п»ї 潮の変わり目? タイの日系企業『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第43回 | ニュース屋台村

潮の変わり目? タイの日系企業
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第43回

4月 10日 2015年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

タイで銀行員をして既に17年。ありがたいことに、この17年でお客様の工場を600社以上視察させていただいた。おそらくタイに住む日本の銀行員で私ほど多くの工場を見てきた者はいないだろう(ただし、私の部下の中には年間100社以上工場見学をしている者も数人おり、いずれ追いつかれるかもしれない)。

私はアジア通貨危機(1997年7月)の半年後にタイに赴任したが、通貨危機のすさまじい爪痕にさらされ操業停止状態にあった工場を毎日のように見て回った。その後も、2006年の軍事クーデター、08年のリーマン・ショック、11年3月の東日本大震災、更には同年11月のタイ大洪水など、幾多の試練に打ち勝ってきた日系企業の工場をその度に視察してきた。「現場を見なければお客様のことは何も理解出来ない」というのが、私の銀行員としての信条である。

◆景気悪化はクーデターのせいではない

ところがこの1年以内のことであるが、お客様の工場を見て回ってまわってひどく心配になってきている。幾つかの会社で工場が荒廃してきているのである。

もちろん素晴しい工場運営をされている会社もある。私がお客様の工場を視察する際(もしくは貸出の可否を判断する際)、幾つかの重要なチェックポイントがある。その中で特に乱れが顕著なのは、工場労働者の中に遊んでいる人間が散見されること、更に工場の中に中間在庫が増えていることである。

工場の視察方法について私は、この「ニュース屋台村」に「ものづくり一徹本舗」の屋台名で寄稿されている迎洋一郎氏から多くのことを教えていただいた。迎氏が書かれた15年1月9日号の「これが悪い工場だ」をぜひお読みいただきたい。昨今の「工場内過剰人員」と「過剰中間在庫」の問題は、明らかに生産量低下に対して工場管理が十分に対応できていない証左である。こうした状態を放置すると、そのうち「5S」や「見える化」にまで影響を与え、決定的なダメージになりかねない。

もう一つ、私どものお客様を回って気になることがある。私どものお客様の中に中古機械業者が数社あるが、いずれの業者も「在タイ日系企業からの機械の売り注文が大幅に増加している」という。「生産ラインの削減や会社撤退するところも多くある」という話も聞く。実際、私どもバンコック銀行日系企業部の顧客の中でも、極めて少数であるが撤退を検討されている会社がある。中古業者の方々に聞くと、12~13年にタイに進出された日系企業に多くこうした現象が見られるという。

タイの景気はそんなに悪いのであろうか? 日本から来られた観光客の方は口々に「タイは景気がよく活気があってよいですね」と言う。バンコク市内には依然として多くのビルが建設中であり、タイ人は明るい顔でショッピングを楽しんでいる。こんな景色を見ると「この国は好景気に沸いている」と勘違いされるかも知れない。

しかし、そんな光景にだまされてはいけない。タイの景気はそれほど良くない。それが証拠に、在タイ日系企業の工場操業率は一部を除き大きく低下しているのである。その景気悪化の要因を、多くの日本人は軍事クーデターのせいにしている。

これは日本の本社に対して、極めてわかりやすい説明である。しかし、もし現在の不況の理由を軍事クーデターのせいだと決め付けると、今後の企業経営を間違えかねないと私は危惧(きぐ)している。なぜなら、軍事政権が民政移管したらこの国の景気が急速に上向くとは考えられないからである。

◆ミニバブルの崩壊と生産年齢人口のピークアウト

それでは、タイの今日の不景気の要因は一体何なんであろうか? その要因は2つある。ミニバブルの崩壊と生産年齢人口(15歳から64歳)のピークアウトである。08年のリーマン・ショック以降のタイの経済は特殊な出来事に翻弄(ほんろう)されすぎた。特にその傾向は、この国の主要産業に成長した自動車産業で顕著である。

出典:バンコック銀行の調査による

04年以降、60万台以上の国内販売を維持してきた自動車は、リーマン・ショックの翌年である09年には54.8万台に落ち込んだ。輸出についても増加基調にあったが、同様に09年には53.6万台と大きく落ち込んだ。10年に入り、国内販売・輸出も09年の落ち込みを取り返したが、11年の東日本大震災によるサプライチェーンの寸断と、その年のタイの大洪水により生産ならびに国内需要とも大打撃を受けた。

12、13両年は国内販売・輸出とも11年の積み残し需要の取り込み、ならびにタイ・インラック政権によるエコカー減税などに助けられ、11年に比べ大きく数値が伸張した。しかし、14年には国内生産は88.1万台とその前年、前々年と比較して50万台ほど大きく落ち込んだ。今年に入っても自動車の国内販売は引き続き停滞している。

◆今後タイの国内需要に大きな期待は出来ない

そもそも、タイの国内での自動車需要の実力とはどの程度のものであろうか? 01年から自動車販売台数を並べてみれば、2000年代のタイの自動車販売台数の実力は60万台から70万台といったところであろう。ところがリーマン・ショック以降の度重なる非日常的な出来事により、10年以降の販売台数は非連続的な数字となってしまった。

これを更に助長したのがエコカー減税政策である。タイの自動車産業に関わる人たちは、タイ国内販売台数143万台、生産台数245万台という「正夢」を見てしまったため、これが深く記憶に残ってしまった。

私は残念ながら、日本のバブルを経験していない。しかし日本に出張して日本の景況感を知るためにタクシー運転手たちに「1日あたりの水上げ額」や「タクシーチケットの使用状況」をヒアリングする。すると、必ずといって良いほど「バブルの時とは比較にならないですね」という言葉が返ってくる。

日本のバブルは今から20年以上も前の話である。その20年前の「良き思い出(?)」を人々の記憶から消すのはよほど難しい。しかし時代は元に戻ったのである。タイの日系企業経営者の方々も「ミニバブルの良き思い出」は早く消したほうが良い。

一方、輸出も12年に100万台を超えたものの、それ以降大きく伸びていない。08年のリーマン・ショック以降、欧米諸国などが自国の金融機関救済のため、巨額な金融緩和を実施。現在100兆ドルを超える資金が世界を駆け巡っていると推定されるが、これだけ巨額な資金を吸収出来る市場は、米国国債市場、欧州国債市場、日本国債市場及び資源国資源市場の4つに限定される。

しかし、リーマン・ショック後に米国・欧州市場の信用力が低下したため、資金はアジア・中東を含む資源国市場に流れ込んだのである。この大量の資金は、アジア・中東各国にミニバブルを引き起こした。新興国において急激に自動車が売れ始めた背景にはこうした事情があり、主にアセアン・中東向け輸出に注力していた在タイ日系自動車メーカーは、この追い風に乗って業績を伸ばしてきたのである。

しかしここでも、潮目は変わってしまった。石油価格や食料価格に見られるように、資源価格は暴落。資源国からは急速に資金が引き上げられ、自動車や住宅関連資材などアセアン・中東向け輸出に注力していたタイ製造業は、当面大きな回復は見込めないのである。

13年、タイはもう1つ大きな転換点を迎えている。生産年齢人口(15歳~64歳)が13年にピークを迎えたということである。藻谷浩介(もたに・こうすけ)氏の著書『デフレの正体』(2010年6月、角川書店)にある通り、生産年齢人口にはその国の経済に大きな影響力を及ぼす。日本は1998年に生産年齢人口がピークアウトしたと推計されるが、それ以降、名目GDP(国内総生産)は07年の円安バブルを除き、長期低落傾向にある。

すなわち、日本は生産年齢人口の減少とともに、経済停滞に突入したのである。タイもまさにそうした時期に入ってきたのである。もちろん、タイにもいまだに経済成長を可能とする施策はある。「国民の40%が農民である」という就業構造を変えることが出来れば、タイの生産性は大幅に上昇すると考えられる。

しかし、ポピュリズムに陥った民主主義政治が、農民に対する過剰なまでの過保護政策を撤廃できるであろうか? 在タイ日系企業としては「今後タイの国内需要に大きな期待は出来ない」と考えたほうが賢明な気がする。

◆当たり前のことを当たり前にやる

こうした厳しい状況の中で今後タイの日系企業はどの様にしたら良いのであろうか?

一つ目は既にこれまで散々述べてきたことであるが、まずはいままでのミニバブル経済の残像を捨て、安定経済への対応へと切り換える必要がある。経済が低成長期に移行すれば、競合他社との競争は従来以上に厳しくなる。まずは筋肉質の会社運営に切りかえていく必要がある。冒頭で述べたような荒廃の兆候が見られる工場は早急に改善を行い、コスト削減に努める必要がある。

課題の二つ目は当たり前のことであるが、なるべく多くの売り先を確保することである。従来の系列向けの売り上げだけではなく、他系列への売り込み、他業種への売り込み、欧米会社への売り込みなどあらゆる可能性について是非検討してみていただきたい。

「当たり前のことを当たり前にやれば会社は必ず生き残っていける」。これが銀行員生活38年間で多くの会社にお付き合いさせていただいた私の結論である。

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