『進化論の世界』を読んでみた
『データを耕す』番外編4

6月 15日 2017年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

在野のデータサイエンティスト。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。職業としては認知されていない40年前から、データサイエンスに従事する。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

米国では「進化論」はあまり人気が無い。進化論は地球環境問題とは違って、損や得もしない話なので、トランプ大統領は相手にしないのだろう。筆者はAI(人工知能)技術が変えてゆくヒトの生活の、身近で遠い未来を考える重要な手掛かりが、進化論に潜(ひそ)んでいると思う。本稿番外編4では、50ページほどの、しかも半分がきれいなイラストになっている自然科学の入門書、創元社のアルケミスト双書から、『進化論の世界―生き物たちの歴史物語』(ジェラード・チェシャー著、2011年)を気楽に紹介してみたい。

データはコンピュータにとっての「自然」なのだから、データサイエンスはコンピュータにとっての自然科学であるというテーゼが、本稿「データを耕す」シリーズの出発点であり結論でもある。AIがゲームでヒトに勝つようになっても、コンピュータプログラム自体がサイエンティストとなるのは遠い未来だろう。しかし、データサイエンティストを雇用して、コンピュータによるコンピュータのための自然科学を行うことは十分に考えられる。進化論は化石などの科学的証拠が残っている過去の「生き物たちの歴史物語」(『進化論の世界』の副題)としては、十分に吟味されたサイエンスであることは間違いない。異論があるとすると、生命の誕生と、生き物たちの未来物語だろう。

◆生き物たちの未来物語

人類が進化の頂点にいるような、ピラミッド形の生命観は、ヒト中心の生命観としては分かりやすいし、ヒトが生み出す技術の進歩とも相性が良い。宇宙人ですらヒトみたいな形をしている。しかし、進化論はこのような進歩主義とは無縁の世界だ。ダーウィンが問うた「種の起源」における生物「種」という、種としての多様性をいかに理解するのかということを問題としている。

動物と植物を合わせると、名前のないものを含めて3千万種程度が地球上に生きていると想定されている(p56、以下、カッコ内で引用したページを明記)。細菌は分類が完成していないほど多様で、数十の門(p50)が知られているという。それらの種が、生命の共通の起源から進化したというのだから、ダーウィンの説は画期的なものだった。

その種が年間5万種ほど絶滅しているという(p56)。単純計算では600年後には、全ての種が絶滅する。動物と植物の種が6年で1%減少するペースを複利計算すると、600年後には37%程度が残っている。1200年後には13%程度、1800年後には5%程度が残る計算になる。どこかで人類が絶滅すれば、種の多様性は再度増加しだすかもしれない。

こんな大ざっぱな計算は信用できないので、現在知られている種のデータを系統樹(生物相互の類縁関係を樹木状に模式化したもの)の知識とともに統計モデルで計算すれば、ヒトが消滅する時期を長期天気予報程度の正確さで予測できるだろう。千年後というのは遠い未来の話ではない。気候変動の原因は、ヒトが作る炭酸ガスなのかどうかは分からなくても、現状は好ましくないということは、ヒトが消滅する日のカウントダウンで実感できる。

◆生態的地位(ニッチ)

種は可能な限り多くの生態的地位(ニッチ=生物種が生態系内で種間の争奪競争に勝つか、耐え抜いて得た地位)を占められるように適応してゆく。例えば、空を飛ぶための進化や、光を感じる眼を作る適応では、地球環境の必然的な条件から、適したデザインは限られて、異なる多くの種に似たような特徴が見られることを「収斂(しゅうれん)進化」というのだそうだ(p34)。

生態学では、種の多様性を同時代の種間の関係によって理解しようとする。進化論は種間の関係を、遺伝子によって伝えられる長い時間軸によって説明する。生態的地位(ニッチ)は生態学と進化論をつなぐ重要な概念ではあるが、具体的にどのようなものなのか、その大きさや形を議論しようとしてもうまくいかない。

データ間の関係をネットワーク・グラフで表すと、数学的なグラフ理論から導かれるハブ・アンド・スポーク形(※参考1)が認められる場合がある。ハブ空港と地方空港を結ぶ航路図をイメージしてもらいたい。ハブの構築は、進化では大陸に上がるなどの大きなニッチの争奪戦に相当するので、まれにしか起こらない大変動となる。進化の遺伝子ネットワークや生化学の代謝ネットワークでは、重要なハブと末梢(まっしょう)のスポークの間に、中間的な大きさの集積が認められる。大都市と集落の間に市町村の役場があるようなイメージだ。そして役場のように、調節機能を果たしている場合が多いようだ。国勢調査では家計を共にする「世帯」のように、スポークをニッチに近い形で再定義する場合もある。生態的地位(ニッチ)を、このようなネットワーク・グラフのトポロジー(ネットワークの接続形態を点と線でモデル化したもの)から再考するとイメージしやすくなる。

進化論が系統樹というツリー構造に固執するのは、生物の分類学からの呪縛かもしれない。地球上の生命は全て、四つの文字(DNAの核酸)と20の単語(タンパク質のアミノ酸)で綴られた物語(p12)なのだから、分類学にこだわる必要はない。DNAのゲノム情報そのものが種の定義と分類を与えてくれる。進化を共生や共進化も含めて、より自由なネットワーク・グラフで表現すれば、生態学との接点も理解しやすくなるだろう。

◆ヒトが消滅しない技術の進化

地球上の種の多様性が急速に失われているのはヒトの責任ではないかもしれない。しかし、人類が指数関数的に増殖していることは確かだ。その人口増加は食糧の増産とエネルギーの消費によって支えられている。技術の進歩といっても大きく外れていないだろう。

地球規模での生態学的な研究や進化論では、注目する現象に関連した様々な要因を推定できても、実験できないので、因果関係を解明できない。従って、普通の意味での自然科学にはならない。水爆などの大型の核兵器も、実験はできない。このような技術の評価には、コンピュータシミュレーションを活用している。

現在のシミュレーション技術は、爆発や渋滞などの連鎖反応をうまくシミュレートできる。ニッチの争奪戦をゲーム理論で表現できれば、AI技術によりシミュレートできる。大型のニッチであればうまくいきそうだ。生態学や進化論で、システム全体の挙動をシミュレートしようとすると、全ての要因をデータ化できていないのでうまくいかないことが多い。そこで、売店の待ち行列のように、ある現象に注目して、関連するプロセスをシミュレーションすることが考えられる。旧約聖書の創造説を信じないとすれば、進化はプロセスであって、システムではない。

例えばコンピュータに注目して、技術の進歩を、進化のプロセスとして再考したらどうなるだろうか。AI技術はハブだろうか、スポークだろうか、ニッチだろうか。エネルギー関連技術では、原発はハブやニッチではなく、スポークのような気がする。進化論だから、不必要になった技術は退化することもありうる。技術においても、重要なのは技術の多様性であり、単細胞な技術でも立派に存在できる豊かな環境だ。

技術の進化論は、リチャード・ドーキンズが『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)で提案した文化的な遺伝機構「ミーム」のことなのだろうか。『ミーム・マシーンとしての私』(スーザン・ブラックモア著、草思社)を読むと、答えは間違いなく「YES」になる。しかし、立ち止まって考えよう。指示の継承としてのミームが、最も適合するのは「法律」であり、文化や言語ではない。ミーム論としての法学について読んだことはないが、法律は自己増殖性があることに間違いない。法律をヒトの理性や道徳と切り離し、ミームとして議論するのには、ダーウィンのような冒険心が不可欠だろう。現在の大学教授にそのような勇気があるとは思えない。

法律の進化論ももちろん可能だが、AI技術が裁判官であり弁護士である時代について考えるとき、進化論の問題よりも、コンピュータが理解できるように法律や判例のデータベースをいかに整備するのかという、データサイエンスの問題のほうが優先される。技術の進化論でもおなじロジックで、特許(技術思想としての発明)をコンピュータが理解できるようにデータとして整備する(データを耕す)ことが優先される。筆者の提案は、ミームとはデータのことだと言い換えることにある。データは利己的な自己増殖装置なのだ。

自己増殖するDNAやデータに支配されない生活を想像するのは困難かもしれない。しかし、そのヒントは表現型が遺伝することにある。表現型が表現である限り、その表現を理解できる集団の中でしか意味を持たない。自己増殖とは集団の中での自己増殖であって、表現型における集団をいかに定義(発見)するのかという問題は、遺伝子型における種の定義とは異なっているはずだ。ドーキンズは『延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子』(紀伊國屋書店)において、表現型とニッチ構築の問題を議論しているけれども、ドーキンズの表現型は、遺伝型としての「種」からの延長でしかない。

自己増殖するDNAやデータに支配されない生活は、現在の進化論の未来物語とは大きく異なる。従って、ヒトは簡単には消滅しない。少なくとも、消滅時期を推定することはできない。ヒトが消滅しない技術の見取り図は、以下のようなものだ。

まず、自分自身の表現型としての遺伝子やデータを理解可能にする、予測誤差の小さい集団を発見しよう。予測誤差を小さくするためには、似た個体と似ていない個体が適度に混ざっていることが好ましい。技術の進化論でも同じロジックだ。そして、自分自身として全ての個体からそれぞれの集団を発見して、個体間の関係のネットワーク・グラフを作成する。そしてニッチとエッジを発見すれば、単純に利己的に自己増殖する遺伝子の世界とは別の世界(表現の世界)が見えてくるはずだ。表現の世界で進化する技術は、ミニマルアートに似ているかもしれないし、スーパーリアリズムに似ているかもしれない。表現の世界では、「ニッチとエッジ」から導かれる「愛と冒険」の物語が、少なくとも千年では終わらない進化を続けるだろう。

(参考1) ネットワーク・トポロジーのハブ・アンド・スポーク
https://ja.wikipedia.org/wiki/ネットワーク・トポロジー

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