権力者のウソに巻き込まれる人たち
『山田厚史の地球は丸くない』第98回

7月 21日 2017年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「信なくして立たん」。政治の世界で、よく耳にする言葉だ。信用や信頼が無ければ、民衆はついてこない。政治家に限らず、指導的な立場にある人は「信」を大事にしなさい、という教えは古今東西の常識だろう。

今の日本は、すさまじい勢いで「信」が蔑(ないがし)ろにされているように思う。

日本を代表する優良企業だった東芝の粉飾決算や燃費偽装の三菱自動車など産業界で起きた不正は記憶に新しいが、政治の世界でも平気でウソがまかり通る。ウソがバレても「そのような事実はありません」とシラを切って「水掛け論」に持ち込めば勝ち、という風潮が広がっている。

◆組織的な「証拠隠滅」

7月20日付の朝刊にも、南スーダンPKOで「日報」を組織的に削除した防衛省のことが載っていた。派遣された自衛隊員が戦闘に巻き込まれそうになった一連の出来事を知る重要情報である「日報」は、すでに「廃棄」されたことになっていた。

ところが、陸自内部に電子データで残っていた。「マズイ」と判断した上層部が「無かったこと」にするために「適切な管理を」という指示を出し、各自のコンピューターから日報データを削除させた、という。

ウソをウソで固める狗肉(くにく)の策とはこういうことを指すのだろう。

他国での活動を自衛隊は認めらえていない。平和維持活動(PKO)であっても紛争地域に派遣できない。南スーダンは内戦状態。PKO部隊を派遣することに無理があった。政府は「南スーダンは紛争地域でない」として部隊を派遣した。ここに最初の「ウソ」があった。

心配した通り大規模な武力衝突が起きた。昨年7月のことだ。駐屯地の近くで大勢の死者が出た。自衛隊員も巻き込まれかねない事態だった。一連の出来事を書き留めたのが日報である。

政府は「衝突はあったが戦闘ではない」と強弁した。これが二つ目のウソだ。

外国メディアは多数の犠牲者が出たことを伝えていた。大統領派と副大統領派の内戦が激化していると。政府の状況認識は甘すぎるのでは、とフリージャナリストが日報の情報公開を求めた。

日報にどう書かれているか、確認すれば、事態は一目瞭然だ。ここで防衛省は第三のウソをついた。「日報はすでに廃棄されました」

日報には「戦闘」が記録されていた。公表すれば南スーダンは戦闘地域とバレてしまう。廃棄は組織的な「証拠隠滅」である。

現地の状況をつぶさに調べれば予測できたことだ。知っていて安全としたのなら論外だろう。

事実を歪めれば、どこかに無理が生ずる。隊員が危険に晒(さら)され、それでも「戦闘でない」とウソを重ねた。日報には「戦闘」と不都合な真実が書かれていた。

自衛隊や防衛省の当事者は日報を電子データで保管していた。現地の隊員はキーボードを叩いて送信し、関係部署は電子メールで受けとる。「マル秘」と書かれた書類が回覧されるのではない。

外部には「廃棄した」ことにしても、当事者にデータは残っている。それではマズイ。次官や陸幕長が参加する会議が開かれ、「日報データを削除せよ」と指示が発せられた。

◆「陸上自衛隊の反乱」

「チャレンジ!」と社長が怒鳴って組織的粉飾に走った東芝と似たシーンが防衛省にもあったのだ。

シビリアンコントロール(文民統制)はどうなっていたのだろう。軍の暴走を止めるのは、シビリアンである政治家の役割だ。

稲田朋美防衛相は「知らなかった」「報告は後で受けた」。7月の武力衝突は「戦闘ではない」という認識である。

これもウソだったようだ。知っていました、となると責任問題が浮上する。国会で「知らなかった」と言いつづけているから、本当のことが分かると困る。

ところが、というか、とうとうというか、「日報が存在する報告は稲田大臣に上がっていた」という証言がメディアに載るようになったのだ。

稲田防衛相は「そのような事実はない」と記者の質問に答え、防衛次官も同様の釈明する。伝える新聞各紙に「稲田大臣は知っていた」とする「関係者」の証言がいっしょに載るという珍事が起きている。

既視感のあるシーンだ。加計学園を巡る「総理のご指示」を示す文部科学省に内部文書がメディアに流れた。「調査したがそんな文書はない」と文科省は否定。その途端、「文書はある。見た」という文科省関係者の証言が相次いでメディアに載った。

同じことが陸上自衛隊で起きているようだ。隠蔽(いんぺい)工作に加担するのはもうご免、という叫びではないか。

「陸上自衛隊の反乱」などと報ずるメディアもあるが、為政者のウソに付き合わされるのはもう懲り懲り、真実をはっきりさせよう、という動きが自衛隊内部から上がったのである。

◆疑惑は同じ根っ子から

自衛隊は自らの意思で南スーダンに出かけたわけではない。戦闘地域であることも承知していた。それでもPKOで行け、というのはシビリアンである政治家の要請だった。

筋が通らない要請でも文民統制に従わなければならない。危険承知で隊員を送り出した。そして戦闘に遭遇した。責任を問われるのは政治家ではないか。

ところが、政治家は「知らなかった」「戦闘ではない」と逃げまくる。あたかも失態は陸上自衛隊の責任であるかのように。

つじつま合わせに付き合ってきたことで、自衛隊まで隠蔽工作に巻き込まれた。さらに不正に手を貸すことを強いられる。政治家が責任を免れるために、自衛隊が罪をかぶる。過ちを犯したのは自衛隊だ、という調査報告書が書かれそうだ。そうなれば処分も受ける。理不尽ではないか。

まともな自衛隊幹部なら、不正の連鎖に手を貸していていいのか、と言うだろう。文科省では、前事務次官の前川喜平氏が、表に出て不正を告発した。自衛隊の指揮官が、ウソにウソを重ねる泥沼から抜け出したい、と思うのは自然なことだ。

自民党は、憲法を変えて自衛隊を「軍」にしたいと願っている。その軍が政治家に異議申し立てをしている。

文民統制は、文民が正常な感覚をもって公正な判断をする、ということが前提にある。文民が暴走する時、軍は黙って付き従えばいいのか。

日報疑惑は加計疑惑・森友疑惑と同じ根っ子から芽生えた。政治家の都合で行政が歪められ、都合が悪くなると平気でウソをつく。バレなければウソをつき通す。

そんな事態に「もう付いていけません」と官僚や自衛隊が叫んでいる。政権末期というのは、こういう状態をいうのではないか。

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