香港見聞録
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第101回

8月 25日 2017年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

10年ぶりに香港に行ってきた。今回は妻と一緒にタイ人のパック旅行に参加したため、新しい発見の多い旅行となった。香港には過去5回ほど行ったことがあるが、毎度のことながらいずれも仕事であり、香港の観光地を巡るのは今回が初めてである。

◆返還20周年

香港で見てきたものを語る前に、簡単に香港のことをおさらいしておきたい。

実は今年7月14日に開催した私自身の講演会のテーマの一つが華僑であった。そのため中国沿岸部の歴史などについては講演会に備えてだいぶ勉強をした。現在の香港は香港島、九龍半島、ランタオ島などで構成され、大きさは東京23区の約2倍、人口は730万人(2016年10月現在)である。ちなみに東京23区の人口は940万人(17年5月現在)であるが、香港はそのほとんどが岩山であり、居住可能区は全体で9%のみ。この居住割合で人口密度を割り戻すと、香港は東京23区の17倍の人口密度である。いかに人がいっぱいいるかがわかる。大都市であるバンコクや東京に住んでいる私でも、香港の人の多さには圧倒される。近年は中国大陸から大量の移住者がいるとNHKの番組で報道していた。1997年の香港返還から20年、「一国二制度」の建前とは別に、徐々に「中国化」が進行しているようである。

香港はそもそも、長江や黄河に続く中国第4の大河である珠江の入り口に位置する。古代より南方貿易で栄えた広州は珠江を200キロほど内陸に入った海沿いに位置している。香港は唐時代より広州を守るための「軍隊の駐屯地」として活用されてきた。朝貢貿易を推進した明朝時代には、広州はこの朝貢貿易の受け入れ港として栄えた。1513年にはポルトガル人が中国に来航し、香港に隣接するマカオを占拠し同所を拠点として活動を始める。日本にキリスト教を伝導したことで知られるイエズス会のフランシスコ・ザビエルはポルトガル政府の支援のもと、マカオを拠点として東南アジア各地でキリスト教布教活動を行った。

1699年.イギリス東インド会社が中国に来航し、1711年には広州にイギリス商館が開設されている。イギリスは中国から茶葉、絹織物、陶器などを輸入したが、当初その対価として銀貨を持ち込んだ。しかし、大量の銀流出に悩んだイギリスは、インドからアヘンを輸出し中国で販売することを画策。これに対して当時の清朝はアヘン輸入禁止策を講じたが、政商ジャーディン・マセソン商会(Jardine Matheson)の暗躍などにより、1839年に中国・イギリス間でアヘン戦争が勃発。1841年1月にイギリス軍は香港島を占拠し、翌年締結された南京条約により香港島はイギリスに永久割譲される。

更に1856年にはアロー戦争(第2次アヘン戦争)を起こし、イギリスは九龍半島の割譲を勝ち得る。この後もイギリスは引き続き清朝に圧力を加え、1898年7月1日には深圳河以南の土地の租借にも成功。これが現在の香港を形づくる基礎となった。

イギリスによる香港租借の期間は99年間であったが、1997年6月30日にこの租借期限が切れ7月1日をもって香港は中国に返還された。それ以降、香港は中華人民共和国の特別行政区として2047年まで「一国二制度」のもとで行政管理されている。今年は香港返還20周年の節目の年にあたり、習近平主席が香港を訪れ記念式典を催したことは記憶に新しい。

◆英語が通じない

少し前置きが長くなったが、今回の香港旅行で私の気づいたことや感じたことなどを五月雨式にご紹介したい。まず私がびっくりしたことは、「香港で英語が使えなくなってきている」という事実である。イギリスが香港を統治していた97年以前には「香港で英語が使えない」などということは全くなかった。しかし、今回の旅行では何度も英語が通じない経験をした。街中のホテルや商店、タクシーなどについては問題なく英語が通じる。しかし今回はパック旅行であったため、街はずれのホテルで宿泊したが、ホテルのレストランですら英語が通じなかった。街中で英語を聞くこともまず無かった。香港を訪れる中国人観光客は、1996年には観光客全体のわずか20%であった。ところが2007年は55%に上昇、2015年には78%までになっている。商売に目ざとい香港人が中国人観光客に対応するため「英語」から「中国語」にシフトするのもむべなるかなである。

2番目に感じたのは、香港が確実に中国経済圏に取り込まれているということである。香港から深圳、上海、北京に行く鉄道や高速鉄道が敷設され、香港から中国に向かう高速道路網も整備されてきている。香港と中国本土の距離感が短くなったことにより、もともと香港にあった時計、玩具、繊維などの産業は中国本土に移っていってしまった。昔の工業地帯も再開発によりコンドミニアム、アパートが建設されている。

3番目にびっくりしたのは、香港市内にはテスラを始めとする電気自動車(EV)が結構走っていたことである。日本やタイにいるとEVを見かけることはほとんどない。ところが、中国やシンガポールに頻繁に出張される方に伺うと、かなりの数のEVが走っているという。香港やシンガポールなど面積の狭い場所があれば走行距離の短いEVが活躍出来るという側面はある。また日欧米の自動車メーカーから覇権を奪いたい中国としては、積極的にEV化を進めているという背景もある。

しかし現実にEVが多く走っている光景を見ると焦りを感じざるをえない。現に香港で私達が泊まった郊外のホテルの駐車場にも「EV用の充電装置」が設置されていた。EV化は日本やタイの就業構造に大きな影響をもたらす。日本自動車工業会の調査によると日本の自動車関連就業人口は534万人にのぼるが、このうち製造・整備関連で153万人になる。自動車がEV化すると、部品点数は70%減少するという試算があるが、これを単純に就業人口に引き戻すと、日本で100万人以上の人が職を失うことになる。自動車のEV化の流れは、トヨタやホンダなど日本の自動車メーカーの生き残りを占うとともに、日本ひいてはタイの就業構造に大きなインパクトを与えるものである。

◆道教寺院

最後に、今回の香港旅行で私が個人的に面白いと思ったのが「道教」の寺院見学であった。日本ではほとんど知られていない道教であるが、長年にわたって中国の主要な宗教であった。共産党の支配する中華人民共和国になってからは、寺院の焼き打ちなど迫害にあい道教は中国本土から消えうせてしまった。しかし、香港・台湾・東南アジアではまだ道教は生き残っているようである。

実際にタイの華僑の通夜に出席すると、二部構成になった通夜に遭遇することがある。第一部はタイで一般的な上座部仏教であるが、第二部は親族が真っ赤な着物を着る。通夜の出席者全員が立ったり座ったり、時には踊りながら故人を供養する。お金や自動車の模型、はたまたお酒や食物が用意され、故人の遺体と共に埋葬する。「あの世に行っても自分の好きなものに囲まれて幸せな生活が送れるように!」という家族の願いがこもっている。

香港に行くまで、私はこの儀式が中国の仏教に由来しているものと誤解していた。しかし、香港で「車公殿」と「黄大仙」という二つの寺院を見て、タイの華僑が行っている通夜が道教のものであることに初めて気づいた。着ている衣装や寺の飾りものがタイで行われている通夜と同一だったのである。これもタイ人のパック旅行に参加したからでこその見聞である。

タイ人の香港旅行には必ず道教の寺が組み込まれているようである。それが証拠に、私が訪れた二つの寺院には、私たち以外にも多くのタイ人が押しかけ、お参りをしていた。一方で日本人観光客はあまりこれら道教の寺院を訪れることはない、と観光ガイドが説明してくれた。

道教はそもそも老子を始祖とした思想であり、人生の根元的な不滅の心理である「道」を追い求める。修行者は錬丹術を修得したり、あるときは不老不死の霊薬を求めたりする。修行者は「道」を求め、仙人になる努力をする。後に道教は「陰陽思想」「五行思想」「風水」などを生み出す。日本は古代よりこの道教思想に大きな影響を受ける。平安京の街づくりの中には、陰陽五行思想が色濃く残っている。

一方で、道教は時代を経て中国内で分裂を多く繰り返し、民間レベルではかなり俗化されてったようである。あとで観光ガイドから聞いたことであるが、今回訪問した「車公殿」は福建省に根ざした神仙であり、金もうけの神様のようである。香港人のみならず多くのタイ人も金もうけを期待してこの寺院にお参りに来るのである。私も「車公殿」でお線香を買い、お参りした。私にも「金もうけ」のご利益がまわってくるかもしれない、とわずかな期待をもった今回の香港旅行であった。

道教寺院①

道教寺院②

道教寺院③

香港旅行で訪れた道教寺院=どれも筆者撮影

 

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