п»ї 『ゆたかな社会』―“資本主義の諸問題の一考察” 『視点を磨き、視野を広げる』第2回 | ニュース屋台村

『ゆたかな社会』―“資本主義の諸問題の一考察”
『視点を磨き、視野を広げる』第2回

2月 14日 2017年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

金融機関に勤務。海外が長く(通算18年)、いつも日本を外から眺めていたように思う。帰国して、社会を構成する一人の人間としての視点を意識しつつ読書会を続けている。現在PCオーディオに凝っている。

◆はじめに

前回はスペインの哲学者オルテガの『大衆の反逆』を読んだ。オルテガは、産業主義(資本主義)の発展により得られた“豊かさ”が大衆社会を生み、民主主義の“繁栄”をもたらしたと言う。同書で展開される批判精神は、80年の時を超えて現代の日本社会が直面する危機の本質につながっていく。

オルテガの懐疑主義は、大衆社会に違和感を抱き、それを生み出した資本主義と民主主義に疑いの目を向ける。では、資本主義の何が問題なのか。民主主義は“人類普遍の価値”ではないのか。この問題を考察するにはもう少し勉強が必要だ。そのための出発点を資本主義とするか、民主主義とするかでアプローチの仕方が変わってくるが、今回は資本主義に焦点を当てて考えていきたい。なぜなら、18世紀に起こった“産業化(Industrialization)”は、現代が直面する諸問題の“起点”と位置付けられるからであり、豊かさを享受する現代を“成長という名の絶対神”として支配していると考えるからだ。

◆ゆたかな社会

今回取り上げる『ゆたかな社会(The Affluent Society)』は、『大衆の反逆』から第2次世界大戦を挟んで約30年後の1957年に出版された。当時、戦勝国として歴史上例のない経済的豊かさを手に入れた米国社会を背景に“「ゆたかな社会」における課題”を正面から論じている。著者のジョン・ケネス・ガルブレイス(1908〜2006年)は、カナダ出身の米経済学者であり、「進歩主義的な価値を重視する古典的な意味でのケインジアン」(出所:Wikipedia)として知られ、リベラルを代表する経済学者であった。なお、本書は初版から数度改定されており、今回は1998年の40周年記念版の翻訳の文庫版である。

本書ではまず「有史以来(ほぼ紀元前2000年来このかた)18世紀の初めまで、地球上の文明の中心に住む一般の人々の生活水準には大きな変化がなかった」というケインズの言葉が紹介される。これは、歴史上のほとんどの期間、大衆はずっと貧困に苦しんで生きてきたと言う事実を忘れてはならないと、最初に念押ししているのだ。そうした状態が変化し始めたのは、18世紀頃に産業化が始まった西欧においてであり、それを背景に(近代的な)経済学が生まれたとする。

したがって、経済学は当時の社会を反映して、「大衆の窮乏と非常な不平等」を基本的な前提としていた。例えばリカード(1772〜1823年)は、産業生産物の分配の問題に関心を持ったが、富は全体として増大しても土地の制約があるので地主の報酬が大きくなること、残りの生産物の分配において利潤と賃金は利益相反関係にあることを明らかにし、従って大衆の貧困はなくならないと考えた。ガルブレイスは、アダム・スミス(1723〜90年)、リカード、マルサス(1766〜1834年)の3人は、「伝統主義的、重商主義的通念に追従せず、現実世界をみて自らの理論を作り上げた」と評価しつつ、「当時は貧困や不平等は自然の産物であった」とするのだ。

この後、カール・マルクス(1818〜83年)が登場する。

◆マルクスによる資本主義の批判

資本主義へ疑問を投げかけたという意味ではマルクス主義が最も代表的な思想である。疑問を投げかけたというのは穏やかすぎる言い方かもしれない。マルクスは、他の経済学者が前提としていた資本主義そのものを否定するという“革命的”な思想を提示したのだ。社会主義体制の崩壊を経験した現在では、マルクス主義は顧みられなくなってしまったが、その資本主義批判は、今でも本質をついていると思う。

私は、学生時代に“マル経”を学んだ。そう言っても今の若い人たちには意味が通じないと思う。当時(1970年代)の日本では、マルクス主義は政治的・社会的に大きな影響力を維持しており、“マル経”は“近経(近代経済学)”と呼んでいた新古典派、ケインジアン、新自由主義経済学等の正統派経済学と対立する存在であった。

本書ではマルクス主義について章を割いて解説している。マルクスは、「主流派の伝統、特にリカードの所得分配の考えに深く根を下ろしている」がゆえに「権威と確信」を有していたと位置付ける。本書の指摘にあるように、マルクス主義は、「経済・政治・社会を総合して解釈する壮大な思想であり、哲学、宗教」でもある。従って、マルクス主義による資本主義批判は多面的である。ここでは、本書をベースにしつつ昔の記憶を呼び覚まして、経済学的視点からのマルクスによる資本主義批判をまとめておきたい。

マルクス主義からみた資本主義の基本的問題は、①労働者の貧困②不平等の拡大③不況の不可避性――である。

まず、①“労働者の貧困”とは何か。資本主義社会ではすべてのものは商品化されており、労働力も商品である。その商品を買う資本家(経営者)は、生産過程において剰余価値を実現するために、労働時間を伸ばそうとする。また、労賃を下げるあるいは低水準に置くことで剰余価値の増大を図る。労働時間と賃金において資本家と労働者は利害が対立するが、産業予備軍の存在が労働者の立場を劣位におき、交渉において資本家が圧倒的に優位に立つ。この結果、技術革新があったとしても労賃は低水準にとどまり、労働者の貧困が常態化する。マルクスは19世紀の社会を分析したが、同じことが非正規労働者に起こっているのが日本の現実なのではないか。

次に、②“不平等の拡大”についてはどうか。自由競争の世界では、労働者だけではなく資本家も競争にさらされ、その結果不平等が発生・拡大する。しかし当時の主流派経済学は「人が努力と手腕によって生産を増やすのは、経済全体にプラスであり、そうした有能な経営者や労働者が報酬を受けるのは、経済に刺激を与えるために必要だ」という考え方が一般的であった(今でもそうかもしれない)。だがマルクスは、不平等の拡大は資本主義体制を不安定化させるし、また道徳的にも正しくないと激しく批判した。この「道徳的に間違っている」というマルクスの熱い正義感が、当時の知識人を魅了したのであり、その反面、マルクス主義が“宗教の一種”だと批判される理由でもある。

③“不況の不可避性”については次のように説明する。好況期には賃金が一時的に上がり出生率が高まるが、これが過剰人口(将来の産業予備軍)を産むこと。また、労働者の賃金が上昇したとしても、それに伴って生産コストが増大する結果、商品価格が上昇し「労働者の購買力が労働者の生産についていけないこと(過少消費)」により商品が売れなくなって好況が終わると考えていた。さらに、資本は、競争に勝利して利潤を上げるために機械化を進め、それによって生産設備が大規模化し、結果として「(資本蓄積による)利潤率の低下傾向」が生まれ不況の原因となるとする。

実際に、大きな不況が19世紀後半に頻発し、20世紀初頭にはついにマルクス主義の実現を目指すレーニンによってソビエト連邦が誕生した。1929年には世界恐慌が起こり、資本主義の矛盾がいよいよ顕在化したかと思われた。資本主義に代わるものとして、社会主義が世界的に大きな影響力を持った時期であった。なお、当時のもう一つの選択肢としてナチスに代表される“国家社会主義”があった。経済的苦境による絶望感と、既成の政治の停滞に閉塞感を抱いた大衆は、現状を変えてくれる(かもしれない)極左(社会主義)と極右(ナチズム)に希望を託したのである。現在の世界の政治状況が1930年代と似ているといわれるが、その後の歴史がどうなったのかを考えると懸念を禁じ得ない。

◆ケインズの登場

こうした状況下でジョン・メイナード・ケインズ(1883〜1946年)が現れた。ケインズは需要に注目し、「政府による公共事業で労働者の購買力不足を補うことで不況が回避できる」と考えた。米国ではケインズ理論を取り入れたニューディール政策が採用された。マルクスが予想したように資本主義は崩壊せず、戦争を挟んで生産は増大を続け、社会は豊かになった。失業や不況という資本主義の基本的問題が修正されたという意味で“修正資本主義”あるいは“混合経済”と呼ばれる経済体制で、第2次世界大戦後の資本主義諸国で一般的な形態となった。もっともガルブレイスは本書で“修正”や“混合”といった言葉は使用していない。なお、ケインズ政策の効果は確認できず戦争によって生産が拡大しただけだという批判がある。また、戦後にインフレーションが亢進(こうしん)し、ケインズ政策の副作用だという批判が起こった。ガルブレイスも本書の初版でインフレーションを資本主義の基本的問題としてあげているが、その後(1980年代)のインフレ収束をみて改訂版で撤回している。また、ケインズ政策に対する批判としては金融政策を重視するミルトン・フリードマン等の“マネタリスト”の存在がある。貨幣供給量のコントロール以外は、市場に委ねれば良いという市場原理を重視する思想で“新自由主義”とも呼ばれ、その後のグローバル市場での競争における政策理念となった。ガルブレイスは本書において、19世紀の“社会進化論(適者生存をとなえた)”が市場の自由な動きを(無批判的に)神秘化したとして、“市場原理主義”的考え方を批判している。

◆マルクス主義に対する財政赤字の勝利

ガルブレイスは政府による財政支出がマルクスの予言を打ち負かしたことを、「財政赤字が革命に取って代わる」と、皮肉を込めた見事な言い回しで表現している。マルクス主義の失敗は、①生産手段の国有(公有)による生産増への刺激の欠如②非効率な計画経済――に原因があった。①に関しては私的所有の容認、②については市場経済の導入によって、中国が経済的な成功を得たことを見れば正しい解釈だと思っている。一方、資本主義の側から見れば、構造的問題とされた「不平等」と「不況」を克服し、経済成長で得られた果実を原資に、国民に「豊かさ」を提供する能力で社会主義に打ち勝ったと考えるべきだろう。それを「財政赤字が革命に取って代わる」と表現したのだ。しかしながら、その後の歴史を見ると、勝ったはずの西側諸国が、民主主義の機能不全と市場原理主義の破綻(はたん)、金融政策に依存した政策運営の限界に苦しんでいるのが現実だ。また、日本においては財政赤字の持続性に対する懸念が重く沈殿している。これについては、別の機会に考察しなければならないと思う。

◆「ゆたかな社会」の基本的問題

本題に戻って、次に「ゆたかな社会」において何が問題なのかを見ていこう。ガルブレイスは、経済学にとって「貧困」「不平等」と「不況」が大きな問題点であったが、「ゆたかな社会」の到来と共にそれらは解消あるいは緩和されたとする。それを可能にしたのが「生産の増加=経済成長」である。経済成長はすべての社会問題を解決するのだ。こうして経済成長は、「政治における錬金術」となり、保守主義者だけではなくリベラルからも支持された。「成長」は今や選挙に不可欠の存在となった。しかし一方で新たな問題が生まれていた。それは、もはや必要なものを生産するのではなく、宣伝によって消費需要を造出するようになったことである。こうした欲望造出過程は、「負債を奨励する」ことで消費者金融の増加を伴う。この点において道徳的に問題があるだけではなく、(需要造出に限界がきて突然売れなくなることにより)経済の不安定性が高まっていることが懸念されるようになった。

また、ガルブレイスは、米国社会のもう一つの問題点として、民間の豊かさと比較しての公的サービスの貧しさをあげて、「社会的アンバランスが生じている」とする。そして、教育のための支出を、将来の人的資源に対する投資と考えてもっと積極的に取り組むべきだと訴える。

ここで米国社会について少し説明を加えておきたい。米国は建国の精神である“自主・独立”を尊ぶ気風があり、政府の役割について、“小さな政府(共和党)”と“大きな政府(民主党)”の対立がある。例えば、日本では当然の国民皆保険制度が最近までなかったのである。民主党のジョンソン大統領の時代(在職1963〜69年)には“偉大な社会”政策を掲げ、国民皆保険制度の導入を試みたが失敗し、その後はそうした気運の盛り上がりも欠いた。理想主義者のオバマ大統領が登場して、米国の歴史上初めて皆保険制度(“オバマケア”)が導入されたのである。制度上の改善点はあるとしても、米国における歴史的意義を高く評価すべきだと思う。それをトランプ新大統領は廃止しようとしているのだ。米国の圧倒的な富に接する度に、悲惨な貧困層の存在が目に浮かび社会的アンバランスの大きさに愕然とする。こうした社会的アンバランスは、ガルブレイスの時代から何も変わっていない、いやかえって悪化しているのではないかと思われる。「ゆたかな社会」の繁栄から取り残された人々が、トランプ大統領を産み出したとしたら、なんという皮肉であろうか。これに対して、戦後日本は、保守派も民主派も選挙の票になる社会保障制度の充実を競って、国民皆保険、国民皆年金の平等社会を築き上げてきた。米国社会の負の側面を見ると、戦後の日本の基本政策というべき“軽軍備・経済重視・福祉充実”政策は、正しかったと思う。したがって米国と違って日本の課題は、戦後システムの持続性にあるだろう。「財政赤字はマルクス主義に勝利した」が、気がつくと自らの重みに耐えかねているのが現実なのだ。

◆本書のまとめ

本書における資本主義の基本的問題をもう一度整理しよう。

●人類の大部分は、有史以来生存水準ぎりぎりの貧困状態にあった。18世紀の産業化の進展で経済成長が始まったが、経済学は依然として「貧困」「不平等」「不況」を大前提としていた。マルクスは、これを資本主義の制度的欠陥として捉え批判を加えたが、解決のための処方箋(せん)は間違っていた。

●そこにケインズ流の政府支出による需要創出政策が登場する。戦争を挟んで生産は増大を続け、1950年代の米国で「ゆたかな社会」は実現する。財政赤字がマルクス主義に勝利したのだ。

●しかし、宣伝による需要造出を前提とした生産が常態化し、消費者金融への依存度の高まりによって増幅された矛盾は、経済の不安定性をもたらし、新たな不安の種となった。

●また、民間の豊かさと比べて公的サービスの貧しさは社会的バランスを欠いており、まだ残る貧困層への援助も含め、民間部門とのバランスの回復に積極的に取り組むことが「ゆたかな社会」の課題である。

◆最後に

本書は、ガルブレイスの博識と名文に彩られた経済学の歴史に残る名著であり、平易な表現の中に多くの含意が散りばめられている。私がどれくらいそれらを読み取れたかはわからない。したがって、本稿は、本書を下敷きにした「資本主義の諸問題の一考察」と理解していただきたい。その観点に絞れば、本書はその後の資本主義の先行きに、やや楽観的すぎたのではと言わなければならない。しかしながら、我々が直面する現代の危機に繋(つな)がる示唆に満ちた本であることは間違いがない。右も左も経済成長至上主義となった源泉を辿(たど)り、宣伝による需要造出が消費者金融の増加に依存していく様(さま)は、リーマン・ショックに至る現代資本主義の問題点を見事に指摘していると言えるだろう。また、「ゆたかな社会」のなすべき課題として、将来世代のための教育投資の充実を訴えている点は、世代間ギャップが大きい日本こそ取り組むべき課題として印象に残った。

今回、資本主義の基本的問題の経済的側面について考えたが、道徳的あるいは社会的側面については十分考察し得なかった。マルクスは、資本主義の“人間疎外”の問題を指摘しており、現代社会に通じる問題意識であると思う。こうした資本主義の内包する社会的問題について、次回のダニエル・ベル『資本主義の文化的矛盾』で考えてみたい。

<参考図書>
『ゆたかな社会』(現代岩波文庫、2006年)

※『視点を磨き、視野を広げる』過去の関連記事は以下の通り
第1回 『大衆の反逆』―「進歩主義への懐疑」(2016年12月27日)
https://www.newsyataimura.com/?p=6225#more-6225

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