日本の常識は世界の非常識?
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第102回

9月 08日 2017年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

2003年に約2兆円の公的資金を受け入れ、実質国有化されたりそな銀行に全く異分野であるJR東日本から実質単身で乗り込み、同行の再建にらつ腕をふるわれた名経営者に、故細谷英二(ほそや・えいじ)元会長 (以下細谷会長)がおられる。現在のりそな銀行は日本国内において三菱UFJ銀行など3メガバンクに続き資産規模第4位、かつリテール業務でナンバー1の評価を得る銀行として輝かしく復活した。この輝かしい復活に当たっては、細谷会長のみならず、岩田一男・上條正仁前社長や東(ひがし)和浩現社長など多くの方々の御努力によってなされたことには疑いがない。しかし、03年に細谷会長がりそな銀行に乗りこんだ時は、同行は旧態依然とした銀行であったことだろうと想像に難くない。そんな状況の中で、細谷会長が吐いた名ゼリフに「りそなの常識は世間の非常識である」という言葉がある。細谷会長は繰り返しこの言葉を発信し従業員を鼓舞しながら、りそな銀行を「銀行業」から「サービス業」に転換させようとした。

◆「日本礼賛論」への違和感

幸いにも私は04年に細谷会長の知遇を得て、バンコック銀行とりそな銀行の業務提携契約を締結した。バンコック銀行に転籍してさしたる実績もない私と進んで面談をして下さった。私が提案を快く受け入れ、自らタイ視察をされた細谷会長の行動力がなければ、現在のバンコック銀行日系企業部の存在はなかったかもしれない。今回は私にとって大恩人の1人である細谷会長の言葉を借りて「日本の常識は世界の非常識?」を検証してみたい。

最近私が特に違和感を持って感じていることが、ここ数年顕著になってきたテレビ、雑誌などによる「日本礼賛論」である。1997年以降20年にわたり日本は名目国民所得が増加せず閉塞感にさいなまれている。さらに中国には国力で2倍以上の差がつけられた日本人は、自分達の心のよりどころを探して、こうした「日本礼賛論」に飛びついているように見える。

こうした日本礼賛論でよく取り上げられる「日本の食文化」や「日本の職人の技術」、更には「日本人が持つ潔癖さ、勤勉さ、規律の正しさ」などは大変素晴らしいものであることには違いない。しかしこれらは決して世界の価値観のスタンダードではなく、世界の人達が求めている方向性でもない。日本人はまず自分達が世界の中で変わった人種であり、「世界には自分達と異った考えの人が大半である」という事実に気づく必要がある。

昨今、日本には大量の中国人観光客が訪れる。2016年には2400万人の訪日外国人のうち26%強にあたる630万人が中国人観光客である。先日お会いした日本からのお客様の言葉を借りれば「銀座は中国人に占拠された」とのことである。またグーグルで「中国人観光客」と検索すると、中国人観光客のマナーの悪さについての記事が延々と続く。中国人観光客の多さは何も日本に限った話ではない。16年のタイの外国人入国者数は3258万人であるが、ここでも26%強の875万人が中国から押し寄せており、断トツの1位である。ちなみに日本人観光客は韓国より少ない第4位となっており、親日国タイにおいてすら、日本の存在感は目に見えて小さくなってきている。

さてこうした中国人観光客のマナーの悪さについてのみ日本人は目をむくが、ヨーロッパ旅行をしたりタイで生活したりしていると、中国人だけでなくインド人やアラブ人なども同様にマナーはなっていない。人の迷惑は顧みず大声で話し、列への割り込みは当たり前。電車に老人がいようが、それを押しのけて若者が座席を占領する。厳しい競争の中で、自分が生き残るためには当然の所作なのであろう。「人間としての品格」など「くそくらえ」である。しかし、世界の大半の人達は、こうした厳しい競争世界の中で生きているのである。

日本は1人当たりのGDP(国内総生産)が世界22位(2016年)にまで落ち込んでいるが、それでも世界全体の中では圧倒的に豊かな国である。日本人であれば最低限の生活は保障され、今まで安全な生活を当たり前のこととして過ごしてきた。マズローの欲望5段階説における「生理的欲求」や「安全の欲求」の充足は自明のものなのである。さらに日本人は第3段階に位置する「社会帰属欲求」を満たすために、“日本流”の社会ルールに従うことを自分のみならず他者にも求める。繰り返しになるが、「生理的欲求」や「安全の欲求」を当たり前のごとく満たしている日本は世界的には異端なのである。

◆リスクを取らない日本人

こうして満たされた環境の中で日本人は、「自由」「平等」「民主主義」に絶対的な価値を求める。実際に日本は世界的にもかなり高度に達成された「自由社会」「平等社会」「民主主義」を実現している。これも日本人だけが持つ「世界の非常識」である。日本を除いた世界の大半は階級社会である。その階級を構成するものは民族・宗教・言語・教育・出自・職業・企業など各国によって様々である。世界の大半の国において、生まれ育った階級から一つでも上の階級に這(は)い上がっていくことは容易ではない。下層の人は自分の立場に“あきらめ”を覚え、努力を放棄する。一方で上層の人はより豊かな教育と成功の機会を得て、いよいよ自分の立場を確固たるものにする。

多くの国では階層によって異なった考えの人が存在する。当初より不公平な社会を正統化するために「絶対的な神」が存在する。ところが日本は民族・言語・宗教などがほぼ同一である。また、多くの人間が狭い空間にほぼ平等に存在していたため、お互いに相手を思いやろうとする。「相手の気持ちがわかる」のである。これは日本だけの特殊性といっても過言ではない。日本には不公平を正統化するための「絶対的な神」は必要ないのである。日本人が無宗教でいられる所以(ゆえん)である。しかし本当の意味で自由・平等が達成しえない多くの国では、「自由」「平等」などの近代的概念よりも「絶対的な神」が必要とされている。

私が考える日本人の特殊性の3番目に「リスクを取らないこと」が挙げられる。そもそも島国で周りを海で囲まれた日本は、長い間外敵からの攻撃に守られた存在であった。こうした環境の中では、あえてリスクを取らず、じっと自国に縮こまれば身の安全が確保出来る。人口増加に伴う食糧難の時代にあっても、日本人は皆で食料を分けあって生き延びてきた。江戸時代の日本人の平均身長は159cm、中国人と比して5cm、英国人に比して10cm以上も小さかったが、これも食料の少ない時代を分配の知恵によって乗りきってきた証左である。あえて個人的リスクを取らず、全員協力で乗りきろうとするのは「日本人のDNA」となっている。脳医学的に見ても日本人は他民族対比で、欲望をつかさどるホルモンである「ドーパミン」が少なく、攻撃的でない。更に安心感をもたらす「セロトニン」も少なく、リスクに対してきわめて敏感な民族である。

日本の特殊性について細かいことを挙げれば更にいっぱいある。しかし私は日本の特殊性を述べることによって日本を“礼賛”する気もなければ、日本を“卑下”するつもりもない。日本人が欧米人や中国人と同様の行動をとるべきだとは思ってもいない。日本人には自然環境や社会環境、歴史に裏打ちされた特徴が備わっており、それが一朝一夕に変わることなど考えられない。

◆何も発信しない日本の外交

世界の状況は大きく変貌(へんぼう)してきている。移動手段は飛躍的に発展し、誰もが簡単に世界を行き来する。兵器の進化も激しく一瞬のうちに大量虐殺が可能となった。インターネットや電話の発達により情報は世界を駆け回る。こうした情報と共に資金も世界中を一瞬のうちにかけまわる。人工知能(AI)の進化によって人間の多くの仕事がAIにとってかわられることも予想されている。

技術の進歩だけではない。2000年には日本と米国のGDPを合計すると、世界の45%強を占めるほど、日米両国が世界の安定に貢献していた。しかし中国・インドの台頭、中東など資源国への資金越境により世界の安全保障のバランスは大きく崩れている。更には世界中の貧富の差の拡大により各地で紛争が起こっている。

こんな中で日本は江戸時代に行っていたような鎖国を続け、日本だけで生き残ることなど不可能である。現にほとんど何も発信しない日本の外交は鎖国政策そっくりで、中国や韓国の外交力に大きく競り負けている。日本人はまず「日本人と違う価値を持っている人がいる」ことを認識し、その価値の存在を認めることから始めなければならない。そのためにも、より多くの人が海外で生活したり自ら進んで海外の出来事や情報にアクセスしたりするなどして、外国の人と親密に付き合う必要がある。異なった考え方がいることを認識し、日本人の特徴を客観的に理解出来る人をなるべく多く育てることが、日本そのものの唯一の「生き残り策」であると強く感じている。

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