住まいの多様体(その1)
『住まいのデータを回す』第1回

8月 01日 2017年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

株式会社エルデータサイエンス代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

加齢とともに発症リスクが高まる疾患、例えば心血管系リスク、糖尿病、肺機能障害、がん、認知症の自明なリスクファクターは年齢だけれども、このリスクファクターは予防できない。しかし、臓器ごとに考えると、特定の臓器の加齢が病的に進行しているときに、その臓器に関連した疾患のリスクが高まっているともいえる。小児の慢性疾患、例えば夜尿症やてんかんは、その症状を薬剤などで抑えていると、加齢とともに完治してしまう場合がある。高齢者の慢性疾患では完治は期待できないけれども、発症しなければ問題ないし、早期発見して進行を遅らせることができれば、加齢とともに自然死することで問題が無くなる。

現代の医学では、感染症などの急性疾患の治療は大いに進歩したけれども、慢性疾患の治療は満足できる状況ではなく、介護やリハビリテーションとして多くの課題を抱えている。本シリーズ「住まいのデータを回す」では、加齢とともに発症リスクが高まる疾患の予防を、リハビリテーション技術として再考することを目指している。

◆「回る」ものとは

骨折の外科的治療は短期で完治しても、運動機能の回復には長期のリハビリテーションが必要になる。リハビリテーション技術から学んで、予防医療に気長に取り組むためには、コストを軽減し、明確な目標を設定することが重要だ。「明確な目標」は達成するための目標ではなく、「気長に取り組む」ための目標となる。コストを軽減するためには、身の回りのこと、住まいの在り方から再考して、IT技術を積極的に活用する。

日本語で「回復」とか「身の回り」というときに、「回る」ものは何なのだろうか。直線的ではない、波動のような回復は、気長なプロセスをうまく表現している。近くのものは見廻(まわ)ることができても、無限に続く空間は回すことが困難だ。身の回りの空間は、無限に続くユークリッド空間ではなく、コンパクトな多様体のほうが相性が良い。

多様体って何のことだろうかという疑問は、単なる数学の知識としてではなく、身の回りの空間として理解してゆきたい。「住まいのデータを回す」シリーズの裏の目的は、気長に現代数学を味わうことにある。具体的には、『スピン幾何学―スピノール場の数学』(本間泰史、森北出版、2016年)を身近に感じられるまで読み込んでみたい。

加齢とともに発症リスクが高まる疾患としては認知症をメインのテーマとしたい。遺伝的要因などで認知症の発症リスクが高い場合、軽度認知障害(MCI)で生活に支障が生じている状況など、認知症予防に取り組む動機は様々だ。しかし、認知症が治療可能な疾患となることを前提条件として、身の回りのことについて認知症予防に気長に取り組む環境を整えたい。そこではどのようなIT技術が活用できるのだろうか。それらのIT技術には「回る」幾何学のイメージを埋め込んでゆこう。

◆リハビリテーション的予防医療

様々な身の回りの事柄の連鎖に周期を見いだしてゆく。その周期はコントロール可能なのだろうか、周期的な問題は改善できるのだろうか、自転運動のようなスピンの場合はプラスとマイナスがありうる。時計回りの回転と反時計回りの回転というイメージが近い場合もある。昭和の家電ではいろいろなものが回っていた。電話のダイヤル、テレビのチャンネル、回るものはアナログ世代のイメージで、デジタル世代ではプッシュボタンに世代交代した。近未来の計算可能な世界が仮想世界となる超デジタル時代には、ヒトが回すのではなく、仮想世界で勝手に回る「モノ」たちと共に生きてゆくことになるだろう。仮想世界で勝手に回る「モノ」とは、筆者の文脈では「データ」ということで、近未来家電の中の「データ」は勝手に回っている。

もちろん、私たちは計算可能ではない事柄を多く含む現実の世界に生きている。しかし、計算可能なモノの代表格である「お金」が、現実の生活を支配している現代において、「お金」が「データ」を支配して、現実の生活が仮想化されてしまう。支配するというと政治的なイメージだけれども、「支配的な要因」という意味で、生活だけではなく、政治も仮想化されてゆく。当然、医療も仮想化される。仮想世界では民主主義はあまり意味が無いので、私と私の身の回りの人たちの幸せはどのように守っていったらよいのだろうか。

「住まいのデータを回す」は具体的な疾患のリハビリテーション的予防医療について考えながら、仮想世界における私たちの生き方を想像することになる。リハビリテーション的予防医療とは積極的な機能回復のための「介入」を行う予防医療というイメージだ。例えば、認知症の予防には歯の「咀嚼(そしゃく)機能」が重要だと仮定しよう。加齢とともに「咀嚼機能」は衰え、場合によっては入れ歯を使うことになるかもしれない。現在の医療は入れ歯のかみ合わせを調整するだけで、加齢とともに衰えた「咀嚼機能」の回復までは行わない。「咀嚼機能」を測定する装置が容易に利用できると想像して、例えば玄米を6か月間食べれば、どの程度「咀嚼機能」が回復するのかを調べる。「咀嚼機能」が回復すれば認知症の発症リスクは低減するというそもそもの仮定を、多くの仲間たちの統計データから検証することになる。多くの仲間たちとデータを共有するのは仮想的な世界に生きる仮想的な私だ。

◆連載の構想

できればリハビリテーション医療や認知症治療の現場から取材をしたいけれども、多くは書物や新聞からの引用となってしまうだろう。新しい技術の提案については、私や私の身の回りの人たちで「実験」をして、少なくとも実現可能であることを確認するつもりだ。あまり専門的にならないように、臨場感を大切にして連載を進めてゆきたい。「住まいの多様体」は全体の入り口で、連載の風景がある程度見渡せるように、5回程度を予定している。「住まいのデータを回す」シリーズ全体としては50回程度頑張ってみたい。

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