国家という「家」について――米一般教書演説で確認したこと
『あれ、オレいまナニジンだっけ?』第19回

2月 28日 2018年 社会

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呉 亮錫(ご・りょうせき)

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作家、翻訳家。米ボストン大学国際関係学部を卒業後、雑誌編集者を経て独立。「第8回 真の近現代史観懸賞論文」(アパ日本再興財団主催)にて佳作受賞。著書に『「親日の在日」として』(LUFTメディアコミュニケーション)、訳書に『クリントン・キャッシュ』(同。ピーター・シュバイツァー著)がある。在日韓国人三世(2016年に日本国籍取得)。横浜市出身。

アメリカの大統領が年頭に議会で行う演説は、日本語では「一般教書演説」と言われるが、元の英語は「State of the Union Address」である。直訳すると、「state」は「状態(状況)」、「union」は「連合」を意味する。アメリカ合衆国は50州からなる連合体であり、その「連合の状況」を議会に報告する演説が、一般教書演説ということである。

◆「私たちは一つの国だ」と確認し合う場

合衆国憲法は第2条で、大統領が議会に対して、「連合の状況」を随時、報告するように求めており、一般教書演説はこの条文を根拠に行われている。第3代大統領トマス・ジェファーソンからは、「連合の状況」の報告はしばらく文書によって行われたが、1913年に第28代大統領ウッドロー・ウィルソンが演説を復活させてからは、何回かの例外を除いて、大統領による演説が年頭の恒例行事になっている。

「連合の状況」を報告するのが目的だから、演説では決まって、「私たちの連合の状況は強固だ(The state of our union is strong)」などの表現が登場する。大統領の演説を通じて、アメリカ全体が「私たちは一つの国だ」と確認し合う場である。

ひねくれた見方をすれば、わざわざ確認し合わなければならないということは、「アメリカは一つの国だ」という事実が当たり前ではないということでもある。確かに、アメリカ合衆国は建国に際して、各州をどのような連合体として一つの国家にまとめるのかという激しい議論を経ており、現在の合衆国憲法による統治に落ち着くまでは、「連合規約」という州同士の取り決めによって運営されていた時期もあった。南北戦争にしても、奴隷制の維持をめぐって南部の州が合衆国から脱退したことが原因である。

このように、「State of the Union」という言葉一つを見ても、アメリカという国が「自分たちはアメリカ人だ」と確認し合う場を必要としてきたという歴史がうかがい知れる。

以上のことは、1月に行われたトランプ大統領の一般教書演説を聴きながら、考えていたことである。トランプ氏も今回の演説で、「私たちはアメリカという一つの家族だ」というメッセージを送ることに腐心していたように思える。

◆トランプ氏に演説から教えられたこと

全体を通じて、与党の共和党議員は立ち上がって喝さいし、野党の民主党議員は着席のまま静かにしていた。これをもって、トランプ氏がアメリカ分断の象徴だと論ずる向きもあるかもしれない。しかし、それよりも注目したいのは、ゲストとして招かれた消防士や軍人に、ほぼ超党派で拍手が送られた事実である。自分の命をかえりみずに、他のアメリカ人を救ったヒーローたちを、場内が拍手でたたえ、顕彰した光景である。

トランプ氏は演説の終盤で、「英雄は過去にのみ存在するような国民ではありません。希望や誇り、アメリカらしさを守ろうとして私たちの周りで生きているすべての人たちこそが英雄です」と述べている(和訳は「NHK NEWS WEB」に依った)。ヒーローは特別な誰かではなく、私たちの中にいる。お互いに支え合って、アメリカという「家族」が成り立っている――。トランプ氏はこうしたことを伝えたかったのだろう。

このメッセージから考えさせられるのは、私たちはどのように国を守るのかという点である。「私たちは同じ国に暮らす、一つの国民、一つの家族だ」と思えばこそ、軍人は命を懸けることができる。もし、「赤の他人のために、とにかく戦え」と言われたとして、武器を取ることができる人はどれほどいるだろうか。「私たちは一つの国民だ」という意識があってこそ、他の同胞のために自らの命を投げ出すような人が生まれる。そして、そうであってこそ、国を守ることが可能になるのではないだろうか。

アメリカの一般教書演説において、安全保障に割かれる時間は一部である。しかし、「アメリカは一つの家族だ」ということを、年に一度の大統領の演説全体を通じて確認し合うということが、実はアメリカが自国を守る上で大きな意味を持っているように思えてならない。

さて、ひるがえって日本である。現代に暮らす私たちが、「自分たちはみな等しく日本人だ」と確認し合う場は、どこだろうか。正月の初詣だろうか、皇居での一般参賀だろうか、首相の施政方針演説だろうか、「建国記念の日」だろうか、お彼岸だろうか、お盆だろうか、「終戦の日」だろうか、大みそかの紅白歌合戦だろうか。それとも、「みなお互いに日本人だ」と意識することを、私たちはもう久しく忘れてしまっているのだろうか。

「私たちはみな、お互いに日本人の仲間だ」と確認し合うところから、一緒にこの国を守ろうという意識は生まれる。トランプ氏の演説から、改めてそのことを教えられた気がした。

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