっている方々に不愉快な考え方であったかもしれない。しかし私も皮革の現場の実情に長く関わり、皮革製品の品質向上や加工方法の開発にも携わり、実用新案も世に問うて来た。それは「何とか皮巻きハンドル産業が生き残れないか?」との切実な願いからであった。

しかしながら社会情勢も刻々と変化している。地球規模では人口爆発やそれに伴う食料、飲料水不足がますます深刻になってきている。また文明社会の進展に伴い、自然環境破壊や労働環境悪化などの問題も喫緊の改善が必要な状況となっている。発展途上国に問題を押し付けることで無関心を装うことはいつまでも許されない。

自動車社会はこれからもますます成長拡大して、多くの国や多くの人に利便性を提供し続けるであろう。そうした中で、少しでも「人や地球にやさしい自動車造り」を目指して突き進んで頂きたいと、私は切に願っている。

 

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