п»ї 10年ぶりのシンガポールで感じたこと『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第52回 | ニュース屋台村

10年ぶりのシンガポールで感じたこと
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第52回

8月 14日 2015年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

シンガポールを訪問したのは10年ぶりである。もちろんシンガポールの観光旅行など初めてである。なぜ「もちろん」などという言葉を使うのかと言えば、2回目の米国赴任から帰国した1994年以降、世界各地、日本各地を多く訪問してきたがいずれも業務出張で、観光地に立ち寄ったことなどない。そんなわけで、シンガポールも東海銀行やバンコック銀行のオフィスを訪問した以外に空港の風景しか覚えていない。

空港内の風景はうっすら覚えている。シンガポール市内には5回ほどしか行ったことがないが、シンガポール空港には20回近く行っているからである。94年に米国赴任から帰国したあと、私は東海銀行国際企画部次長などの職務を兼務し、国際部門や資金証券部門の再構築の仕事を行っていた(ニュース屋台村拙稿5月22日付「わが同朋の死を悼んで」をご参照下さい)。

◆つらくしんどい思いが残る空港

新しい施策を企画しては、それを海外拠点に説明、説得して回らなければならない。夕方4時くらいまで大手町のオフィスで仕事をしたあと成田空港に向かい、夜便でシンガポールに行く。シンガポール空港で仮眠したあとシンガポールから早朝便でタイ、マレーシア、インドネシアに行き。日中仕事をする。その後その日の夜行便で東京に戻り、成田からオフィスに直行し仕事をする、という極めてハードなスケジュールをこなさざるをえない時期が続いた。

シンガポール空港にはあの時のつらくしんどい思いが残っている。しかしそれも今となっては若干苦いが良い思い出に変わっているから、人間とは不思議な生き物である。

今回私たちの旅行は2泊2日である。金曜日は通常通りオフィスで仕事をしたあと、21時半発の夜便でシンガポールに向かい、空港到着は深夜0時過ぎ。相変わらずシンガポール空港のイミグレーションは手ぎわが良い。航空預け荷物もあっという間に受け取り場に出てくる。空港をちょっと歩くと団体客専用のバス乗り場があり、空港に降り立つ団体客を乗せて次々に出発していく。「お見事!」と思わずうなってしまう。

我々のバスも出発。バスガイドが夜のシンガポールを説明してくれる。市内に近づくと大きな観覧車、マリーナベイサンズ(カジノ)、植物園のスーパーツリーなどがライトアップされ、とてもきれいである。シンガポールはロンドン、パリ、バンコクに次いで世界で4番目に外国人観光客が訪れる都市である。バンコクとはまったく異なる清潔で整然とした街並みを見ながら、この国の魅力が何なのかを考えていた。

翌日はあいにくの大雨。台風がシンガポールに来ており、南国で特徴的なスコールで数メートル先も見えないほどである。それでも我々はホテルの朝食を済ませると朝一番に、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイという最近オープンした植物園に出かけた。

バスを降りると植物園の入り口まで、近未来的にデザインされた屋根のついた歩道を歩く。まったく雨にぬれない。植物園は大きなドームが二つある。最初のドームは世界各国の植物を国毎に集め、イングリッシュガーデン、ロサンゼルスガーデン、シンガポールガーデンなどとして展示されている。植物好きな私と妻はロサンゼルスガーデンにあった懐かしい草木や南太平洋にある珍しい草木にはしゃぎながら時間を費やした。

二つ目のドームは高い塔に滝などを施し、そのまわりに南国の木がいっぱい生えた人工物である。塔の外側の道を通り、景色を楽しむのも良し、塔の内側は博物館や劇場などがあり、二酸化炭素(CO2)排出問題を取り扱っていた。ジャングルを切りひらき人工物だらけにしたシンガポールがCO2問題を啓蒙していることに、いささか違和感を覚えた。それにしても雨にぬれずに観光できる、これだけ大きな施設を考えたことに驚嘆する。

そうこうしているうちに雨もあがり、我々の仲間達は植物園内にある地上22mを歩く「スカイウォーク」を楽しんでいる。もちろん“高所恐怖症”である私は丁重にこの出しものをお断りし、一人さみしく下で待っていた。

昼前にはユニバーサルスタジオに隣接されているシーアクアリウムという水族館を見学。本格的な水族館を見るのはほぼ初めての経験である。恥ずかしながら魚は食べることしか興味がなく、水槽に入っている魚達の名前は全くわからない。それでも黄色、赤、青、橙(だいだい)色など、カラフルに輝く南洋の魚は驚くほど美しい。大型水槽で群れをなして泳ぎまわる大魚の軍団も、見ているだけでうっとりしてしまうような美しさである。この水族館には約50の水槽に800種類の魚がいるという。

◆12年前のガイドブックは使えない変貌ぶり

午後は半日ユニバーサルスタジオで過ごした。前回7月31日付の「ニュース屋台村」で書いたとおり、私はここで携帯電話を紛失してほとんどパニック状態になっていたため、アトラクションは三つしか乗らなかった。しかしここまで来ると、あまりにも人工的な観光資源の多さに私は若干辟易(へきえき)としてきた。自然がどこにも感じられないのである。映画をテーマとしたユニバーサルスタジオにいるのだから、当たり前なのかも知れないが……。

シンガポール名物のチリクラブの夕食を終えたあと、私たちは巨大カジノリゾート施設であるマリーナベイサンズに向かった。カジノ、ショッピングセンター、ホテルが併設されたシンガポールの新たな観光名所である。この施設の地下には地下鉄の駅があり、大勢の人がこの駅からはき出されてくる。

このマリーナベイサンズの目の前は港となっており、港とビルの間にある広大な広場に人々が座り込んでいる。これから始まる花火と水のショーを待っている。後方ではジャズオーケストラがスタンダードジャズを演奏してくれる。「これでもか、これでもか」と言った調子で観光客をもてなす。

すると間もなく花火が上がり始めた。港の上には、ぽっかりと大きな空が広がっている。この空に向かって次々と花火が打ち上げられていく。本格的な花火は50年ほど前に多摩川の花火大会で見たのが最後である。今の花火はその時よりもずっと大きく美しくかつ技巧が凝らされていると感じた。十分に楽しんだシンガポールの花火であった。

初日のあまりにも強硬なスケジュールをこなし、疲れきってホテルに帰った。ホテルでバンコクから持って来たシンガポールのガイドブックを広げてみた。12年前に妻と娘がシンガポール旅行に来る際に買ったガイドブックである。驚いたことにこの日行ったユニバーサルスタジオやマリーナベイサンズなどいずれの施設も12年前のガイドブックにも掲載されていない。この10年の間にシンガポール政府が外国人観光客を呼びこむために「新たに造った観光資源」なのである。

◆「建国の父」リー・クワンユーの功績

そもそもシンガポールは1819年、わずか150人の島にイギリス人のトーマス・ラッフルズが上陸。1824年にイギリスの植民地となってからは、アヘンや茶などを取り扱う東西貿易の要として、また東南アジアのスズや天然ゴムの積み出し港として栄えた。第2次世界大戦中に一時的に日本の植民地となったが、戦後再びイギリスの植民地となる。「建国の父」と呼ばれるリー・クワンユー(以下リー)によって1963年イギリスから独立し、マレーシアと共にマラヤ連邦を構成するが、マレーシアとの確執から、1965年にマラヤ連邦から追放される形で都市国家として独立した。

貧しく政治的にも弱小であった当時のシンガポールは、企業家精神を持ったリーによって新たな施策を展開。経済的に税制恩典を利用した外貨の積極的導入、港湾や空港のハブ化や観光客誘致政策などをとり、人口わずか540万人で東京23区程度の大きさしかないこの都市国家を「世界有数の富裕国家」に変貌させてきたのである。

観光については今まで見てきたとおりであるが、港湾のハブ化についても膨大な広さのコンテナ処理場がシンガポール港に隣接する所にある。今回の旅行で何度かその横を通ったが、バスで通り抜けるのに何と10分以上かかる。さすがに中国の上海港と世界1、2位を争うだけの規模だと感じせざるをえない。これも官民一体となってサービス向上とコスト削減に日々努めてきた結果である。こうしていまやシンガポールの1人あたりの国内総生産(GDP)は日本の1.5倍とアジアで最も裕福な国である。

一方でこうした国家を成立させるために、リーはきわめて強権的な国家運営をしてきた。国会は選挙制度を敷いているが、与党である人民行動党が一貫して絶対多数を保持している。選挙干渉や意図的な選挙区の区割りなどが行われ、野党当選区には報復的な措置がとられると聞く。

街中ではあらゆる罰金によって国民の生活を縛りつける。トイレの水の流し忘れや、紙くずのポイ捨てにも罰金が科せられる。今回の旅行中、バスでの移動はきわめてスムーズであったがそれにも理由がある。高額な自動車税を課すことによって自動車所有を制限するとともに、市内への乗り入れも曜日別にナンバープレート番号による規制をかけるなど、徹底した規則社会がゆえである。

今回の旅行中、バスガイドが“シンガポール庁舎”を通り抜ける時、「ここに来れば国民は政府への文句や提言を文章で提出することが出来ます。しかしその後、どのような厳しい処罰がその人に対して下されるかは保証の限りではありません。それでもシンガポール国民はこの繁栄をもたらしたリー・クワンユーを敬愛しています」と述べたのが印象的であった。昔シンガポールに駐在したことのある日本政府の役人が「電話はいつも盗聴されています。」と言っておられたのを思い出す。朝日新聞がシンガポールを称して「明るい北朝鮮」と呼んだのも、言い得て妙である。

◆日本にない強いリーダーシップと不退転の覚悟

シンガポール旅行の2日目はマーライオン見学とオーチャード通りでの買物である。ルイヴィトンやシャネル、エルメスなど高級ブランドがオーチャード通りに沿ったショッピングセンターのいずれビルにも入居している。「良くこれだけの店があってつぶれないものだ」と感心しきりである。買物にはあまり興味のない我々夫婦は街を見学するだけで終わった。その後我々は港からバンコクに戻り、夜9時にはアパートに帰り着き。今回の旅行は終わった。

それにしても、あまりにもタイや日本とは異なった「シンガポールの国づくり」のやり方に驚きを覚えた今回の旅行であった。戦後70年の間にシンガポールをこれだけの反映に導いたリー・クワンユーの手腕には敬服せざるを得ない。

観光面だけを見てみても、迅速処理の空港、清潔な街づくり、安心安全な治安、整備された交通網、いくつもある観光名所などすべてが綿密に計画され、意図的にすべてが造られている。

強いリーダーシップと不退転の覚悟を持ってことをなしたのは容易に想像できる。東京五輪・パラリンピックで使われる新国立競技場をめぐる騒動に見られるごとく、強いリーダーシップや不退転の覚悟などは今の日本に最も欠けているものである。日本がシンガポールに後れをとったのも必然であろう。日本は官民ともシンガポールに学ぶことがいっぱいあるように思われる。

一方で、私はタイに戻ってきて正直ほっとした。シンガポールの空気は私にとってあまりにも窮屈に感じられる。民主主義を標ぼうしているシンガポールよりも、軍事政権下にあるタイの方がよほど自由を感じられるのは私だけであろうか。

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