フェイスブック社に問われているメディアリテラシー
『あれ、オレいまナニジンだっけ?』第20回

3月 13日 2018年 社会

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呉 亮錫(ご・りょうせき)

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作家、翻訳家。米ボストン大学国際関係学部を卒業後、雑誌編集者を経て独立。「第8回 真の近現代史観懸賞論文」(アパ日本再興財団主催)にて佳作受賞。著書に『「親日の在日」として』(LUFTメディアコミュニケーション)、訳書に『クリントン・キャッシュ』(同。ピーター・シュバイツァー著)がある。在日韓国人三世(2016年に日本国籍取得)。横浜市出身。

インターネットなどの技術の進歩によって、「メディア」という言葉が意味する範囲は、従来の新聞やテレビを超えて広がった。現代では、「フェイクニュース」という言葉が世界的に定着するまでの問題となるとともに、マスコミと全面対決するアメリカ大統領の出現もあって、テレビや新聞の報道が公正なのかを疑問視する声も上がっている。

◆もっとも試されているザッカーバーグ氏

様々なソースから得る情報を、何を基準に取捨選択して、何を真実とし、何を「フェイク」と判断するのか。メディアとの付き合い方、「メディアリテラシー」が、現代に暮らす私たち一人ひとりに問われている。

そうした中で、そのメディアリテラシーを今、世界でももっとも試されているのは、世界最大のSNSを運営するフェイスブック社のマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)かもしれない。

2016年の米大統領選で、ロシアが同社のオンライン広告を使って選挙戦に影響を与えようとしていたことや、「フェイクニュース」がSNS上で広がったことを受けて、フェイスブック社は現在でも対応を迫られている。

今年に入ってからでも、同社は、タイムライン上に流れる情報のうち、他社メディアの提供するニュースの割合を減らして友人による投稿がより頻繁に表示されるようにしたり、ユーザーによるアンケートによってメディアの信頼度を格付けしたりするなどの対応策を発表している。最近では2月に、米国の選挙関連の広告主に対して、ハガキで身元確認を行う方針を打ち出した。

しかし、ユーザーの投票によってそのメディアが信頼できるかを決めるといった方策は、ニュースを提供している側としては、たまったものではないだろう。真実を伝えようと一生懸命に仕事をしているにもかかわらず、自分たちが読むべき媒体かどうかが、言ってみれば“人民裁判”で決められるというのだから。また、多くのユーザーが信頼しているからといって、本当にそのメディアがいちばん公正な報道を行っていると言えるのかについては、保証の限りではない。

すでにフェイスブック社に対しては、ニュースの掲載料を求める声も上がっており、同社と既存メディアとは、今後も緊張関係が続きそうだ。

◆「哲学」の問題

この問題については、いかにして「フェイクニュース」対策を行うかといった論点もあるが、あえて少し立ち止まって、ザッカーバーグ氏の立場に立って考えてみると、会社の経営を考えるうえでの勉強になる。

ザッカーバーグ氏に求められているのは、この社会において、フェイスブックという「わが社の事業」がどのような役割を果たしており、他のメディアとどのような関係にあり、顧客は何を求めているのかという相関図を、正しく描くことだろう。そのためには、「わが社の事業」が何であるべきかを俯瞰(ふかん)して考えるのと同時に、メディアが社会において担っている役割とは何かもあわせて検討する必要がある。これは、経営ではなく哲学の問題と言える。

会社が小さければ、「経営課題」とは経営の問題ですらなく、商売の問題でよい。「いくらで何を作って売り、いくら儲かるか」を考えれば済む。それを考え抜いて黒字の事業をつくるのも確かに大変だが、フェイスブック社の難解な苦労とはスケールが違う。フェイスブック社のように、急成長した会社が一定の規模を超えて社会のインフラの領域にまで踏み込み、多くの人々の暮らしに影響を与えるようになると、経営課題は哲学の問題になる。「わが社の決定」が、「わが社だけの決定」ではなくなってしまう。

しかも、この種の哲学の問題は、大学の哲学の先生に聞いても答えてくれるわけでもなければ、はるか昔にギリシャでソクラテスが何を言ったかを知っていても、直接の正解につながるわけではない。まさに自分の心と頭を総動員して“哲学”しなければ、正解にありつけない難問である。

フェイスブック社が問われているのは、社長の“哲学者”としての資質なのかもしれない。

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