機械文明を量子化する冒険と不条理な愛
『住まいのデータを回す』第11回

4月 09日 2018年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

株式会社エルデータサイエンス代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

『住まいのデータを回す』シリーズの前稿(第10回)では、「AI(人工知能)技術によって機械が人間化するのではなく、人間が機械化するという逆説こそ、本稿の折り返し地点にふさわしい」と結んだ。シリーズ第5回の全体構想を読み直すと、構想時点ではAIが機械文明を変質させる可能性を見落としていた。もしくは過小評価していたので、記載していなかった。AI技術を西洋文明もしくはその近代以降の出来事として、文明論の射程で考えていたのだが、西洋文明という地勢的な制約よりも、機械文明として人間が機械化されることがより本質的であることに気づいた。

人間が機械化されるとはいっても、ロボットのような身体の機械化だけではなく、知性や脳の機能全般が「万能計算機」によって機械化されることを想定している。もちろん計算可能な問題以外にも、数学的に深い問題が多数あり、計算以外の方法で見事に証明されていることを無視するつもりはない。しかし機械文明は計算可能だけれども解決不能な大量の問題を作り続けてきた。国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」、17の目標と169のターゲット(※参考1)は70億人の人類の大半が享受する機械文明が作り出す問題のごく一部でしかない。このような状況で人間が生き延びてきたのだから、人間が機械化する進化への淘汰(とうた)圧が働いているとしか思えない。それは人間と機械の共進化かもしれないし、人間という種の絶滅へのプロセスかもしれない。

◆データ目線のAI技術

昨今注目されているAI技術は、将棋や囲碁でプロ棋士を破り、コールセンター業務を自動化し、自動運転車への投資を加速している。情報技術が私たちの生活環境を大きく変えていることは言うまでもないだろう。筆者は情報技術というよりも、データ解析を本業としているので、データ目線でAI技術を考えて、高齢者の生活に役立てたいと願いながら、それでも将来の生活環境に関する大きな不安を抑えきれない。データ解析で根本的に見落としていることとして「データが回っている」こと、動的な相関のありかた、ネットワークグラフのランダムウォークでの回遊路、などが生活データを解析するためには特に大切だと考えて、原稿の執筆という宿題を課して勉強を続けている。

筆者の立場を「強いデータ論」ということにする。「強いデータ論」では、データはコンピューターにとっての自然であり、スピノザの「神すなわち自然」という近代合理主義が「自然すなわちデータ」へと変質することを認める。「自然すなわちデータ」ということは、自然はデータによってしか理解できない、理論はシミュレーションでデータを生成することで自然の一部のように振る舞うことを意味している。近代科学は理論で自然を理解できると考えてきたが、量子力学の観測問題(※参考2)以降では、測定行為と無関係に、すなわちデータ無しには自然は理解できない、少なくとも確率的にしか理解できないことが明らかとなった。この変質は物理学に始まったかもしれないけれども、「生活すなわちデータ」と言い換えれば、ビッグデータの時代にも当てはまり、AI技術の動向が、直接私たちの生活に介入する時代の始まりでもある。

本稿では技術、科学、科学技術を意図的に区別している(第10回)。AI技術という場合は、主に産業用途を想定している。技術の枠を越境したAIが科学技術となり、独占企業または国家によって非公開な技術となることを危惧している。強いデータ論の立場から見たAI技術の技術内容をまとめておこう。

(1)データベースを自動的に作成する技術; データベースに蓄積された情報を「データ」と定義する立場から、大量に「データ」をコンピューターに与える技術がAI技術の出発点となる。インターネットの情報を検索ロボットで巨大なデータベースとしたGoogleがこの分野ですべての技術をリードしている。囲碁ソフトはコンピューター同士の対戦を繰り返し、棋譜をデータベース化する。自動車からカメラで収集した画像をデータベース化してマップを作成する。この指数関数的に増殖するデータの世界は、データを独占したり、共有したり、プライバシーを再定義したりしながら、データの世界の「空間」が形成される。

(2)データベースを自動的に解析する技術; 画像データベースを解析するディープラーニングが代表的で、問題に特化した大規模なプログラム開発が不要になる。統計解析ではベイズ統計のパラメーター推定エンジンとして多用されるマルコフ連鎖モンテカルロ法(※参考3)も、多数のパラメーターを安定に推定するという意味で類似の技術といえる。データベースを自動的に作成して自動的に解析すれば、「リアルタイム」の応用が可能になる。データの世界に、人間の世界とは別の「時間」が動き出す。
このステップで画期的な技術革新は、データベースを自動解析して新たなデータ属性を発見する技術だろう。品質管理されたデータベースを作成するためには、あらかじめデータ属性を定義する必要があるが、新たなデータ属性を発見できれば、そのデータ属性を使って、元のデータベースの内的な整合性がチェックできるようになり、品質が向上し、より解析しやすくなる。Googleは画像から教師データを全く使わず、猫らしき画像の特徴を抽出することに成功している。データサイエンスにおいても、独立成分分析の応用やアダプティブな方法など、変数選択の方法が大きく変わりつつある。

(3)データ解析の結果から自動的に最適解を選択する技術; 「自動的に」ということは「機械的に」という意味だけれども、量子力学的に選択された最適解は驚くべき正確さと深遠な自然理解をもたらす。量子コンピューターが実用化されると、この最終段階がAI技術の飛躍をもたらすだろう。しかし量子コンピューターを使わなくても、ある程度、量子論的な選択を想像できるし、数学では選択公理(※参考4)という、もっと強力な道具が用意されている。選択公理は確率過程論における確率分布を定義するときにも使われるようなので、数学だけに限った問題ではない。一般に、選択するというと任意に(自由にという意味に近い)選択する場合と、ある条件を満たすものを探して選択することが考えられる。量子論の場合、この両者がほぼ同じ意味になるから不思議な感じがするわけだ。

数学や物理学のような厳密な議論を理解しなくても、量子論的な選択は化学的な計測機器であるNMR(核磁気共鳴)で実感できる。筆者も40年ほど前に化学会社で勤務していた時には、フーリエ変換の数学が好きだというだけの理由で、NMRの仕事を与えられた経験がある。実際は核スピンに関する量子力学を再度勉強して、核スピンを回転させる演算子の量子力学を理解しないと、フーリエ変換などの古典的な数学では表面的な理解しかできない。その時から始まり、いまだにスピンを回すことが頭から離れない。化学構造式に書かれた水素原子の原子核の核スピンが超電導コイルで発生する強力な磁場の元で整列し、その共鳴状態のエネルギーを、エネルギーに対応した電磁波の吸収(実際は放出)として測定するとても高価な装置(機械)だった。コツが分かってくると、実際の作業は核スピンを操作するパルス系列のプログラム作成なので筆者にとって楽しい仕事だった。

NMRの測定結果から化学構造式を決めることができる。NMRの測定結果は、まさに量子力学の測定そのもので、その正確さは驚愕(きょうがく)であり、核スピン間の相関構造を眺めていると、自然の深淵さを実感したものだ。このように複雑な相関構造を持つ確率変数(に対応する乱数列)を作ることは至難の業なのだけれども、最近ではシミュレーションプログラムが実用化しているらしい。このNMRの原理を使って、カナダのベンチャー企業Dウエーブ・システムズが量子コンピューターの商用機を開発した。核スピンの格子空間において適切に相関構造を設定すると、量子力学的なエネルギーが最小になる組み合せの解を測定で求めることができ、この最適解の計算スピードが現在のスーパーコンピューターより桁外れに高速になるという計算原理だそうだ。化学構造式の場合でも同じなのだけれども、核スピンは量子力学的な意味で「正解」を知っているので、計算すらしていない。無限次元の計算を、自然は計算しないで、確率変数の期待値として測定できるように用意している。

量子力学や確率論を自動的に実行する機械も機械の仲間に加えて、AI技術がこういった機械を自動的に操作することを想定している。多世界宇宙論では人間原理が議論されているけれども、将来は可能世界を選択するのは人間ではなく、コンピューターになるかもしれない。最後のステップ(3)がありうるので、「強いデータ論」が強力になりすぎ、その顛末(てんまつ)が心配でもある。筆者の能力は限られているけれども、最大限の想像力で本稿に取り組んでいる。

◆万能計算機と光への信仰

コンピューターは数学者の頭の中で万能計算機として誕生し、量子力学で本当に万能計算機になるだろう。量子計算のNMRバージョンを前のパラグラフで紹介したが、この素描では無限回サイコロを投げることが必要になる確率論的な計算を量子に行わせている。NMRの測定に使うのは電磁波、すなわち光であり、光の量子論的な性質を使う光計算機も構想されているらしい。光の量子論的な性質の簡単なものはレーザーとして実用化しているので、光計算機も近いうちに実用化できるのだろう。アインシュタインは光について深く考えて宇宙を解明する相対性理論を完成した。量子力学は光量子の微細な性質を正確に記述できるけれども、いまだに一般相対性理論と相性が悪い。

相対性理論から推定される宇宙の大きさを1.3×10^26(10の26乗)メートル程度として、量子論の単位となるプランク長1.6×10^-35(10の35乗分の1)メートルで割ると、宇宙を10^61個程度の格子空間(1次元と仮定して)と見立てることができる。これはコンピューターの2進法では203ビットに相当し、現在の主要なコンピューターが64ビットOS(オペレーティングシステム)であることから、その2世代後の256ビットOSの時代になれば、十分計算可能となる。

かなり大きな数を相手にしていることを実感するために、地球の水の分子数を計算してみよう。地球の水は1.3×10^21リットル程度らしいので、水1モルが18ml、1モルのアボガドロ定数を6×10^23として計算すると、地球には10^47個程度の水分子があると推定される。「覆水盆に返らず」という格言があるが、水1分子ごとに考えると、宇宙の自由度のスケール(10^61)では元に戻る確率はゼロにはならない。株価変動の解析にも使われる確率過程論では、2^R(Rは実数)個の要素を含む非常識なまでに大きな集合が必要となる。Rは1000や10,000程度である必要もなく、まさに無限大でもよい。量子力学も同じで、無限ビットの計算をしている所以(ゆえん)となる。自然(光)はこのような計算をさりげなく、当然のことのように行うのだから驚くしかない。

量子計算機など自分には関係ないと思われるかもしれない。有名な朝永振一郎の量子力学の教科書には、人が日焼けするのは光量子の効果だと書かれていた。生物は分子レベルで見ると量子力学の世界で生きていることになり、MRI画像診断装置は生体内の水分子の量子力学的な状態を画像として見ている。近代における機械のイメージはゼンマイ仕掛けの時計か、熱力学的な動力装置だったけれども、量子論的な機械は、生体内ではタンパク質一分子の動きとなり、光量子ひとつを捕らえることができる。

人間の光への信仰は文明論的に根深いものと思われる。しかし、生物にとって光はDNAを破壊する外敵であり、とても進化した植物が光の毒性を克服してエネルギー源としているという事実は、その植物の葉緑体が細胞内共生として進化したという驚くべき事実とともに、量子力学よりも最近の科学的発見なのだ。科学が宗教よりも優れているというつもりは全くない。私たちの自然理解は宗教のレベルを大きく超えることはなく、科学の進歩が人間の生き方に影響を与えるとき、科学技術として暴走することを止められない現実を直視したい。科学は宗教よりも強力で危険なのだ。宗教は人々の生活の底辺にこだわることで、科学の方向性をオープンに議論する場としての役割に期待している。

◆国策としての量子産業機械論またはゼロ次産業論という冒険

量子コンピューターとMRI画像診断装置、最先端の産業機械がともに量子力学を原理としていることは偶然ではない。その両者の原理レベルでの発展に日本人科学者が大きな寄与をもたらしたことも偶然ではないだろう。脳機能画像のfMRIは小川誠二教授の発案であり、今後も発展が期待される。しかし量子力学を産業利用する国策としては欧米の後追いで、冴えない。筆者の「強いデータ論」の文脈から、量子産業機械をゼロ次産業とする冒険について述べてみたい。

量子力学を原理とする産業機械を量子産業機械と呼ぶことにしよう。広い意味で、超電導や最先端の半導体技術、レーザー、電子顕微鏡などの産業利用も含める。「量子力学を原理とする」ということがポイントで、量子力学で記述される物理的な乱数を使った確率的予測制御も含めると、広範な産業応用が期待される。大量で性質の良い乱数を、高速かつ経済的に作成する技術は経済・産業的な優位性を確保する基礎技術となるだろう。とにかく量子産業機械を国策で推進してもらいたい。そして、量子産業機械を未来型産業の原点ともいうべき、ゼロ次産業に位置づける。あえて未来型産業という理由は、マイナス1次産業、マイナス2次産業、マイナス3次産業など、過去の産業社会の負の側面を正面からとらえて、それらを量子産業機械により国策で解決するという国家的な産業・経済戦略を考えているからだ。量子産業機械を使った産業経済のポジティブな側面は産業界に任せることで、競争原理に基づく経済発展にも寄与できる。

原子力産業では量子力学を使わなかったのだろうか。原子核の核分裂反応は量子力学的な素過程だけれども、その連鎖反応は古典力学で十分に理解できる。原子炉の制御理論も古典的なフィードバックコントロールで設計されていたと思われる。とにかく廃炉処理は重要なマイナス1次産業となる。地球環境を直接的に相手にする1次産業による環境破壊に関するビッグデータを、例えば人工衛星からのモニタリングによって作成する。この大量の画像データをAI技術で自動処理して、様々な環境シミュレーションを実行する。現在でも軍事情報以外は、研究者が国家予算の範囲で取り組んでいるし、スーパーコンピューターの重要な課題でもあるけれども、データベースを公開し、解析用のコンピューターリソースを民間に開放する取り組みは行われていない。一方で、天気予報は予測制御の良い事例で、民間にデータベースの提供が行われ、マイナス1次産業の出発点になっている。10年後、100年後の天気予報がある程度可能になれば、その予報から予測制御が実際に行われるのだろうか。地震予報のように、たとえ地震の発生を制御できないとしても、もし正確な予測であれば、十分な備えを行うことはできる。

マイナス3次産業として想定しているものは、AI技術により人間が機械化される「逆サービス」の弊害と対策だ。人間が機械にサービスを提供する。AI技術は高度な思考を行っているように見えるかもしれないが、計算可能な問題を取り扱っているにすぎない。機械は本質的に単純作業が得意なのだから、人間が仕事を単純作業に分解・整理することで機械が活躍できる。量子産業機械では単純作業の統合・調整・最適化、現在の管理職の役割も機械が行う。人間が機械化されたとき、新しいタイプの適応障害、もしくは職業病としての精神障害が問題となるだろう。すでに米軍では戦闘に伴う死者・負傷者よりも、退役後の精神障害が大きな問題となっている。米軍によって破壊された市民生活が、どれほど多くの精神障害を生んでいるのかは推定すらされていない。

筆者の製薬企業における職務経験から、精神障害の治療に用いる新薬の開発は膨大な開発費がかかり、成功確率も悪いことを実感している。MRIやPET(陽電子放射断層撮影)などの画像診断装置を新薬の開発に応用することで大きな技術革新が期待されるけれども、製薬企業や診断機器メーカーの事業として取り組むのには制約が多く、国家プロジェクトとして取り組むことが期待される。このように実務的な課題の場合には、産学官といっても、産業界の果たす役割が大きく、欧米のようにベンチャー企業が活躍できる環境を整備することが重要になる。

量子産業機械が破壊的な影響をもたらすのは人工物の製造業であり、機械文明の推進役であった2次産業だろう。すでに機械が機械を作る時代になっているけれども、機械が機械を設計して、機械が機械の使い方を人間に教えることが始まっている。コンピューターソフトウェアも含めて、機械の使い方がよくわからないとき、機械の気持ちになるとよく理解できるようになるものだ。より正確には機械を設計した人間の気持ちになるということなのだけれども、そのような人はかなり機械化されているので、普通の感覚の人にはやはり理解できない。マイナス2次産業は、旧来の職を失った人間に新しい職業を与える産業となるだろう。よく、介護や福祉の人材が不足しているので、そのようなサービス業にシフトすればよいという話があるけれども、製造業とサービス業では職業としての適性が異なるし、介護や福祉もいずれAI技術やロボットが活躍するようになるので、「新しい職業」とは何か、もっと真剣に考えたい。

将来の職業について考えると、大企業や公官庁などの組織就労者と自由業や中小企業などの非組織就労者に分極化するものと思われる。現在の組織就労者のかなりの部分が、非組織就労者となることを想定している。組織就労者においては、組織間の競争原理が働くとしても、組織による権限が強化されるので、組織内犯罪を防止するための内部統制にAI技術が活用されるだろう。すでに大企業においては、社内メールの内容がプログラムでチェックされている。一方で非組織就労者においては、組織的な労働環境の整備や賃金の保障が期待できないことの代償として、個人のプライバシーが保護されなければならない。十分な量と質の仕事が存在するものと仮定すれば、非組織就労者のほうが職業選択の自由は大きくなる。

非組織就労者に十分な量と質の仕事を提供するのがマイナス2次産業の役割である。本論で模索している「住まいのデータを回す」仕事は、従来の消費者・生産者の構図に代わるものとして、生活を底辺で支える行為を「労働」とみなしている。限られた賃金収入で物質やサービスを消費する社会の構図は無限な地球資源と生産性の向上、および永続的な賃金の上昇が無い限り持続可能ではない。家族内の家事労働が労働力の再生産という意味で正当な労働であるように、家族の枠を緩めて家事の概念を拡大した「生活を底辺で支える労働」も最重要の社会的基盤労働で、生活がデータ化される時代の労働になる。

進化論では「遺伝子プール」という種の重要な機能が研究されている。人類も種の一つなのだから、遺伝子プールを安定化させることが重要で、種の分裂や消滅を防ぐということは、社会の安定化によって達成される結果であり、社会を安定化する重要な目的でもある。優生保護法的な遺伝形質の人為的な選択や、核兵器による大量殺戮(さつりく)が遺伝子プールを不安定化することは明らかで、道徳や倫理以前の問題として、種としての生存可能性が問われなければならない。進化論的には個のレベルでしか淘汰圧がかからないため、種のために個を犠牲にすることはあり得ないという議論がよくある。単細胞生物のほうが多細胞生物よりも進化速度が速く、種の分裂や消滅を繰り返しているという事実を反省的に考えれば、社会的な多細胞生物が遺伝子プールを安定化させ、適応的変化のための時間を稼いでいるという見方もできる。言うまでもないことだが、進化は進歩ではなく、生存のための実験でしかないのだから、人類のように地球環境にとって巨大な影響力のある種が実験を繰り返すと、大失敗となるリスクが大きすぎる。少なくとも人類の社会は適応的変化が可能になる程度には安定してほしい。

「生活を底辺で支える労働」とは、適応的変化が可能になる程度に社会を安定化させるための努力であって、生活保護やセーフティーネットとは根本的に異なる提案をしている。AI技術を実装した量子産業機械がもたらす社会的な影響が破壊的に大きい可能性と、現在の社会の不安定性は人類が種として生存しうる環境をすでに破壊してしまったのではないかという危惧の、予測不能な未来と理解不能な現在の位相が重なり、この長い論考の基調となっている。「生活を底辺で支える労働」という考えを実現することはユートピア的な希望ではなく、生活環境を底辺から破壊しつくしている現在の社会体制への怒りや変革への意思なのだ。しかし、愛のない怒りであってはならない。社会体制というシステムを相手に戦うのではなく、愛を実践するプロセスを見出すことが「生活を底辺で支える労働」となる。

◆ランダムなひとびと

「AI技術によって機械が人間化するのではなく、人間が機械化するという逆説こそ、本稿の折り返し地点にふさわしい。」という本稿全体構想の見直しも最終段階となった。

「回る身体としての心臓としっぽ」

「日常生活データとリハビリテーション医学」

「万能計算機、愛と冒険の物語」

「認知症を生きる人類と人工知能」

「データ論への準備」

このような全体構想の「万能計算機、愛と冒険の物語」について概観をまとめている。万能計算機の冒険の物語としては量子産業機械による機械文明の変質について記載した。万能計算機の愛の物語として、「ランダムなひとびと」という新しいストーリーについて素描してみたい。この愛の物語は、先日キリスト教の宗教家とAIに関する雑談をしていて誕生した本当に生まれたてのストーリーだ。AIと愛を使い分けたり、重ねたりするほど筆者には文学的な才能はないけれども、宗教家の先生にとっては「Mind Full」と「Mindful」の区別のようなものらしい。前者がAIの得意領域で人間のストレスを軽減させ、後者のように子供のような純粋な心で本当に大切なことに集中するとよいと教えていただいた。ひとが原点から左右でたらめに酔っ払い歩きをしても(ランダムウォークは酔歩という素晴らしい和訳がある)、結局は原点の近くにとどまる確率が多いことはよく知られている。量子論的な量子ウォークでは局所にとどまったり(ニッチ)、遠方に分布の山ができたり(エッジ)して、古典的なランダムウォークとは様相が異なってくる。とにかくランダムに歩き回る人々が作る社会、それはでたらめではなく、無理に整列させられていた社会では想像できない秩序と安定性がある社会ではないかと思えた。サイコロ遊びを楽しむ「Mindful」な状態でのランダムウォークであることが必要条件になる。

「生活を底辺で支える労働」も「ランダムなひとびと」がハッピーエンドのストーリーとなるための必要条件となる。この文脈での「生活を底辺で支える労働」は政治・経済学的にはベーシックインカム(※参考5)に近いかもしれない。しかし、生活がデータ化される時代に生活すること自体が労働のようなものであること、生活力のない不労所得者が生活を金銭で購入する市場がすでに成立していることを前提としているので、ベーシックインカムよりも根源的な提案となる。

「ランダムなひとびと」がハッピーエンドのストーリーとなるための必要条件は順次考えるとして、その十分条件はどのようなものなのだろうか。それは宗教の役割で、信じる者は救われる、という十分条件を与えている。信仰と救済は死後の世界だけではなく、現存する世界や可能世界も含めて、全ての世界に十分条件を与えている。神のような超越的な絶対者を信じない場合、絶対性を相対化しても超越的な経験、超越的な理性を信じない場合でも、宗教を否定しない限り、信仰と救済はありうるというのが筆者の宗教理解だ。宗教は寛容でなければならないので、宗教そのものを否定しない限り、特定の宗教が信じる神を信じない場合でも、そこには光がある。

「神はサイコロを振らない」と言ったのはアインシュタインだけれども、アインシュタインの神はスピノザが信じた神なので、神は完璧なサイコロを一瞬で無限回振ると言い換えれば、神すなわち自然となり、アインシュタインも納得したと思われる。ランダムなひとびとは臨床試験のように生活の中でも無作為割付(ランダマイズ)されることを受け入れる。無作為割付をして比較しなければ、効果があるのかないのかわからない論理的には推論できないことが生活の中にはたくさんあって、信頼できるデータは論理的には分からないことを前提としたデータであることを経験的に知っているからだ。

ランダムなひとびとはゾンビの対極を生きている。ゾンビは行列をするけれどもランダムなひとびとは「かくれんぼ」をして遊ぶ。彷徨(さまよ)える仔羊からは宗教的な意味での無知や煩悩(ぼんのう)のイメージが重なっているようだけれども、人間からの解放を求め、それでもランダムに動き回るだけなので、結局羊の群れと共にあるランダムな仔羊かもしれない。想像力豊かで量子ウォークを楽しむランダムなひとびとは、どこかに引きこもっているかもしれないし、冒険に出かけるかもしれない。ランダムなひとびとは可能性を最大化するという意味において、スピノザの善でもある。ゾンビの社会では民主主義は機能しない。ランダムなひとびとが政治システムでは解決できない問題を発見し、小さな仲間とともに解決へのプロセスを実行するとき、政治システムは膨大な数の問題解決プロセスの調停役となる。政治の対象は人間ではなくプロセスとなる。

ランダムなひとびとは「愛」の原理に従って、家族や小さな仲間をつくる。個体とは何かと問い続けたライプニッツには「愛」の原理への入り口すら見えなかった。窓のないモナドがやっと見えてきた段階で、それが現在のAI技術の出発点であり限界でもある。ライプニッツはニュートン力学の微分的世界観を世界で一番よく理解していたが、量子力学の経路積分のような、積分的世界観は想像すらしていなかっただろう。微分の逆演算としての積分では、微分方程式の初期条件に相当する境界条件が世界を創る。積分的世界観によって「愛」の原理が理解できるとは限らないし、おそらく無理だろう。しかし、ランダムなひとびとは「愛」の原理を理解していなくても、無知なままに実践している。偶然の出会いは「愛」の原理にとても近いところにありそうだ。

次稿では「ランダムなひとびと」の舞台設定をもう少し整えて、「認知症を生きる人類と人工知能」という脚本への準備としたい。

参考1;国際連合「持続可能な開発目標(SDGs)」
http://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/sustainable_development/2030agenda/

参考2;量子力学の観測問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E5%95%8F%E9%A1%8C

参考3;マルコフ連鎖モンテカルロ法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E9%80%A3%E9%8E%96%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E6%B3%95

参考4;選択公理
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E6%8A%9E%E5%85%AC%E7%90%86

下記の議論のほうがマニアックで面白い。
http://alg-d.com/blog/2013/05/12.shtml

参考5;ベーシックインカム、下記の論説のほうがAI論には近い。
https://www.businessinsider.jp/post-33696

より詳しくはWikiを参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A0

※『住まいのデータを回す』過去の関連記事は以下の通り
第10回 データが溢れる世界を折り畳む、局所無作為化
http://www.newsyataimura.com/?p=7273#more-7273

第5回 住まいの多様体(その5)
http://www.newsyataimura.com/?p=6902#more-6902

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