衆院選をめぐる雑感と今後の展望
『あれ、オレいまナニジンだっけ?』第16回

10月 27日 2017年 社会

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呉 亮錫(ご・りょうせき)

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作家、翻訳家。米ボストン大学国際関係学部を卒業後、雑誌編集者を経て独立。「第8回 真の近現代史観懸賞論文」(アパ日本再興財団主催)にて佳作受賞。著書に『「親日の在日」として』(LUFTメディアコミュニケーション)がある。在日韓国人三世(2016年12月に日本国籍取得)。横浜市出身。好きなものは、ミスチルと寅さんとベイスターズ。

10月22日に投開票された衆院選では、与党の自民・公明両党が圧勝し、憲法改正の発議に必要な定数の3分の2を超える議席を維持した。「第三の極」を目指した、小池百合子・東京都知事が率いる希望の党は敗北し、立憲民主党に次ぐ第3党に甘んじる結果となった。以下、今回の選挙についての、自分なりの所感をいくつか並べた。

①国防を問うのは危機の時だけでいいのか

今回の解散総選挙は、北朝鮮が核・ミサイル実験を繰り返す中で行われ、隣国の脅威に対処するうえで、もっともふさわしいリーダーが誰かを問う選挙となった。これまでの選挙で、国防問題を表立って語ることがタブー視されてきたことを考えれば、今回の選挙は国の守りを国民全体で議論するうえで、一歩前進と言える。

しかし、一つの疑問が残る。それは、北朝鮮のミサイルが頭上を飛び交うようになって初めて、「危機に対処できるリーダーを選ぶ」というのでは、本来は手遅れになるのではないかということだ。そもそも、北朝鮮の核・ミサイル問題のあるなしにかかわらず、首相は自衛隊の最高指揮官であり、国民の生命と安全を守る責任を負う立場にある。「危機に対処できるリーダーは誰か」というテーマは、普段の選挙の時から論じられるべきである。

「自衛隊の最高指揮官としてふさわしいのは誰か」が、首相の条件として普段から問われるようになるのかどうか。そのことが、日本の民主主義を考えるうえで重要なテーマとなる。

②中途半端だった希望の党

希望の党を率いてきた小池知事はこれまで、アメリカのトランプ大統領のスタイルを、露骨に真似ようとしてきた。「都民ファーストの会」という名前もそうだし、自身を「女性起業家のようなもの」と評したこともある。

しかし、小池知事がお気づきかは分からないが、トランプ大統領に人気が集まったのは、「経営者出身という政界のアウトサイダーだからこそ、従来の政治を清算してくれるのではないか」というアメリカ国民の期待が高まったからである。

これは仮定の話だが、もし仮にトランプ氏が日本人だったとして、先の大統領選と同じようなことを日本でやろうとしたならば、小池知事は間違いなく「倒される側」の人間に分類されたはずである。それが分かっていたなら、トランプ氏のまねなど、恐ろしくてできなかったに違いない。

立候補者は民進党からのくら替え組が目立って目新しさがそがれたうえに、大将である小池氏本人が出馬しないことで、「リセット」は看板倒れになった。政策も、改憲に前向きな一方で、脱原発や大企業の内部留保への課税を主張しており、右派なのか左派なのか、思想の軸のありかが分からない中途半端なものになってしまった。

表面的な「トランプの猿まね」とパフォーマンスになってしまったことが、希望の党の敗因ではなかっただろうか。

③日本の経済政策の議論は共産党に乗っ取られている

「日本には、大きな政府を求める党と、より大きな政府を求める党しかない」

今回の選挙について報じた10月14日付の英エコノミスト誌の記事が紹介した、河野太郎外相のコメントである。この一言に、日本の選挙戦のおかしさが集約されている。

今回の選挙で驚いたのは、「改革保守」を名乗る希望の党が、内部留保への課税を主張したことだ。大企業に賃上げを要請する安倍首相もそうだが、この国の政治の世界では、いわゆる「保守」の側から左の共産党まで、大企業は政府の意のままに動くべきだという考えが、どうやら主流らしい。

大企業とはいえ、民間は民間である。稼いだお金をどう使うかは企業の判断に委ねられるべきだし、そうでなければ、会社の経営の責任を経営者が負えなくなってしまう。

大企業だけではない。国の財政問題は、これまでの政府が身の丈以上の歳出を繰り返してきたことが問題なのに、政府のスリム化よりも、増税ばかりが議論される。まるで、庶民が働いて稼いだお金は、そもそも「お上」のもので、国民は政府が許す範囲でしかお金を持ってはいけないかのようだ。

果たして、私たちが働いて稼いだお金は、個人や企業のものなのか、それとも「お上」のものなのか。政策議論の水面下に、こうした思想の戦いが垣間見える。そして現在のところ勝っているのは、私有財産を認めようとしない、共産主義的な考え方である。すごくザックリとまとめれば、日本の選挙における経済の議論はほとんど、共産党の思想に乗っ取られていて、その度合いが党によって違っているだけだということである。

④「稼いだお金は誰のお金か」を問うことが政界再編の出発点

前節で、日本の経済政策の議論では、どの党も思想において共産党とあまり変わらないという話をした。このことは、逆に言えば、どの党も似たり寄ったりだからこそ、その逆のポジションに思想の柱を立てて議論することができるリーダーが現れれば、政界再編の呼び水になりうるということでもある。

働いて稼いだお金は、そもそも誰のお金であるべきなのか。働いた自分のお金なのか、あるいは政府のものなのか。こうした思想を、真っ向から議論し、国家観を示すような新党が出現すれば、現時点で存在する各党との、最大の差別化戦略になる。

それはつまり、経済政策を人権の次元で語るということである。一人ひとりの人権が等しく保障されなければいけないなら、私有財産を持つ権利も保障されるべきである。政府の事業をまかなうために、一定の徴税は必要だとしても、国民の財布から抜き取っても許される額は、どの程度なのか。「財政のために」「年金のために」という美しい言葉でごまかすことなく、そうした議論を行う政治家が必要である。

国防問題については、もはや立場の違いが生まれる範囲は、少なくなってきている。安倍首相は、自衛隊が憲法違反だと言われる余地をなくすために、憲法9条に第3項を加える憲法改正を目指すという。これに表立って反対すれば、「自衛隊は違憲だから無くすべきだ」と言っているのと同じになってしまい、あまりに浮世離れした意見だと世間から見なされることだろう。改憲が実現すれば、「自衛隊は合憲であり、必要だ」という立場が、この国のコンセンサスとして認められる。

そうなれば、次の政治の対立軸が生まれる余地があるのは、経済の領域であり、肥大化する政府とその借金をどうするのかという問題になると予想される。そこで議論されるのは、「働いて稼いだお金は、誰のお金なのか」という本質的な問題である。

そして、もしこうした議論が起こらないならば、「自衛隊は違憲か」「増税はいつまで延期できるか」といったおなじみのテーマが、いつまでも議論されることになり、有権者はますます政治に白けていくのではないかと危惧(きぐ)される。

今回の選挙で何が問われたかよりも、「何が問われなかったか」の方が、今後の日本の政治を見通すうえで、大きな価値を持っているように思える。

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