核兵器をめぐる論争とキリスト教
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第29回

9月 12日 2017年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

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勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。

北朝鮮による一連のミサイル発射および核実験は、核兵器の厄介な存在を世界に思い起こさせている。今更ではあるが、人類はその英知でどのように対処してゆくべきなのかあらためて問われている。その意味で今、タイムリーな記事を以下全訳で紹介したい。

◆キリスト教会派内の不協和音

「キリスト教と原爆 キリスト教は核兵器といかに向き合ってきたか?」(英誌エコノミスト 2017年8月20日)

世界で最も広く支持されている宗教が核の恐怖に対して複数の相いれない見方を我々に示している。

核兵器をめぐる論争においてキリスト教はこれまでどんな立ち位置にあったのだろうか? 世界で最も受け入れられている宗教の関係者たちは人類すべてを恐るべき終末に追いやりかねない道具の出現がもたらしたジレンマに対しどんな処方を持ち合わせているのだろうか? 世界で最大の核の管理者である二つの国がキリスト教大義の擁護者であるとみずから認めている現実のもと、標題の問いは現実に即さないただの頭の体操ではなく、今どうするかを質すものである。

どう向き合ってきたのか。それは核時代の始まり以来、キリスト教関係者はしばしば互いにかなり劇的に異なる二つの立場を表明してきた。今月の北朝鮮に関する論争はその違いを想起させている。トランプ大統領が「火炎と怒り」の脅しを発したのちすぐ、アメリカの主要紙を通した神学論争が起きている。トランプ氏に近い宗教的指導者の一人であるロバート・ジェフレス氏は、神がトランプ大統領に北朝鮮の指導者を「取り除く」権限を与えたと述べている。彼はワシントン・ポスト紙によるインタビューを受けた際、世界のリーダーには「悪を阻止するために戦争を含めて必要ならばどんな手段も用いることができる全権」が与えられていることを強調した。

ダラスを拠点とするこの伝道者は、トランプ氏に対し核兵器の発射をセットするようせかさないまでも大統領の威嚇スタンスを熱烈に支持している。一方、聖公会派(Episcopal)聖職者であるスティーブン・ポーリカス氏はニューヨーク・タイムズ紙の囲い込み記事のなかで、テキサス州発の(ジェフレス氏による)神学解釈を「衝撃的に誤解していてかつ危険」であると反論した。

ポーリカス氏が論じたように聖パウロによる「世俗の権力を貴ぶべきとする教義」は暴力使用に関する無制限の裁量権を意味するものではない。むしろ徴税のような実際的な事柄について言及しているのだとする。ジェフレス氏よりも賢明な聖職助言者なら大統領に対しキリスト教の教えには巨大な規模で死や苦しみに至らしめる旨の脅迫などに触れていると考えられる記述は見当たらないと諭したであろう、とイングランド国教会派(聖公会派)のポーリカス氏は述べる。

核兵器時代が始まった時点ではキリスト教信徒の間の「意見対立」はより生々しかった。広島と長崎を壊滅させた米爆撃機の乗組員はキリスト教徒であり、彼らは任務に就くに際し軍所属の司祭による祝別儀式を受けている。そして長崎は1600年から1850年の間における苛烈な迫害を乗り越えた歴史を持つ日本のキリスト教の枢要な砦(とりで)であった土地である。その地の浦上天主堂は1万2千人の信者を擁する当時としての巨大教会であり、爆撃機には3万1千フィート上空からでも識別可能な目標として機能したのである。8500人の信徒たちが爆撃の直接、間接の被害を受けて死亡した。木曜日朝の懺悔(ざんげ)礼拝者たちはその祈りの館の500メートル上空で爆発した火の玉により瞬時に消滅させられた。

その結果、考えを変えた人たちがいる。米国空軍の原爆を落としたグループ担当のカトリック司祭であったジョージ・ザベルカ牧師は原爆被害の全貌が明らかにされてのち平和主義への転向を果たした。彼は被爆50周年を迎えた当時の長崎を訪れ、涙を浮かべて神の許しを乞うた。

米空軍兵のためのルター派牧師であるウィリアム・ダウニー氏も同様の改心を経験している。一方、ローマカトリック世界での知的最高位に属する人たちの間ではもっと穏やかなペースで変化が起きている。正義の戦争の教義を究める何世紀にも及ぶ試みを経て歴代のローマ法王と彼らの助言者たちは、核兵器が戦争を巡る倫理基準を変えてしまった、と結論付けている。早くも1954年にはローマ法王ピウス12世が「戦争でこの手法を採用することによるおぞましい結果」が「人間によるコントロール可能な領域を完全に超えてしまう」ことになる時期を予見していたように思える。

最初の核爆発について繰り返されるキリスト教世界における問いのテーマは、その殺人閃光(せんこう)がキリスト教における変容(Transfiguration)のグロテスクな例えを意味するものとの考え方である。イエスが神であることについて新しい解釈を与えることになる、ナザレのイエスがその3人の弟子たちの前でまばゆい光の中に現れた瞬間である。広島原爆の日である8月6日に多くのキリスト教徒が「変容」を祝う。ロシア人とほかのキリスト教正教徒たちは(Orthodox Christians)旧暦の祝日「フィースト・イエスタディ」として暦にマークをする。

若いアメリカのキリスト教正教の学者であるニコラス・ソーイ氏のエッセイによれば、変容(Transfiguration)と広島の両方とも「巨大な雲があって、太陽より明るい光が発せられ」、そして「あたかも、天国が出現したような雷鳴がとどろいた」瞬間として記憶されている。しかし、最初の事象が安心とひらめきの出来事として表されたのに対し、2番目は今も続いている被ばく効果によって世界を醜いものとした終末的恐怖のメッセージを伝えたのである。

ソーイ氏は、その設立者がアムステルダムのロシア正教区に所属する、反暴力唱道の正教平和団体(Orthodox Peace Fellowship)のリーダーである。

しかし、ロシアのキリスト教会の世界では他にも多くの声を聴くことができる。ロシアの中核官僚の一人は、ロシアの国立教会が愛国の精神で会議を開催し論争をあおることによって核兵器を維持すること、そして戦略的抑止に向けて心を集中させること、の両方を支えた事実を認め、かつそのことに賛同している。これはロシアには敵国など存在しないと主張するいい加減な平和主義に対しバランスをとるために重要な錘(おもり)であった。

ロシアの聖職者たちは日常的に核兵器を礼賛する。彼らはそれら兵器が使われないよう祈ることがポイントなのだとしてその言動を正当化している。彼らの言葉を借りれば、発射ロケットが格納庫に収まっていることでその役割を果たすのだと。

しかしそんなまとまりのあるキリスト教が我々に与えていないことの一つは、核時代のジレンマに対する明快で誰も異議を唱えない答えである。本件を巡るキリスト教会派内の不協和音はそのジレンマをいっそう浮き立たせるのである。(以上全訳終わり)

※今回紹介した英文記事へのリンク
https://www.economist.com/blogs/erasmus/2017/08/christianity-and-bomb

2 responses so far

  • The Visionary より:

    タイを拠点とする東京生まれの豪州永住日本人クリスチャン宣教師から一言。
    新約聖書の最後の書、黙示録に、「世紀末」の予言が詳細且つ、謎と示唆豊かに著述されている。また、旧約聖書の預言書、ダニエル、エゼキエル、イザヤ、ジェレミア、ダニエル、ジョエル、ザカリア書などにも「世紀末」の到来とその経緯を促す予言が記されている。長たらしい解釈を端的明快に断言すると、「前世未聞の人類最悪の苦難の時代」が訪れ、全人類の三分の二は死滅。生き残るのはわずか三分の一。死滅の原因として原爆や核戦争とは明確には書かれていない。核戦争と指摘するのは、世紀末研究家やら宗教家であって、聖書には断言されてはいない。聖書の著述によれば、苦難が始まるのはイスラエルの首都エルサレムの西北に位置するメギド平地(Megiddo)。この地はかつてナポレオンも訪れ中東制覇の野心を模索した場所。
    この地を戦場として、東西南北の戦争参加国が猛烈な戦いを繰り広げるとの予言が記されている。その戦争期間は7年間。戦争開始の引き金となるのは、「反キリスト」なる人物(一人)。この悪玉がイスラム教なのか、カトリック教の本山バチカンの事なのか、それ以外には、米国大統領のトランプ、トランプ就任前は、オバマ前大統領が最も有力視されていた。ロシアのプーチン大統領も候補に入ってはいる。諸説複雑で、今現在誰が「反キリスト」の極悪人かは断言出来ないのが事実。この最悪な苦難の時代が終われば、クリスチャンの待ち望む、イエスが最高権力者として君臨する、真の平和が1000年は保たれる、新世紀が訪れる事になる。いわゆる「新しいエルサレム」の開幕。人種、肌の色、学歴やら履歴など全く問題とされることのない、イエスが説いた、人類が最も大事として生きるべき真実、人類愛、信者の兄弟姉妹愛を基礎とした新しい世界が開幕する。この、理想の時代をも生きられることを希望として、敬虔なキリスト教信者は、現代の混乱と疑惑に満ち、生きる事の意義を失ってしまっている時代を傍観しながら、毎日社会メジアの誇大情報や独断と偏見極まりない誤報に惑わされる事なく、歴史の一環を理解しながら、沈着冷静、そして清く正しく、自分にも他人にも真実を求める事を生きがいとして生きるよう努力を怠らない事を心に刻んで生きている次第。多くの人々が真の絶対的真実を理解するよう、真のキリスト教信者は布教、宣教をも日夜行っている。残念ながら、ご多分に洩れず、キリスト教にも多くのカルト(邪教)が発生、蔓延しているのが現代である。この現象も黙示録や、イエスの生き様を記録した、福音書に書かれている。是非とも、聖書を独自で読まれ、理解し、(質問があれば最寄の正しい解釈を推奨するキリスト教の教会に行き、聖書勉強会に参加して下さい。牧師に質問することをも勧めます。)自分の意見を持って下さい。いわゆる専門家とされる人々の意見や見解は必ずしもイエスの教えを正しく反映していると思われない物の方が多数です。所詮、愚かで欠点の多い人間、牧師だろうが祭司だろうが、宗教家であろうが真実を完璧に知り、尚且つその真実に元付いて生きている人なんていません。人間が人間の言う事を信じるなんてことこそ愚の骨頂です。肩書きやら、経歴に惑わされてはなりません。自分の力で真実を求めることこそが、人間がこの世に命を授かった、最大の目的です。ご再考のほど。

    • admin より:

      【ニュース屋台村編集委員会より】コメントありがとうございます。今回の記事は、英誌エコノミストの記事を邦語で全訳したものです。今後も、日本の新聞や雑誌ではなかなか読めない外国の新聞や雑誌の記事を紹介してまいります。

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