п»ї 集団殺害か、100年後の論争『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第14回 | ニュース屋台村

集団殺害か、100年後の論争
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第14回

5月 15日 2015年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。

欧米の英字紙で扱われる主要な時事題材は、グローバルでユビキタス(偏在)な時代を反映し、邦字紙でも大概記事にされているのが昨今である。しかし、4月20日ごろに欧米紙で目にした、1915年のアルメニア人ジェノサイド(集団殺害、この言葉はトルコにとってトラウマであるが)をめぐる記事は、筆者にとって邦字紙ではあまり見かけず気になった。

被害者側のアルメニア人と欧米諸国が4月24日をその追悼日とする大量殺人は100年前に起きている。欧米紙の扱いは、いまのトルコがその流れをくむオスマントルコによるジェノサイドと断定しているのが一般的である。趣味の悪い探索だが、それら欧米紙よりも加害者とされているトルコのメディアがどんな報じ方をしているかに興味を持った。

しかし、私は直接の当事者国だけでなくロシアおよび欧州の多くの国を絡めて背景となっている複雑な史実を十分に把握しているわけではない。我が国の従軍慰安婦問題を念頭に置いて、トルコ国民の心情を代表していると思われる有力メディア2紙の英語版に幾分野次馬的に興味を抱いてのことである。

◆世俗勢力を代表するヒュリエト紙の主張

まず、トルコの有力紙ヒュリエトの電子版英字紙ヒュリエト・デイリーニュースの4月25日付オピニオンコラムに「ジェノサイド認定がトルコをさらに孤立させる」との見出しで掲載された記事の抄訳を以下に掲げる。

4月24日にヒュリエト紙の記者がアルメニアのセルジ・サルキシャン大統領に幅広く尋ねたインタビューで、大統領は、アルメニアの苦闘は2015年に終わるものではなく、より成熟した段階に入っただけである、と公然と強調した。

彼は、オスマントルコ帝国の手による祖先の集団殺害から100年の追悼式典の機会をとらえて、「第3次アルメニア共和国の独立宣言を行い、初めてアルメニア人ジェノサイド問題を提起し、問責する機会を得たことを忘れないでおこう。そして、それは我々の努力が始まったばかりであることを意味し、今後、より統制のとれた、目的に沿う行動になるであろう」と、ヒュリエト紙に述べた。

何年にも及ぶ強力で攻撃的なアルメニア国家のキャンペーンとアルメニア人集団離散によって、より多くの国々にジェノサイドの史実が存在すると、認めさせようとしてきたことが、15年に重大な展開をもたらした。バチカンのフランシスコ法王が全カトリック世界に対して発信された明快なメッセージとして、1915年の出来事をジェノサイドと表現したのである。欧州議会(欧州連合〈EU〉の議会組織)、オーストリア議会、ドイツのヨアヒム・ガウク大統領、そしてロシアのウラジミール・プーチン大統領らをはじめとする多くの重要人物たちがそろってG-で始まる言葉(ジェノサイドのこと)を使って表した。それによりトルコの強い反発を引き起こした。ロシア議会下院とドイツ議会上院は4月24日午後遅くの本稿作成途上の時点ではまだジェノサイド認定に関する決議について論議の途中である。

アメリカのオバマ大統領は1915年の事件に触れる際に「ジェノサイド」の語句使用を避けることを好んだ。しかし、忘れてはいけないのは彼が任期終了までに2年近くを残しており、この行為をジェノサイドと呼ばねばならない別の機会に遭遇するかもしれない、ということだ。

オバマ氏は予想されるトルコの反発そのものを気にするからではなく、彼の国の現存する利益のために当該表現の使用を慎んでいるだけであることを銘記すべきだ。現時点から彼の任期終了までの間に彼は、口頭もしくは声明により1915年の事件をジェノサイドと表すことは起こりうる。

この現状の全体像は同時に多くのことを物語っている。第一に、トルコはアルメニアのキャンペーンに対して外交、政治のうえで、そして系統だった精緻(せいち)さにおいても効果的に対抗しえなかったことが明らかになった。トルコの唯一の戦略は「ガリポリの戦い」から100年となる記念日(つまりトルコにとって誇らしい歴史上の戦勝記念日で終結日は1916年1月)を無理やり4月24日に定めて、エレバン(同日、アルメニアの首都エレバンで欧州各国からの参加者を集めて行われた記念行事)から関心をそらそうとしたことである。

トルコの貧弱で時代遅れのキャンペーンは、国内により大きな反西側レトリックを引き起こしただけで、それがさらに多くの国にジェノサイド認定をさせることにつながったのである。

トルコはすでにオーストリアとバチカンに対して大使召還を行ったが、ドイツとロシアからも両国の議会がジェノサイド認定をすれば同様の措置を講じるであろう。欧州議会ではすでにこの認定の法案化に賛成の投票結果が得られており、トルコとEU間の新たな冷却関係が今後到来することになるとしても不思議ではない。

今やEUのほとんどの国が1915年の出来事をジェノサイドと認定する国の名簿に名を連ねていることから、今後トルコがEUの正式加盟国の資格を得るためのEU本部との交渉を前にして障害が増えることになろう。この状況がさらに悪化すれば正式加盟承認の条件として、EUがトルコ自身にジェノサイド認定をするよう迫るリスクが高まるであろう。

ロシアについても状況の難しさにおいては同じである。1915年事件関連のプーチン大統領の声明は、トルコとロシア間の経済とエネルギー資源をめぐる協力関係の深まりがあり、実際になされたような強い内容を予想していなかった。(この背景の下で)トルコのエルドアン大統領はカザフスタンに最近訪問した折、ロシア、カザフスタン、ベラルーシ、アルメニアで構成され、ロシアが主導する国際機関であるユーラシア経済共同体へのパートナー参加の興味を示すまでの、極端なのめりこみをみせた。

これはエルドアン大統領が政治行動の点で完全に混乱していることを示していると思われる。というのは、北大西洋条約機構(NATO)およびEUを排除し続けることでウクライナ危機とクリミア併合の初動を可能としたロシアの当該地域への影響力をさらに強化しようとするのがプーチン大統領の野心であることをエルドアン大統領が忘れているからである。

トルコのロシアに対する反発の程度と基調は、トルコの北の隣人との交渉に際しても同じような一貫性を欠いた対応を続けるであろうと確信させる根拠となっている。さしあたり今後の外交を占う意味で、おそらく最も重要な案件は、ロシアの天然ガスがトルコを通過するパイプラン構想「トルコ・ストリーム」をトルコがどう扱うかであろう。

今年のトルコ、アルメニア間の論争はアルメニア、アゼルバイジャン間の問題解決への突破口を見いだす可能性を損なった。トルコのダウトオール首相はロシアとフランスの大統領がアルメニアの首都エレバンで開催された(ジェノサイド)100年の追悼式典への出席を非難したが、一方、フランス、ロシア、米国の3か国が共同議長として(アゼルバイジャンからの独立を求める)ナゴルノ・カラバフ地方の紛争問題解決のために設立されたミンスク・グループの役割を強調することは好んだ。

エレバンの記念式典にロシアとフランスが出席したことでミンスク・グループの不偏不党性にも暗い影を投げかけた。その件に関しても必要な外交努力は尽くされている、とダウトオール首相は述べる。プーチン大統領とフランスのオランド大統領を直接非難する代わりに、ナゴルノ・カラバフ問題に言及し、ダウトオール氏はすでに凍結されているその問題の打開を図ることのほうががもっと難しいことを示唆しながら、その真の思いを(屈折させて)表した。

端的に言えば、アルメニアによって行われたこの(ジェノサイド認定)キャンペーンは、外国がトルコに抱くイメージをより困難なものとし、そしてトルコの西側世界との関係をますます孤立させうる深刻な難局に追いやったのである。(抄訳はここまで)

◆イスラム主義色のザマン紙の主張

次に、もう一つのトルコの有力紙ザマンの同じく英語版であるトゥデーズ・ザマンの記事を紹介したい。ザマンはイスラム主義色を前面に出し、エルドアン政権に近い新聞のようである。以下は「トルコが1915年の出来事をめぐる同盟国の発言と姿勢について酷評」の見出しで書かれた4月26日付のウェブ版記事の内容の抄訳である。

トルコ当局は最近、同国のもっとも重要な同盟国の国々、すなわちフランス、ドイツ、ロシア、オーストリアそしてアメリカを、第1次大戦中のアナトリア系アルメニア人殺害に関する姿勢をめぐって非難した。

ごく最近では、去る土曜日(4月25日)、100年前のアルメニア人殺害に触れた声明を理由に、トルコはフランスの指導者たちを、歴史解釈に“差別的な”立場をとり続けているとして非難した。同じ事柄でトルコ外務省は、ロシア、アメリカ、オーストリア、ドイツそしてブルガリアを責めた声明に続き、フランスのオランド大統領およびヴァルス首相がエレバンで4月24日―この日はアルメニア人がオスマントルコによるジェノサイドの犠牲者を追悼する日と主張する日であるが―に発した言動を糾弾した。

トルコは、オスマントルコ帝国の終末期に150万人のアルメニア人が意図的、計画的なジェノサイドの犠牲になったとする主張を否定している。その理由は、死者数が誇張されていること、ならびにオスマントルコ帝国が瓦解(がかい)していく過程の内戦においてアルメニア人側だけでなく双方に死者が出たというものである。

「フランスのオランド大統領はずいぶん前から参加表明をしていた、4月24日のエレバンでの式典に参加した。その行事は、過去に失われた人々を忘れないために追悼するものではなく、トルコの独自性、歴史、社会をひどく否定する機会になってしまった」。さらに続けて、「残念なことに、彼はまたもアルメニア民族主義者の言葉への支持を繰り返したのである」と。

エレバンでの追悼式典に出席したオランド大統領は、問題の殺人はフランスが2001年に法律とした認定、すなわち、“行為の真実性”(つまりどのように表現をしようが行為の実体において)においてジェノサイドとの認定が法として適用される旨を弁護した。

トルコ外務省の声明によれば、フランスのヴァルス首相はパリのある行事で行ったスピーチで「歴史事実を歪曲(わいきょく)し、法の原則を犯した」とし、その行事というのは「歴史から平和と友情を学び取るのではなく、敵意を反すうするためのものとの理解のもとに行われた」としている。

トルコ当局はまた、オーストリア議会で複数の政党がジェノサイド認定宣言に署名したことを受け、オーストリアをも非難した。4月14日(火)にオーストリアの六つの政党が署名した宣言は、トルコが15日(水)に大使召還をさせる結果を引き起こした。その宣言書は「オーストリアの歴史の経緯から―すなわちオーストリア・ハンガリー王室が第1次大戦中にオスマントルコ帝国と同盟関係にあったことにより―“ひどい出来事”をジェノサイドと認定し、それを糾弾することが今やオーストリアの責任である」と述べているのである。

トルコ外務省は宣言書が発せられたのち、オーストリア議会にトルコ国民に対する偽りの非難を行う権利はない、と反論する声明を発表した。声明は「トルコはその歴史に対してなされたこの誹謗(ひぼう)を決して忘れないことを心に刻むべきである」としている。

トルコの外交筋によると、チャブシオール外相は23日(木)、オーストリアのクルツ外相に電話で17日(金)にトルコのメディアで報道されたように、宣言書によって2国間の関係が「損なわれることは避けられない」であろうと伝えた。チャブシオール外相はまたその際、議会が歴史に関する事項を決定することはできないはずであるとも述べた。

オーストリアは近年、トルコへの最大投資国のひとつであり、経済制裁を科すことは最良の選択ではないであろう。しかし、トルコにとって最大の貿易相手国であるドイツから大使を召還することは(本当に)難しい決断であろう。ただ、その難しさがあったにせよ、ガウク大統領が23日(木)にベルリン大聖堂で行われた式典の際のスピーチの中で、例の出来事を「ジェノサイド」と呼んだのち、トルコ外相からの強い言葉を使った非難声明の的とされた。

法と史実に背いてガウク大統領が「犯してもいない犯罪をトルコ国民のせいにする権利はない」と、さらに加えて、「その意味で、ガウク大統領も代表しているはずの何十万人ものトルコ系ドイツ市民の意見を無視したことも驚くべきことだ」と、外務省が発した声明のなかで述べた。

トルコ政府の怒りを買ったのはフランス、オーストリア、そしてドイツにとどまらなかった。24日(金)にトルコ外務省から出された声明によれば、オバマ大統領は23日(木)の声明の中で、1915年の出来事に触れた内容は“失望”させるもので、「トルコとアルメニアが共有する歴史の痛切な時代を(冷静に)評価することとは大きな隔たりがあった」としている。

(トルコ外務省の)声明はさらに続く。「第1次大戦中に起きたことは、アルメニア人にとって傷つきやすい事柄だが、トルコ国民にとっても同様であることを(オバマ大統領の声明は)無視している。のみならず、一方的な見解を反映している理由から、問題を含んでおり、このように意図的で偏った正義の解釈を拒絶する」と。

トルコの非欧州同盟国のロシアでさえ、プーチン大統領がその出来事を“ジェノサイド”と表現したのち、トルコ官僚から応分の非難を浴びた。外相の声明はこうだ。「われわれのあらゆる警告、呼びかけにもかかわらず、ロシアのプーチン大統領が1915年の出来事に”ジェノサイド“のレッテルを貼り付けたことを拒絶し、糾弾する。ハレンチな法の冒涜(ぼうとく)であるこのような政治的声明は、トルコにとって無効で効力を持つものではない」と。

トルコの西に位置し、一時オスマントルコ(1923年、ムスタファ・ケマル・アタテュルクにより建国された近代トルコの前身)に属していたブルガリアでさえ、問題の1915年の出来事に関して議会が決議をしたのち、トルコによる非難を受ける側に名を連ねた。外相の声明はこう述べている。「超国家主義者で外国嫌いで人種差別主義の、そして欧州大西洋価値観に反対する極右政党連合、アタカ国民連合(ATAKA)の主導によりブルガリア議会で採択された決議は反トルコの態度を示威するものである。………トルコはその歴史に対する誹謗を拒絶する。」(抄訳はここまで)

◆自分たちの祖先が関与した事実にどう向き合うか

筆者としては、2紙の大きな違いに正直戸惑った。ザマンはエルドアン政権に近く、イスラム宗教主義が特色のようである。自分たちの言い分を一方的に述べるだけで解決に向けた提言などには触れられてはいない。フランス、ドイツ、オーストリアにはもちろんアメリカに対しても1915年の出来事に関する各々の見解表明を拒絶している。いわゆるタカ派的主張である。やはり、民族主義とか宗教主義に根差す言い分というのはおそらく多くの国民が支持をしており、政権側にとって、触ることができないもの、と思わせる記事である。そして、近年経済力をつけつつあるトルコの現政権の自信がそうさせているのであろうか?

一方、ヒュリエト紙であるが、本件についての相手側のアルメニアはもちろんのこと、ヨーロッパの主要国、そしてロシアまでみなジェノサイド認定側に回り、四面楚歌(しめんそか)の状況を警告している。何よりも究極の頼みの綱(と見なしている)アメリカの出方にもずいぶんと不安を示している。

アルメニア側がジェノサイド被害の追悼日とする4月24日に「ガリポリの戦い」の戦勝記念日を祝うなど、打つ手が乏しいなかのトルコ政府の窮余の手の内に言及するなど興味は深い。リベラルで宗教色を排除しようとする新聞のようであり、本件をめぐるトルコと関係諸国との交渉もかなり具体的に記されている。

部外者として読めばこちらの新聞の方がよほど現実的で、当事者意識が表れている。しかし、トルコの国民の総意となるとやはり民族主義、宗教が支配するところは大きいと見受けられる。それを感じさせるのがザマン紙である。

40年近く前、アメリカで知り合ったトルコ人、アルメニア人の数は多くはないが皆いずれも朴訥(ぼくとつ)で愛嬌(あいきょう)があり、日本の田舎出身者としてはなぜか共感を覚えたものである。しかし、国としての外交は純粋な心根でうまく乗り切れるものでもないようである。

ザマン紙は前述の記事の中で思わず、1915年の出来事で傷ついているのは何もアルメニア人だけではなく自分たちもそうだ、とのトルコ外務省のコメントはいかにも本音が出ているが、それでは一部の同情を引き寄せても世界の世論を動かすことはできない。

背景についての正確な真相はともかく、実際に大量の犠牲者を出した事件に自分たちの祖先が関与した事実が世界中のメディアで際限なく膨らんで伝わっていくことを放置するわけにはいかない。過去に起こったことに、現実的に向き合うことの大切さは、日本の従軍慰安婦問題に関しても同様に当てはまるのではないだろうか。

※今回紹介した英文記事へのリンク
http://www.hurriyetdailynews.com/genocide-recognitions-further-isolate-turkey.aspx?pageID=449&nID=81538&NewsCatID=429
http://www.todayszaman.com/diplomacy_turkey-slams-allies-over-remarks-and-stances-on-1915-events_379024.html

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