コロンビアでの邦人誘拐事件 その回想
『記者Mの外交ななめ読み』第14回

10月 14日 2016年 国際

LINEで送る
Pocket

記者M

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間150冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味はサイクリング。

2016年のノーベル平和賞が、コロンビアの左翼ゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC)」との和平合意をもたらした同国のフアン・マヌエル・サントス大統領(65)に授与されることが決まった。FARCとの間で最終合意された和平内容は、ノーベル平和賞決定のわずか5日前の10月2日に行われた国民投票で否決されたばかりだが、内戦終結に向けた大統領のこれまでの努力を評価するとともに、停戦合意の順守と和平協議の継続を促す政治的な意味をもっている。

今回、僕が書くのは、ノーベル平和賞についてではない。FARCが起こした日本人誘拐事件とその人質の解放交渉を取材した当時の私的な回想である。

◆南米赴任直後に受けた「洗礼」

「FARC」と聞いて、日本との関係をすぐに指摘できる人は少ないはずだ。今回の平和賞決定に関する報道を見ていると、日本との関連を詳述している新聞はどこもなかった。国際面の記事に付けた年表の中にわずかに1、2行触れている程度で、日本とFARCの忌まわしい過去の歴史は、日本人にとって忘却の彼方(かなた)へ消え去ってしまったようである。

事件は25年前の1991年にさかのぼる。この年の8月、東芝の日本人社員2人がコロンビア北西部のアンティオキア県サンカルロスにある火力発電事業体の作業員宿舎で、FARCに誘拐された。僕がこの事件について細かく記憶しているのはそれなりの理由がある。入社10年目で初めて海外特派員に指名され、コロンビアをふくむ南米大陸をカバーエリアにするブラジル・サンパウロに赴任したその同じ週にこの事件が起きたからである。

東京の社会部から一報を受けた時、すっかり血の気が引いてめまいがした。当時のサンパウロは治安が悪く、前任者は強盗に遭って以来精神状態が不安定になり、赴任後1年足らずで交代していた。「抜かれてもいいから、とにかく生きて帰ってこい」。成田空港まで見送りに来た上司は真顔でそう激励してくれた。彼は上着のポケットから愛用のパーカーのボールペンを取り出して、「これ、よかったら使ってくれ」と言って僕に手渡した。悲壮感すら漂う赴任だった。

日本とブラジルの時差はマイナス12時間。昼夜が逆転し、不安で不安でたまらない。東京では「特オチ」を何度も経験していたので度胸はあったつもりだったが、海外に出るとずいぶん勝手が違う。着任後もずっと支局で寝泊まりしていた。事件の一報を聞いて、「うそだろっ」「なにかのまちがいだろっ」。心の中で声にならない叫びをあげるのだが、東芝本社の反応や雑観など続報記事が東京から容赦なく流れてくる。

サンパウロ支局は当時、南米にある唯一の支局で、赴任前に半年間、日本外務省の研修所でポルトガル語を教えていた日系2世の女の先生から個人授業を受けていた。「セニョール、ポルトゲス(ポルトガル語)を覚えるならブラジルに行ってからでないとやる気が出ないよ。日本では雰囲気になれるだけでいい」と冗談とも本気ともつかない言い方をされた。会社から支給された、まとまった額の語学研修費を折半し、僕の分で2人とも夜な夜な、東京・四ツ谷にあるライブハウス「サッシペレレ」でサンバとボサノバに浸って”予行演習”をした。

そのバチが当たったのか。後悔しても事件は待ってくれない。海外での邦人がらみの事件・事故では、各社ともとにかくわれ先に現地入りしようとする。この時点ですでに取材競争は始まっているのだ。当時のブラジルのハブ空港はリオデジャネイロで、ブラジルを代表するナショナル・フラッグ・キャリアはバリグ航空だった。リオにはNHKなど日本のメディア大手3社が支局を構えており、飛行機で移動するにはサンパウロよりリオのほうが優位だった。

成田からほぼ24時間かけて、ついきのう降り立ったばかりのようなサンパウロ・グアルリョス国際空港から、コロンビアの首都サンタフェデボゴタ(現在のボゴタ)へはバリグに乗ってリオ経由で行くのが最速である。僕は事件が発生してから111日ぶりに解決するまで、コロンビアへ計5回出張したが、バリグは毎回たいがい満席だった。サンパウロからとりあえず米マイアミまで飛んで、マイアミでアメリカン航空に乗り換えてボゴタに南下するという、いわば「急がば回れ」ルートを使うこともあった。毎回ボゴタに到着するたびに、僕はその時点ですでにエネルギーのほぼ全量を使い果たしていた。

◆「地獄」と「天国」

誘拐されていた東芝の社員2人が解放される見通しとなり、91年12月にボゴタに赴いた時は「地獄」の一端をのぞいたような、底なし沼の淵を歩いているような陰鬱(いんうつ)とした気分だった。

ボゴタは海抜2600メートル超。アンデス山脈の盆地にあり、空気が薄くて街中を歩いているだけでも息切れしてしまう。この時は機内にいるうちから周到に準備していた予定稿の直しや雑観をどう組み立てるか考えめぐらせ、気持ちが高ぶっていたせいか市内へ向かうタクシーの中で気を失いかけ、ホテルに着くとベッドから起き上がれなくなってしまった。

東京からの電話でたたき起こされた。部屋のドアの下を見ると、すき間にメッセージのメモや東京からのファクスがどっとたまっている。その中の1枚に「霞クラブ(日本外務省記者クラブの通称)での発表によると、解放された東芝の社員2人が駐コロンビア日本大使の公邸で記者会見する」とあった。時計を見ると、予定されていた会見時間はとっくに過ぎてしまっていた。万事休すとはこのことだ。「終わったな、これで」。僕はあきらめた。正直かすかな希望さえもなかったが、会見に立ち会っているはずの大使館員に話を聞いてなんとか原稿をまとめようと思い、ふさいだ気分でタクシーに乗り込んだ。

大使公邸の門が開くと、僕が乗ったタクシーは、中にいた報道陣のカメラの放列を一斉に浴びた。訳がわからずドアを開けると、大使館員が駆け寄ってきて「よかったぁ! 間に合ったぁ!」と大声で叫んだ。聞くと、大挙して先に来ていた報道陣は解放された東芝社員が到着するのをいまかいまかと待ち構え、僕が乗ったタクシーを東芝社員の車と間違えたというのだ。

東芝社員2人はアンティオキア県の県都メデジンの郊外でFARCから解放されたあと、空路ボゴタに移送されてきた。そのまま日本大使公邸に来ていれば、会見は予定した時間通りに行われたはずだ。ところが、東芝本社が空港近くのホテルを用意していて、4か月近いジャングルでの軟禁生活を強いられていた2人にシャワーを浴びさせたり、スーツに着替えさせたりしていた。このため公邸への到着が大幅に遅れたのだった。

「特オチ」を免れたばかりか、解放された2人の会見を取材した本記と雑観、事前に準備していたサイド記事は1面トップと社会面トップを飾る派手な扱いとなった。会見の写真も、事前に頼んでいた地元有力紙エル・ティエンポのカメラマンが撮影と東京への電送を首尾良くやってのけたので、他社を圧倒的に出し抜くことができた。サンパウロへの異動を命じ、成田まで見送りに来てくれた東京の上司から電話があり、「特オチだったら強制送還だったけど、今回はもう、遊んでいいぞ」と、僕にとっては罵声(ばせい)を浴びせられたことしか記憶がない彼から、最大級の賛辞とも思える言葉が届いた。

◆海外での邦人誘拐事件で「報道協定」は有効か

さて、当時の事件の取材に関する私的な回想を書きつけてきたが、本題に入る。なぜ、僕らが、東芝社員の解放の見通しをタイミング良く察知できたのか。また、解放された2人の会見まで事前にセットされていたのか。

日本国内での誘拐事件の場合、警察当局は人質の安全を最優先するため報道各社に「報道協定」を申し入れるのが一般的である。しかし海外で発生した邦人がらみの誘拐事件の場合、他国のメディアもいるので「協定」の締結は事実上不可能である。ところが、東芝社員の誘拐事件では発生直後から、犯人であるFARCとの交渉をごく少数の日本人外交官がすべて担っていた。犯人グループの特定から身代金の交渉とその受け渡しの方法にいたるまですべての情報が、スペイン語を母語のように操る日本人外交官に1本化されていた。

これら外交官らはブラジルに取材拠点を置いていた日本のメディア各社のほか、北米や中米に支局を置く日本の主要なメディアにも接触し、海外での邦人誘拐事件にも「報道協定」のようなものが結べないか模索していたようである。しかし、協定はそもそも日本新聞協会や民放連などに加盟している会社が対象の「紳士協定」である。週刊誌を発行する雑誌社などには適用されないし、もともとこの種の協定を当局との癒着と解釈するふしがある欧米のメディアから受け入れられるものではない。仮に協定を破っても法的な罰則はない。定例会見への出入り禁止や朝駆け・夜回り取材の拒否などのペナルティーを一定期間受けるくらいだ。

結局、外交官から接触のあった各社はそれぞれ本社の了解を取り付けたうえで暗黙のうちにこの申し入れを受け入れ、なにか動きがあった時点で速やかに連絡してもらうことを条件に、FARCの関係者と接触したり活動拠点に足を踏み入れたりしないことを約束し、それぞれの任地に戻って「その時」を待っていたというのが真相である。

91年12月のある夜、僕は同業他社の先輩記者とサンパウロ市内のカラオケにいた。そこへ、くだんの外交官の秘書から電話がかかってきた。それは「人質解放が間近いのでボゴタに来られたし」という内容を意味する、事前に打ち合わせた通りの暗号めいたメッセージだった。この電話をきっかけに、僕はその翌日から「地獄」の淵を歩き、その後、一瞬のことだが「天国」の入り口に立つような気分を味わうことができたのである。

唯一、1社がこの約束を反古(ほご)にし、FARCの活動拠点周辺の集落の住民に現金をばらまいて情報を取ろうとしている動きが発覚した。結局、この社は連絡網から外され、日本大使公邸での東芝社員の会見の場にはいなかった。「特オチ」という代償を被ったのである。

◆解放交渉の詳細はオフレコ

事件が解決した後、ボゴタに居残っていた各社の記者と、解決に導いた外交官との間で懇親会が開かれ、事件をきっかけに懇意になったので親睦の会を立ち上げようということになった。コロンビアのある都市の名前を冠した会名となった。この外交官が一方的に定めた「会則」は、懇談の席での話はすべてオフレコで、他言は一切しないということだった。当時の会のメンバーの中にはすでに定年で報道の第一線から退いたり、残念ながら亡くなったりした人もいる。会はボゴタで開いた第1回以降、メンバーの消息は互いに把握しているものの開かれていない。しかし、「会則」は発効したままの状態なので、解放交渉の詳細についてここでは言及できない。

ただ今回、FARCがコロンビア政府との和平に最終合意し、引き続き交渉のテーブルにつくことを約束しているので、いくつか明らかにできよう。それは、①日本人外交官がFARCと人質の解放交渉する際、双方が本当に交渉の当事者かどうか確認するため毎回行う取り決めがあった②東芝がFARCに支払った身代金(額は公表不可)の外貨はすべて日本で調達し、二つのジュラルミンケースに入れて第三国を経由してコロンビアに持ち込まれ、身代金の受け渡し場所とは違う別の空港で降ろした③FARCは身代金の受け渡し場所には人質を連れてこなかった。受け取った外貨をアジトに持ち帰りすべて真札であることを確認したうえで人質の解放場所を連絡してきた――などである。

コロンビアではその後もFARCなど左翼ゲリラ組織による身代金目当ての邦人誘拐事件が起きた。また、中南米でも同様の事件があった。そのたびに、この東芝社員誘拐事件での交渉手法が日本の関係当局の参考にされたという。

◆標的は人・企業から国家へ

あれから四半世紀が過ぎたが、海外で日本人が標的にされる事件は後を絶たない。しかし、特に中南米地域で左翼ゲリラ組織が身代金目当てで誘拐事件を頻発させた「誘拐ビジネス」の時代は終わりつつあり、代わって台頭してきた過激派組織「イスラム国」(IS)に代表されるイスラム原理主義組織の問答無用・極悪非道の手口が世界の治安を大きく揺るがせている。

標的が人や企業から、最終的に国家へと変わった。当事者同士による密室での極秘の交渉も難しくなった。人質の解放交渉を巨額の手数料で仲介するビジネスも生まれた。犯人グループが自らのサイトに刻々と犯行声明を載せる時代だ。人質やその殺害場面の動画も瞬時に拡散され、それが脅威を増幅させる。身代金も、市井のわれわれには天文学的数字に思えるような額に爆騰した。

安倍晋三首相は10月12日の衆院予算委員会で、南スーダンで国連平和維持活動(PKO)に従事している自衛隊員のリスクについて問われ、「南スーダンは例えば、我々が今いるこの永田町と比べればはるかに危険な場所」と述べた。政府は派遣部隊に「駆けつけ警護」の新しい任務を付与しようともくろんでいるが、現地での派遣部隊のリスクを永田町のそれと比較してみせるとは、なんとも「脳天気なボクちゃん」ぶりである。稲田朋美防衛相も「南スーダンに行っている隊員の安全確保を全力で守り抜く覚悟だ」と言っているが、どこかしらじらしい。「解」のない海外での邦人の安全対策はいま、過去の個々の事件がまったく参考にならないほどの困難に直面している。

※『記者Mの外交ななめ読み』 過去記事は以下の通り
■ASEANの舞台で歴然とした日中の外交力の差(第13回)
http://www.newsyataimura.com/?p=5741#more-5741

■難民に不人気な日本にいまできること(第12回)
http://www.newsyataimura.com/?p=4792#more-4792

■外交官と新聞記者の「守・破・離」(第11回)
http://www.newsyataimura.com/?p=4287#more-4287

■どの時代にもある「正義」の危うさ(第10回)
http://www.newsyataimura.com/?p=3015#more-3015

■訪日外国人2000万人時代(第9回)
http://www.newsyataimura.com/?p=2406#more-2406

■日本は「夢と希望の国」か(第8回)
http://www.newsyataimura.com/?p=1800#more-1800

■タクシンとフジモリ(第7回)
http://www.newsyataimura.com/?p=1636#more-1636

■首相内外記者会見の舞台裏(第6回)
http://www.newsyataimura.com/?p=989#more-989

■大使の品格(第5回)
http://www.newsyataimura.com/?p=850#more-850

■「好きな国」「嫌いな国」(第4回)
http://www.newsyataimura.com/?p=718#more-718

■日本人学校とグローバル人材(第3回)
http://www.newsyataimura.com/?p=596#more-596

■知日派を生かせない日本のさみしい外交センス(第2回)
http://www.newsyataimura.com/?p=442#more-442

■大使公邸料理とディプロマチックセンス(第1回)
http://www.newsyataimura.com/?p=274#more-274

One response so far

  • 七福神 より:

    生生しい現場の体験談は大変参考になります。通常紙面やテレビ報道でしか知り得ない出来事の裏には表に出せない様々な人間模様があるのでしょうね。こうした体験談、今後もよろしくお願いいたします。

    過去の記事も読ませていただきましたが、南シナ海を巡る中国との外交力の差云々の下り、いつも痛感するのは、外務省も含めて、国内のメディアや政治家も胆力云々ではなく、客観的で冷静な情報分析力に欠けている点、人民日報などの記事と比較すると力量は歴然としてますねえ。既に中国は1200兆円を超える超大国、好き嫌いは別として、こうした現実をきちんと受け止めるのが先決でしょうね。戦前のように戦車に日本刀で立ち向かう愚だけは避けたいものです。

コメントを残す


× 5 = 四十