人材崩壊が始まった? 日本企業
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第118回

5月 04日 2018年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住20年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私はこの20年間にわたって「日経ビジネス」「ダイヤモンド」「東洋経済」の経済3誌を、毎週欠かさず読んでいる。政府や企業情報の垂れ流しの多い新聞や大衆受けばかりを狙ったゴシップ中心の民放テレビと比べて、経済週刊誌は独自の取材を行ったうえで分析しようと試みている真面目な情報誌である。しかもこの3誌はそれぞれ視点が異なっており、読み比べることで私なりの見解を作ることが出来る。

時にこれら経済誌も予測が外れることがある。それは私だって一緒だ。株や投信など買っても儲かったためしはない。これは十分に勉強しなかった私の責任だが、経済誌だって間違うことはある。それを信じるか、信じないかは私の責任である。

◆「歳だけ重ね人材」を大量に作り出してきた要因

日経ビジネス2018年2月19日号で、「社員の賞味期限」という特集があった。今回は同誌で取り上げられた課題について考えてみたい。

日経ビジネスの問題意識は、一言で言えば「日本企業で人材崩壊が起きている」ということである。最近の日本経済新聞社の記事は新聞紙面も週刊誌も「日本礼賛」と距離を置き、日本の危機に警鐘を鳴らし始めた感が強い。今回の記事も「急速なIT化、グローバル化が進む中で、クリエーティブ(創造的)な業務を行う人材が社内にいない」「入社から何年たっても精彩を欠き活躍せぬまま一線を退く“歳だけ重ね人材」”が蔓延(まんえん)している」という指摘である。私にしてみれば「だから言わんこっちゃない。それ見たことか!」という気持ちである。私自身はこうした懸念をかなり以前から述べてきたからである。

日経ビジネスはこうした「歳だけ重ね人材」を大量に作り出してきた要因を「学歴重視」「終身雇用」「社内プロパー人材重視」の三つに求めている。確かにこれらの三つの要素が創造的な人材を作り出せなかった原因と挙げられることを、私は否定をしない。しかし「学歴社会」や「終身雇用」変えたからと言って、創造的な人間を作り出せるかと言えば、私はそうは思わない。「日本企業」否、「日本社会」にはもっと根本的に変えていかなければいけない問題があるからである。

私はかねて、この「ニュース屋台村」の拙稿の中で「コンプライアンス社会」について問題提起をしてきた。13年10月18日付の拙稿「コンプライアンスが日本企業を駄目にする」では、日本企業の本社エリート官僚が「コンプライアンス」を武器にしてタイ法人の管理強化を行っていること、またこうした行為を通して自分の権力を強化している、という構図を指摘した。企業の経済活動は本来、「リスクとリターン」という言葉で表されるように、リスクを取ることによって企業収益が望まれる。ところが、いつの間にか日本ではコンプライアンス遵守(じゅんしゅ)が企業収益より大事になってしまった。

コンプライアンスはもともと、米国の発想である。今から35年ほど前であるが、私は米国の有力銀行でマサチューセッツ州に拠点を置くボストン銀行(1784年設立、現在はアメリカ銀行に吸収)で2週間の短期研修を受けたことがある。研修プログラムの半ばに、ボストン銀行の当時の副頭取と昼食を共にした。この時、同行の副頭取が嘆いておられたのが、行内での犯罪の多さである。

当時の米国は日本とは国力に大きな差があった。1980~81年の1回目の駐在経験を通して、私は豊かな米国に対して大きな憧れの気持ちを抱いていた。そんな米国の一流銀行の経営幹部が犯罪率の高さに嘆かれたのである。私は大いにびっくりした。

たどたどしい英語で、当時勤務していた東海銀行の手続きやシステムについて私は一生懸命に話をした。私の話を聞いた副頭取は「そんな緩い体制で日本の銀行内で犯罪が起きないのが不思議だ。日本人は誠実で素晴らしい人たちだ」と逆にびっくりされてしまった。いくら豊かであるとはいえ、「生き馬の目を抜く」ほど生存競争が激しく、人種、宗教、言葉さえ異なる米国では、ルールを制定し人々の欲望を抑制していかなくてはならない。米国にはコンプライアンスが必要なのである。

翻って日本。そもそも社会、言語、人種ともほぼ単一に近い日本において、コンプライアンスの重要性は米国ほど高いはずはない。ところが90 年代前半のバブル崩壊で自信を失った日本人は、よく吟味もせず米国からコンプライアンスの概念を輸入してしまったのである。

このコンプライアンスは、役所や大企業のエリート官僚にとって好都合であった。コンプライアンスを大上段に振りかぶることによって、自分の権力を強化出来るのである。中国の「習近平一強体制」を見ればよくわかる。習近平独裁体制を作り上げてきたのも「反腐敗」という名のコンプライアンスである。

一方、日本の一般人にとってもコンプライアンスは都合の良いものとなった。コンプライアンス遵守を名目に、「何もしなくでよい」ことを正当化出来るのである。そもそも脳医学的にはアドレナリンやセロトニン受容体の特異性から、日本人はリスクを取りたがらない。こんな日本人にとって、コンプライアンスはまさに「渡りに舟」であった。こうして日本には、「コンプライアンス」によって「何もしないでよい社会」が現出してしまったのである。これが日本の「失われた20年」となってしまっている。

◆日本企業が陥っている「コンサルタント依存症」

早急に「コンプライアンス至上主義」をやめ、人々のモチベーションに訴えかける新たな価値を設定しなくてはいけない。アドレナリンやセロトニンなどの脳内ホルモンの働きでリスク回避志向が強い日本人だって、第2次世界大戦直後には「豊かさの復興」を目標とし邁進(まいしん)していた時期がある。いまや「1人当たりにGDP(国内総生産)」では日本は決して豊かな国ではない。世界20位にも入らないのである。再度「豊かさの追求」をしたっておかしくない。こうした価値の提示が必要なのである。

次に私が問題視しているのが、日本企業が陥っている「コンサルタント依存症」である。そもそもコンサルタントほど怪しい商売はない。弁護士や会計士などと違いコンサルタントは何の資格も必要としない。誰でもなれるのである。にもかかわらず、人々はこの「コンサルタント」という響きにだまされてしまうようである。

もちろん、コンサルタントの中にはちゃんとした人も多くいる。しかし私がここで問題としているのは、このコンサルタントの提案をそのままうのみにして自分で何も考えずに採用してしまう昨今の日本の企業に対してである。

自分の会社のことは自分達が一番わかっているはずである。「自分たちの会社が属する産業はどのような形態となっているのか?」「自社にはどのような商品があるのか、また自社製品の優位性は何か?」「社内にはどんな人たちがいるのか、その人たちのスキルはどの程度なのか?」――。これらのことは会社の経営者が一番わかっていなくてはいけないことである。

「ど素人」であるコンサルタントが経営者以上に知っているわけがない。しかし会社経営者の中にはコンサルタントの提言をむやみに信じ込んで受け入れる事例が散見される。時には自社内に新技術の知識が不足していたり、冷静に自分の会社が見えなくなったりすることもある。こんな時にはコンサルタントの意見に耳を傾けることも必要であろう。しかしそれだって、コンサルタントの言っていることを頭から信じるのではなく、自分なりに解釈して有用なものだけを採用すれば良い。

私に言わせると、最近のコンサルタント重用は、経営陣が自分の決断責任を回避するための「言い訳」としているようにしか見えない。うまくいかなければコンサルタントのせいに出来る。しかしそもそも現場がわかっていないコンサルタントの提案など、最初からうまくいくわけがないのである。とにもかくにも経営者は「自分で考える」ことをしなくてはならない。さらには「自分で考える人材」の育成に努めていかなければならない。こうした人材こそがAI(人工知能)時代にも生き残っていける人たちなのである。

◆次々と引き抜かれていく優秀な日本人エンジニア

コンサルタントの甘言に乗せられて採用した悪しき制度が「コンプライアンス」である。これにより日本は「失われた20年」へと突入した。また同じくコンサルタントの提案によって導入されたのが、「KPIと賃金テーブルをリンクさせた人事制度」である(※KPIとはkey performance indicator の略で、企業目標の達成度を評価するための主要業績評価指標のこと)。「これが米国の人事制度だ」などと言って大手外国コンサルタント会社がしたり顔で硬直化された人事制度を日本企業に広めた。うそばっかりである。

私は米国で10年弱勤務した経験をもつが、労働流動性の高い米国では賃金を固定化したら優秀な人材が集まらない。米国では賃金水準は職種別にマーケットが決めるのである。社内の一律な賃金テーブルに基づいた人事制度では米国の会社は立ちいかなくなってしまう。当時欧米のコンサルタント会社に勤めていた人たちは大うそつきである。

しかし多くの日本の会社は、この硬直的な人事制度を採用してしまった。なぜならこの固定化された人事制度は、企業の幹部社員にとって楽な制度であったからである。KPIにより半ば自動的に評価が決まる。評価が決まれば給与も決まる。経営者も幹部社員も自分の責任で決断する必要がなくなったのである。

そして私が危惧(きぐ)していた通りの事態が起こっている。韓国や中国の会社から「高額な給与と移籍金」を提示され、優秀な日本人エンジニアが次々と引き抜かれていく。私に知る限りでも数千人のレベルである。これに対して日本企業はなす術がない。残るはコンプライアンス至上主義に安住した「歳だけ重ね人材」だけになっているとしたら、笑えない話である。

自社の優秀な人材を守るためにも固定化された現在に人事制度は早急に撤廃すべきである。優秀な人材を作り出していくためにも、固定化された人事制度では人は育たない。人を育てるためにも、経営者自らが自分の責任で決断する必要がある。

日本企業は人材の崩壊とともに、まさに没落せんとする瀬戸際にまで来ている。「コンプライアンス至上主義」を排除し、「自分で考える文化」と人事制度に代表される「硬直的制度の柔軟化」に取り組むことが、日本企業にとっての喫緊の課題である。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第7回コンプライアンスが日本企業を駄目にする(2013年10月18日)
http://www.newsyataimura.com/?p=811#more-811

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