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『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第49回

7月 03日 2015年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

世界中を歩いてまわると、多くの国の人たちは「自分の国の料理が一番おいしい」と自慢する。イタリア料理、フランス料理などに代表される、ソースや料理法を工夫した西欧料理。「四足ならば机を除いて何でも食べる」と揶揄(やゆ)される、食材豊富な中華料理。独特な香辛料であるカレーをベースとしたインド料理。

タイ料理も悪くない。「一つの料理の中に『甘み』『うまみ』『辛み』『すっぱさ』『塩っぽさ』、すべてを入れこむのはタイ料理だけだ」とタイ人は自慢する。なるほど、トムヤムクンを食べてみればタイ人の言っていることも納得する。

◆食事接待はビジネスの真剣勝負の場

社会人になってほぼ40年。私は一心不乱に仕事をしてきた。東海銀行のバンコク支店長として当地に赴任してからは営業が仕事の中心となり、ほぼ毎日「昼食」も「夕食」も食事接待を行ってきた。日本出張時にも全国各地のお客様からその土地の一番良い料理をごちそうになってきた。

しかし、そうした方々には大変申し訳ないが、真実をお話すると、ごちそうになった食事の内容を記憶していることはほとんどない。当然のことながら「おいしかった」などという記憶もほぼ皆無である。

食事接待は私にとって営業の最前線の場である。お会いする方々は地方銀行の頭取や会社の社長さんたちが多い。またその場で初めてお会いする方も多い。私の名刺箱にはこの17年間で1万5千枚の名刺がたまった。講演会やパーティーなどで1日に100人以上の方々と名刺交換することもあったが、平均すると1日に3人程度の方と名刺交換してきたことになる。今ふり返ってみると、よく自分でも頑張ってきたものだと感心する。

こうした初対面の方々や重要な顧客への食事接待は私にとって真剣勝負の場である。「いかに会話をつなげていくか」「どのようにしてこちらの真意や熱意を伝えるか」。私の脳内は常にフル回転で働き続ける。こんな状態では食事の内容にふり向ける心の余裕はない。

ところが、昨年から少しずつ仕事を嶋村浩シニアバイスプレジデント(SVP)に引き継ぐようになって、心にも余裕が生まれてきたのであろう。最近の私の楽しみは、日本出張時に日本で食べる日本料理である。

金沢には、北國銀行の安宅建樹頭取に以前連れて行ってもらった「小松弥助」という素晴しいすし屋がある。その後、何度か個人でこの店に足を運んでいる。カウンターに座って「おまかせ」を頼むと、季節によって異なった食材のすしが出てくる。薄い「赤イカ」を更に3枚におろしてから細切りにした「ねた」を「しゃり」で握り、塩とユズで食べると絶品である。

イカの甘さと柔らかくねっとりした食感が口の中に広がっていく。タイを昆布締めした食材をすしとして握った後、最後に包丁で縦に切れ目を入れる。こうすることによって、タイのうまみが口の中でごはんと混ざり合うのだそうだ。しょうゆ漬けした赤身のマグロに「うまみ」として大トロとウニをのせ、更に柔らかいトロロイモをからませた一口大の小どんぶり。鰻(う)巻きは炊き立てのウナギを「ちんちん」になるまでオーブンで焼いて作る。口の中に入ってもウナギはまだ熱く、香ばしい香りを放つ。

一つずつのおすしがどれも素晴しい。全国のすし職人が勉強のためにこの店に通うというのが良くわかる。更にこのすし屋のご主人である小松さんは、アシスタントと2人で狭い調理場をくるくると回転しながら、20人程度のお客さんに次々とすしを作っていく。常にお客様に目を配りながら1人ずつに声をかける。まるで歌舞伎役者を見ているようである。

◆歌舞伎役者のような職人さんがいる天ぷら屋

歌舞伎役者といえば、もう1人同じような立ち振る舞いの職人さんがいる。東京・築地の天ぷら屋「三ツ田」の森田さんである。天ぷらはただ食材に衣をつけて油で揚げたものと思っていた。私は森田さんに会ってそれが大きな勘違いであると気づかされた。「三ツ田」の天ぷらはほとんど衣がついてない。当然天ぷらを揚げる前に溶き汁につけるが、水でかなり薄めてあるのである。食材を溶き汁につけたあと、その大きさや食材の特性によってそれぞれ油の温度と揚げ時間を調整して最良の状態でお客様に提供する。

天ぷらは実は半分蒸し料理なのである。まずは、その日捕れた生きの良い小エビが「シャキッ」とした食感で出てくる。イカは中温で短い時間揚げ、衣だけしっかりとさせる。イカ本体は柔らかい生の状態にして熱さと冷たさのコントラストを楽しむ。

ニンジンやカボチャなどは指が突っ込めるほどの低温でじっくりと蒸しあげることにより、「ホカホカ」の食感を楽しむ。この「三ツ田」のハイライトが穴子の天ぷらである。これだけは衣をたっぷりとつけ高温で長時間揚げ、全体が「サクサク」になるようにする。こうして出来た穴子の天ぷらを大根おろしとつけ汁にひたすと、「ジューッ」という音がする。この音を楽しみながら、「アツアツ」で「サクサク」の穴子を楽しむのである。

私が楽しみにしている店はまだまだ沢山ある。前もってお願いしておくと、炊きたての毛ガニを用意してくれるお店がある。炊きたての毛ガニは肉が簡単に殻からはがれる。また、温かさが残るカニ肉はうまみが凝縮されている。その店では季節もののホタルイカを昆布で巻いて焼いてくれた。ホタルイカの内臓と昆布の香りが混じり合って絶品であった。日本に帰ってこうした店を探し歩くのは本当に楽しい。

◆急増するタイ人経営の日本食レストラン

食は芸術である。「おいしい」という味覚のみならず視覚、嗅覚(きゅうかく)、食感などを総動員して食材を楽しむ。これにおいしい酒やワインを合わせると、食事の楽しみは倍増する。こうした日本食の素晴しさを是非世界中の人に伝えたいと思う。

振り返ってタイ。タイにも2200店を超える多くの日本食レストランがある。日本食と言ってもその範囲は広い。会席、割烹(かっぽう)料理、すし、天ぷら、そばなど、鎖国社会であった江戸時代に日本独自の進化をとげた、いわゆる日本料理がある。

これら日本料理の特徴は何かと言えば、食材としては野菜、豆類、魚介類を使用する▽素材に合わせて手を加えず、素材の良さを引き出す▽具体的には食材の切り方(包丁の入れ方)に細心の注意を払う▽だしのうまみを基本の味として、大豆ベースのしょうゆ、みそで味付けする――といったことに集約されるのではないだろうか。

こうした古典的は日本料理に対して他国料理を日本風にアレンジしたカレーライス、トンカツ、オムライス、すき焼き、ラーメンなども立派に日本食として世界中で認知されてきている。タイにはこれらの専門店も多数進出している。特にタイ人に人気があるトンカツやラーメンなどは、大変な激戦地帯となっている。2007年以降毎年200店舗ずつの勢いで増えてきた日本食レストランであるが、日本人経営者が撤退し、タイ人に権利を譲渡しているケースも多く存在すると聞く。

こうした業界に詳しい方にお話を伺うと、主に二つの理由があるようである。第一の理由は、当初の味やサービスが維持出来なくなることである。これは私にも経験がある。激戦区であると言ったラーメン屋の事例だが、ラーメンの「熱いスープ」を維持できている店はほんの数店に限られている。日本でもラーメン屋は1年間に新たに3000店開店するが、同じ数だけ閉店していくという。厨房(ちゅうぼう)の中は大変過酷な労働環境で、重いものを持ったりするため、腱鞘炎(けんしょうえん)やぎっくり腰になることもままあり、熱湯を使うことなどから厨房内の温度は60度以上となると聞く。こんな環境の中で熱いスープを出し続けることがタイ人の料理人は出来なくなってしまうようである。

また、サービスの劣化もよく目にするところである。2~3分で商品が提供される「早さ」が売りものの日本食チェーン店に入っても、タイでは30分以上待たされることは度々ある。日本人の私にとっては、これでは何のためにこの店を選んだのかわからなくなる。味やサービスが変わらない店は定期的に日本人が店を巡回している。こうした地道な努力があって初めて日本食レストランは営業が継続していくのである。

二つ目の問題点は、店舗のコストの高さであろう。日本人をターゲットとして日本人を多く住む地区に店舗を開店すると、土地代は日本より高くなる。これに見合う料金設定をしようとすると、下手すると日本の1.5倍の値段になってしまう。こうなると日本人も入らないし、タイ人も入らないということになる。タイ人が経営する日本料理屋の中には、タイ人富裕層をねらって「思い切って高い値段設定」をしている店もある。こうした店は意外にも、かえって大成功している。日本での金銭感覚に慣れ親しんだ我々にはまねの出来ない芸当である。

◆タイの日本食は世界で一番レベルが高い

うまくいかない日本食レストランの事例を挙げてきたが、それでもタイでは日本食レストランは確実に増加している。日本人駐在員の増加もあるが、親日的なタイ人が積極的に日本食を食べてくれていることに間違いはない。先日、タイから米ロサンゼルスに転勤された方が、タイに遊びに来てタイの日本食の質の高さと種類の豊富さに改めて驚いていた。間違いなくタイの日本食は世界で一番レベルが高い。こうしたタイで暮らせることは幸せなことである。

「タイではこれだけ日本食が受け入れられ、日本食品も製造しています。これからはタイを日本食品の輸出基地として育て、積極的に日本食を世界に広げようではないですか」。当地で日本食に関係されている方からの提言である。タイ人を味方につけ、日本食を世界に広げるのは、決して夢物語ではない。

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