風景としてのランダムなひとびと 『WHAT^』第6回 | ニュース屋台村

風景としてのランダムなひとびと
『WHAT^』第6回

5月 31日 2018年 文化

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。


『アニマルスピリット』(東洋経済新報社、2009年)を読んで、経済学のとんでもなさに驚いた。ノーベル経済学受賞者である著者ジョージ・A・アカロフが、「経済理論はアダム・スミスの体系から最低限の逸脱しかないように導かれるのではなく、実際に起こっていて観察もできる逸脱をもとに構築されるべきだ」と述べている。量子力学のコペンハーゲン解釈そのものだけれども、肝心の新しい経済理論はケインズで止まっている。ケインズの言いたいことは「最低限の逸脱」ではなかったのだけれども、その後の経済学者が理論の精密化を優先して『アニマルスピリット』を忘れてしまったのだそうだ。

「ランダムなひとびと」の登場人物は20世紀、ニューヨークで活躍した画家デ・クーニングが描いた「ウーマン」を構想している。『風景としての女』(1955年作、美術出版社、ウィレム・デ・クーニング、1989年出版)は著名な「ウーマン」シリーズから後期の抽象画に移行する不思議な魅力を持っている。風景に溶け込んだアニマルスピリットであり、ランダムなひとびとが経済理論の主人公となる予感を秘めている。

晩年のデ・クーニングは貧乏を脱却し、しかし認知症を患いながら端正な抽象画を描き続けた。絶望すら忘却して機械的に生きているような、生活感のなさを感じて、観ていて気持ちが悪くなったことを覚えている。「ランダムなひとびと」は貧乏だけれども、元気でデタラメでなければならない。

WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は何か気になることを、気の向くままに、写真と文章にしてみます。それは事件ではなく、生活することを、ささやかなニュースにする試み。

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