住まいの多様体(その5)
『住まいのデータを回す』第5回

10月 11日 2017年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

株式会社エルデータサイエンス代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

慢性疾患の予防もしくは治療に「気長に」取り組むために、身近な生活から見直すこと、できれば根本的に見直すことを考えてみたい。

私たちの生活はデータ化されている。私たちの生活のほとんどすべての部分が金銭的な価値にタグ付けされている(つまり価格がある)のは当然として、価格が無い部分も、無料サービスとしてデータが収集されている。価格は経済活動において重要なデータであるけれども、おそらくその1000倍、100万倍のデータがフリー(無自覚かつ無料)に集積される時代では、私たちの活動の全てがデータの対象となる。もちろん私たちの身体の全てもデータとなる。脳の活動を含めて、データとなりうる身体の全ての部分が医学の対象となる。

ある意味とても恐ろしいデータ化された生活者である私たちは、逆に、データ化された生活を前向きに生きることで、「データ」の力を借りて、慢性疾患の予防もしくは治療に「気長に」取り組む方策を考えるのが本稿の出発点であった。

◆『住まいのデータを回す』全体構想

本稿は医学論文ではないし、私自身や身近な患者さんたちの実践を目指すものでもない。「ニュース屋台村」の屋台の一つとして、今日的な社会問題に非政治的な考察を試みている。出来るだけ哲学的な断章ではなく、技術的で具体的な解決策に近づくことを目指している。非政治的な記載ではあっても、生活者もしくは市民の「抵抗力」を信じているという意味では、潜在的には政治的であり、不幸にして「抵抗力」が顕在化するときには、政治権力への抵抗となるだろう。

病気で死に直面すると、宗教や信仰の問題が重要に感じられる。科学も科学的信念に関する信仰のようなもので、真偽が信じられなくなったら成立しない。複素数の実在性を信じるというのも筆者の個人的な信仰の問題で、新興宗教とはならないように自制している。歴史的な宗教を否定するつもりはないし、宗教家の役割が重要であることは分かっているつもりだけれども、本稿の底辺となる生命倫理に関しては、非宗教的な立場から「生命の多様性」を重視している。

「データを回す」という回ることへの偏執と離陸が本稿の中心課題だ。中心がある、原点があるから回る。データの世界では「回る」ことは重要視されてこなかった。線形な世界が平行移動でしかないという、ユークリッドの迷信にとらわれていたとしか言いようがない。線形であるかどうかというよりも、可解であるかどうかということのほうが数学的には重要で、代数学的な意味で方程式が可解な世界は線形な世界だけではなく、楕円関数の世界(すなわち調和解析の世界)も可解かつ可積分な世界の代表的な例となる。

回ることの古典論からの離陸は、スピン(コマ)の回転に関する幾何学的研究から始まり、スピンが時計回りであるか反時計回りであるかという確率的な世界の解釈に至る。ニュートン力学や相対性理論では、どちらの回転も確率的には独立で、区別できない。量子力学の世界、代表的には電子や光の世界では、スピンの運動はスピノールという独特な幾何構造を持ち、完全に独立な世界の素描は不可能となった。論理的には独立であっても、この宇宙は論理的に完全な存在ではなく、微妙に縺(もつ)れている。この事情は、筆者の夢想の中では、素数の独立性、すなわち、自分より小さい素数に微妙に束縛されている素数の世界に対応している。筆者は素数と乱数を同等に信じている。量子力学的な確率的世界の縺れは、素数と乱数の関係に似たような、何か人知を超えた宇宙の秘密があるのだろう。

以下に、現時点で想定している本稿の構成をまとめる。もちろん各テーマでの結論は分かっていない。むしろ、各テーマの続編として、現時点では全く想定していない話題を取り上げることができれば、本稿の問題設定としては大成功だ。新聞の片隅にある記事を取り上げて、ニュース性や臨場感のある記事としてゆきたい。スピンの幾何学を学習するのには相当な時間が必要なので、本稿も気長に取り組むことになるだろう。

◆回る身体としての心臓としっぽ

健康関連のデータにおいて、「回る」ことに注目する理由は単純で、身体が回っているという直感に起因している。直感とはいっても、代謝回転については科学的に明確な根拠がある。しかし、代謝回転が私たちの生活とどのような関係があるのかということを考えると、文学的または哲学的にならざるを得ないだろう。回っていれば、何回も出発点に戻るので、目標を見失うことは無い。もしも複素数の世界を信じることができれば、特異点の周りを回ることで、特異点ではない全ての世界の出来事をまとめて体験できる(※留数定理)。

心臓の動きはポンプにたとえられる。右心房、左心房、右心室、左心室の4気筒エンジンと考えると、その動きはとてもエレガントだ。心臓の機能は血液を循環することであることは明らかなので、心臓が回っていることは確かなのだけれども、心電図の解釈としては、人によって時計回りであったり、反時計回りであったりするらしい。

心臓よりもっと生物学的に見て原初から回っている身体は、鞭毛(べんもう)の回転モーターだろう(※参考2)。ひとつのタンパク質(複合体)が回っている。細菌の世界だけではない、人の精子でも同様な動きをしている。鞭毛は「しっぽ」のようなものだ。人は何故かしっぽを失ってしまった。多くの動物たちは「しっぽ」でバランスをとり、感情表現している。人も「しっぽ」を回してみよう。筆者は中国人の太極拳の達人から「しっぽ」を回す運動を教えてもらった。すでに太極拳の記憶はほとんど失われてしまったけれども、「しっぽ」のことだけは忘れられない。

◆日常生活データとリハビリテーション医学

リハビリテーション医学とは言うまでもなく「機能回復」のための事後的な医療であり、予防医療ではない。しかし、運動機能の回復を目的とする場合であっても、老化によって失われる運動機能を、例えば関節痛を緩和することによって「予防」することも考えられる。精神医療では機能回復と生活破綻の予防がほぼ同じ意味になる場合すらある。リハビリテーション医療はWHO(世界保健機関)の「国際生活機能分類(ICF)」をデータ属性として定量的に評価されるようになった。ICFをデータ属性とすることで、日常生活データ全体を包括的に集積し分析することが可能になる。

逆に、日常生活データを網羅的に集積・分析することで、リハビリ医療に役立てたい。例えば玄関出入りや冷蔵庫扉開閉など、住まいのあらゆる開け閉め(オン・オフ)のデータを網羅的に集積することは実行可能で、これらを再生過程(※参考3)として分析すれば、日常生活のプライバシーなどなくなってしまうだろう。実際に、ガス、水道、電力の利用データを同時に分析すれば、いつ入浴しているのか即座に判明する。こういった日常生活のデータを他者に知られるとプライバシーの問題となるが、自分自身のための記録であれば、ライフログとなる。ライフログをICFにマップする試みは興味深い。

本稿のテーマとなる慢性疾患は、加齢とともに発症リスクが高まる老化に関連した疾患だ。老人医療は重要な社会問題であるが、老化のメカニズムがどのように進化してきたのか、老化の進化論は謎が多い。細菌は寿命が短いけれども老化しないように見える。多細胞生物になって、特に生殖機能を分担する細胞が現れてから、老化の進化が始まったのだろう。ガン細胞から生体を防御する免疫機構が老化と深い関係がある。いずれにしても、老化することが何故、どのようにして自然淘汰(とうた)されてきたのか、『老化の進化論―小さなメトセラが寿命観を変える』(マイケル・R・ローズ、みすず書房、2012年)、『なぜ老いるのか、なぜ死ぬのか、進化論でわかる』(ジョナサン・シルバータウン、インターシフト、2016年)などを読みながら考えてみたい。ICF生活機能の進化論などを夢見ながら。

◆万能計算機、愛と冒険の物語

コンピュータは万能計算機として誕生した。全ての論理演算を実行可能という意味では万能であっても、全ての論理的に正しい命題を証明できるという意味では万能ではない。ゲーデルの不完全性定理のような、形式論理の本質的な問題を議論するまでもなく、証明を実行するプログラムは、正解を出力するだけではなく、動作が停止しなくなる場合がある。しかもプログラムが停止するか停止しないか、完全に判別するプログラムは存在しえないことが証明されている。

「データ」はコンピュータにとっての「自然」であり、人とコンピュータが共進化(※参考4)することが本稿におけるコンピュータの役割で、万能計算機というよりは、データプロセッサに近いイメージだ。計算することができるのは、電卓のような計算だけではなく、真偽、勝敗、損得も、それぞれ数学的なモデルを仮定して計算ができる。数学的なモデルとはいっても、その場限りの恣意(しい)的なものではなく、数理論理学やゲーム理論といった、深い内容のもので、十分に検証されているので、それぞれ真偽や勝敗の定義のように感じられる。善悪はどうだろうか。宗教的な意味での善悪は別問題(信仰の問題)として、法律的な意味での有罪無罪であれば、数理論理学とゲーム理論に法律と判例のデータを与えれば相応の判断を行うプログラムを作成することは可能だろう。計算論的に法律の体系を整備すればほぼ完全な計算を実現できるはずだ。進化論をゲーム理論により計算して理解することも成功を収めている。しかし筆者の立場からは、その成功は限定的なもので、私たちの思索の今日的到達点に過ぎないと思う。

数理論理学とゲーム理論では素数の性質など、重要な数学的な問題を解明できないことがほぼ完全に証明されている。古典論理と古典的確率論では量子力学の理論と実験事実を合理的に解釈できない。進化論においても、遺伝子レベルの現象を説明できても、遺伝子の表現型の問題、タンパク質の機能や個体差の問題になると古典論の限界が明らかになる。筆者の仕事は古典論理と古典的確率論の枠組みの中にある統計解析の仕事で、古典的な方法とはいえ、データ量が爆発的に増えて、手におえない状況になっている。しかし振り返って考えると、個体差とは何か、個体の差異は進化論的にどのように理解したらよいのかという根本的な問題には答えが無く、100症例で不十分なら1000症例での統計学的仮説検定を行っているにすぎない。実際には1人の患者の治療方針が、そのような統計学的エビデンスにより(経済性も考慮して)決定され、治療は成功する確率と失敗する確率として患者1人の人生を運命づける。

筆者はゲーム理論よりもネットワーク理論のほうが(個体差の理論を含む)表現型の理論には向いていると考えている。古典的な統計理論との違いは簡単だ。臨床試験で100変数のデータを1000症例集めたと仮定しよう。データ行列は1000行100列の行列となる。古典的な統計理論は、このデータ行列から100行100列の分散共分散行列を計算する。変数が興味の中心で、例えば薬物投与を行うか行わないかという操作変数について、薬効の有無とか薬効に影響を与える変数を議論することになる。個体を中心としたネットワーク理論では、1000行1000列の行列を計算する。例えば、ある個人と別の個人の類似性の行列となる。この行列は明らかに古典的な統計理論の行列よりも大きく、行列の要素の多くがゼロや欠測値となるスパース(疎)な行列となる場合が多い。スパースな行列の要素を確率変数と考えた場合のランダム行列の理論は、古典的な稠密(ちゅうみつ)な行列とは異なり、様々な特異な現象が見つかっていて、多様な世界が広がっている。ちなみに、統計学的には全く意味が無い話になるけれども、稠密な行列の要素を全て確率変数としたランダム行列の固有値の分布は、素数の分布と関係がありそうだということが数学では大きな話題となっている。

スパースなランダム行列を作り出すランダムネットワークの理論が、どのように進化論に役立つのかは今後の課題となる。個体間のネットワークにも、ネットワーク理論でいうハブ&スポーク(※参考5)が見いだされる。進化論や個体差の理論などで重要になるのは、ハブ&スポークのような静的なネットワーク構造ではなく、筆者が名付けたニッチ&エッジの動的な構造を調べることが興味深い。エッジは成長点でニッチはエッジへのエネルギー供給源(ベースキャンプ)のような位置づけになる。ニッチは遺伝子ネットワークの中間層(調節ノード)に対応する考え方で、動的ネットワークの理論として数理的な定義を試みたい。ニッチ&エッジの文学的表現が「愛と冒険の物語」となる。

◆認知症を生きる人類と人工知能

加齢とともに発症リスクが高まる難治性の慢性疾患というと「認知症」、特にアルツハイマー病が代表的だ。アルツハイマー病の発症リスクは中国が高く(※参考6)、インドが低い(※参考7)。ともに人口が多く、医療統計がどの程度信用できるのかわからないとしても、中国共産党員のアルツハイマー病発症リスクは国家の存亡にかかわる社会問題と認識されている。

認知症は難治性の慢性疾患であり、治療法が確立されていない。現在の治療薬では、症状の悪化を多少の期間延期するか、一時的に症状を和らげる程度で、病気の原因をある程度診断できても改善できない。老化現象を遅くすることはできても若返ることができないようなものだけれども、アルツハイマー病はある程度病因が診断できる「病気」であるため、本格的な治療法が開発できると期待されている。ガンは怖い病気であっても不治の病ではなくなった。認知症も10年以内には不治の病ではなくなると、筆者は信じている、たとえ治癒率が10%以下で、年間1000万円以上の治療費がかかっても……。

認知症が不治の病ではなくなるということは、認知症のリハビリテーションが可能になるということだ。実際に、住環境を工夫すると認知症の症状が改善するという報告がある。少なくとも、認知症患者の介護のためには住環境の工夫は重要な課題となっている。住環境は無作為割付のような臨床試験には適さないので、様々な工夫の経験が積み重ねられているという現状だろう。そこでライフログをICFにマップするといった、全く新しいアプローチが役立つ可能性がある。

認知症は人類だけの病気なのだろうか。進化論的にはどのような意味があるのだろうか。筆者の不気味な推測は、人の認知症と人工知能には何か進化論的な関係があるのではないかと思う。認知症になれば人工知能を受け入れざるを得ない。人工知能を受け入れることで、認知症患者は精神的には自由になり、日常生活としては従順な老人になる。人工知能を受け入れる淘汰圧がはたらいているのだ。筆者の論点は逆で、認知症になる前の生活環境に人工知能を受け入れてしまえば、認知症を予防できるかもしれないということを考えてみたい。

◆データ論への準備

「資本論」はカール・マルクスが創出した社会変革の論理であった。難しい弁証法の議論はよくわからないけれども、時代の制約として、資本論の論理は静的な古典論理と動的なニュートン力学の論理の範囲内であったことは確実だと思われる。それで十分だったのだろう。資本論が描出した社会の底辺で生きる労働者や無産者階級は、現代では社会の底辺で生きることすら危うい失業者や難民に姿を変えた。マルクスは経済学を転覆することで社会が変わると信じていた。私たちの近未来は、コンピュータとの共存・共生という意味で大きな難局が待ち受けている。

現代においても、経済活動にとって「資本」が重要であることは疑いようがない。しかし失業者や難民にとって、経済活動よりも日常生活のほうが重要であることも間違いないだろう。マルクスが見抜いたように、99%の人々が無産者階級となっても、日常を生き抜いてゆくしかない。マルクスが問題提起した搾取(さくしゅ)や独占は、人工知能技術が生産活動を行う時代では、ロボットからの搾取やロボットの独占として無批判・無自覚・無意識に容認されているように思われる。

データベースはデータ属性を定義してから作成されてきた。データ属性が未定義な、文字データや画像データを集積するデータベースもありうる。膨大な量のデータが蓄積されると、プログラムによってデータ属性を「発見」することも可能になる。100万個の未定義データと1000個のデータ定義から、1001番目のデータ定義を発見する人工知能プログラムは、膨大な数の中から素数を発見するプログラムのようなもので、「独立性」を手掛かりとするはずだ。データ量はデータベースから発見される独立なデータ属性の数量として定義されるだろう。

「データ論」は「独立性」の理論となる。確率論的独立性、進化論的独立性、経済的独立性、政治的独立性、日常生活の独立性、独立であることは自由であることに論理的には近い概念かもしれないが、実在する世界(数や社会を含めて)においては、完全に独立ではありえないという意味で、独立は自由よりも優先されるに違いない。確率概念を非可換環に拡張して、量子力学との接点を探る自由確率論(※参考)における自由独立性が出発点となる。量子力学における作用素を、社会や日常生活におけるプロセスのようなものと考えると、プロセスは非可換であるほうが自然に見えてくる。

「データ論」が社会変革の理論となりうるかどうかはよくわからないが、人がコンピュータと共存・共生する近未来において、人と人、人とコンピュータ、コンピュータとコンピュータの独立性を高めるように行動すれば、多様で個性豊かな世界となることが期待される。近未来がその逆であった場合、人と人、人とコンピュータ、コンピュータとコンピュータの独立性が失われるのであれば、「抵抗」するしかないだろう。「データ論」は抵抗する表現論でもある。

参考1;留数定理
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%99%E6%95%B0

参考2;鞭毛モーター
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press20151228_01.web.pdf

参考3;再生過程
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E5%86%8D%E7%94%9F%E9%81%8E%E7%A8%8B

参考4;共進化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E9%80%B2%E5%8C%96

参考5;ハブ&スポーク
http://www.e-logit.com/words/hub-and.php

参考6;中国の認知症
http://www.recordchina.co.jp/b129510-s0-c30.html

参考7;インドの認知症
https://dot.asahi.com/wa/2015051500066.html

参考8;自由確率論
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1855-25.pdf

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