п»ї 鬼のバンカー 初孫に学ぶ『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第42回 | ニュース屋台村

鬼のバンカー 初孫に学ぶ
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第42回

3月 27日 2015年 経済

LINEで送る
Pocket

小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

2月の終わりから3月初旬にかけて、娘が初孫を連れてタイに2週間ほど遊びに来てくれた。初孫は男の子で、名前はK君。私たち夫婦はタイ在住17年にもなるため、娘がタイに遊びに来ることはいわゆる“里帰り”になるだろう。いずれにしても2週間べったりとK君と付き合った。

もともと子供好きを自称している私であるが、自分の孫はやはり特別可愛い。夕食を食べにレストランに行っても「べったり」とかまっているので、「ジジ馬鹿だねぇ」と、初めてお会いした日本人の方にも揶揄(やゆ)される始末である。我が初孫のK君とじっくり2週間付き合ってみて、人間の本質に迫る多くのことをK君から教えてもらった。今回は、K君を題材にしてみたい。

◆何歳になっても経験を積まなければ人間は賢くならない

K君は生まれて10カ月。人によって差はあるものの、K君は身長70センチ、体重8.3キロといったところ。ハイハイ歩きがかなり上手になり、つかまって立つことも出来るが、一人歩きはまだ出来ない。言葉は「アッ!アッ!」と叫ぶのみ。食事は固形食が食べられるようになり、ミルク卒業も間近といったところだ。

こんなK君であるが、とにかく好奇心が強い。珍しいものを見つけると猛ダッシュで「ハイハイ」をして行き、まず手で触ってみる。まだ十分に手先を使いきれないが、親指と人差し指を使ってそれをつかもうとする。次に手のひらで触った後、今度はそれを叩いてみる。ここで音でもしようものなら喜んで叩き続ける。

ひとしきり叩いてそれに飽きると、おもむろにそれを口に入れて味を試そうとする。五覚(視覚・嗅覚・聴覚・触覚・味覚)を総動員してその新しいものを理解しようと努力する。食事中も同様である。固形物を食べ始めたK君にパンや肉、野菜、果物などを食べさせる。せっかく我々がK君の口の中に運んだ食べ物であるが、K君はその味を確認した後、食べ物を手で取り出し、まず握りつぶす。その後机の上にあるその食べ物を叩く。当然のことながら食べ物はあちこちへ飛び散るの。全く悲惨な状況である。

しかし、ここで怒ったりがっかりしたりしてはいけない。これらの作業はK君にとって、とても重要な学習過程なのである。以前NHKスペシャルで「赤ちゃんの神秘」を取り上げていたが、人は1歳になる前に知識の源泉となる神経細胞を作り上げるのだそうだ。この時までに出来るだけ多くのものを経験させることによって、人間としての知能が上がっていくのである。

1歳までに人間の知識の源がつくられるのだが、これだけで人間の能力が決まってしまうわけではない。この後、人間は1歳までに出来上がった神経細胞をつなぐ線を作っていくのである。多くの経験をすることによって、神経細胞をつなぐ線が太くなり、知能が高まっていくのだそうである。何歳になっても経験を積まなければ人間は賢くならないのである。

◆他者に受け入れられて初めて自分の価値がある

ところが、コンプライアンス社会である日本を見ると、企業や官庁、更には学校などの教育機関もリスクを恐れ、「するべからず」の規制ばかりを押しつけるのである。こんなことで社会の進歩はない。経験をしなければ人間は賢くならないのである。K君のあくなき学習意欲と経験を積む姿勢に、現代の日本人は学ばなくてはいけない。

K君から学んだ2点目は、その「愛想の良さ」である。外出をすると、とにかく人に声をかける。「アッ!アッ!」と声を出し、その人がかまってくれそうだとを感じると、精いっぱいの愛想笑いをする。「女性や老人は口説きやすい」と既にわかっているようである。背広姿の男性にはあまり声をかけない。とにかく自分に注目してもらおうと努力する。

誰に似たのだろう? 私は部下にも怒ってばかりでこんなに愛想は良くないはずだが……。しかしこれも人間の本性なのだろう。哲学の存在論的に言えば「他者があっての自己」なのだろう。他者に受け入れられて、初めて自分の価値がある。自分の存在を確認する意味からも、他人に好かれる努力を常にしていく必要性をK君に教えてもらった。

それだけではない。「笑顔の効用」もK君が教えてくれたことだ。赤ちゃんの笑顔は人の心を和ませてくれる。しかしそれは決して赤ちゃんだけではない。あなたの笑顔は、きっと他人に幸せな気持ちを与えていることであろう。

ところが最近の日本人ときたら仏頂面ばかり。40年ほど前の日本は、欧米の人たちから「ほほ笑みの国」と言われていた。いつの間にかその呼称は、タイ人のものとなってしまった。

K君の笑顔は素晴らしい。しかしそれに応えるタイ人の笑顔もとっても素敵で、笑顔の相乗効果となっていく。どこのレストランに行ってもK君はタイ人のウエイターやウエイトレスに「キャッキャッ」と言ってかまってもらう。そうこうするうちに店内ツアーに出かけ、スマホで写真をいっぱい撮られている。おかげで私たち大人はゆっくりと食事をさせてもらうことが出来た。これも「笑顔の効用」である。

◆現在の日本人に欠けているものが見えてくる

笑顔のタイ人たちは子供たちに寛容である。否、子供を含めて人に寛容だからこそ、タイ人は笑顔でいられるのであろう。子供たちがちょっと騒いだだけでも、すぐに怒りだす日本人の大人たちは考えを直した方が良いかもしれない。

そんな愛想の良いK君であるが、おなかが空いたり眠かったりすると、さすがにぐずる。食欲や睡眠欲などの生理本能には、人間は勝てないのであろう。特に自分に正直な赤ちゃんであれば全てストレートにそうしたものが出てくる。ほかにも、母親や私たちなど保護者が近くにいないと思うと、急に周りをきょろきょろと見回す。そして不安にかられ泣きだしてしまう。「生を健全に全うしたい」という欲求は、人間存在の根本である。

こう書いてくると、K君の生理本能に基づく行動は、あることに妙に符合していることに気づく。「空腹を満たすための最低限の食事」「寒さをしのげるだけの寝場所の確保」、更には「他者からの攻撃を守ってくれる安全性」の三つは、国家として本来果たすべき役割なのではないだろうか?

大人も赤ちゃんも安心して生活を送れる環境の整備は、保護者として最も大切な役割なのである。ところが安心して生活を送れる環境が将来にわたって保証されていない、という不安感が日本人から笑顔を奪っているのかもしれない。

たった2週間であるが、K君と付き合って多くのことを勉強させてもらった。赤ちゃんに真剣に向き合えば、現在の日本人に欠けているものが見えてくるのではないだろうか?

コメント

コメントを残す