認知症を生きる人類と人工知能(1)
『住まいのデータを回す』第14回

10月 02日 2018年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

株式会社エルデータサイエンス代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

前稿では、万能計算機と共に生きてゆく「ランダムなひとびと」と題した愛と冒険の物語を素描した。「ランダムなひとびと」の登場人物は20世紀なかごろのニューヨークで活躍した画家デ・クーニングが描いた「ウーマンⅠ」から「ウーマンⅥ」であり、「風景としてのウーマン」と後期の風景抽象画が舞台背景となる(※参考1、拙稿『WHAT^』第6回)。デ・クーニング自身も「ランダムなひとびと」の仲間なので、貧乏な生活を女と酒とともに楽しんだ。そして認知症になっても抽象画を描き続け、作品はピカソやポロックの絵画よりも高額で売買されている。万能計算機と共に生きてゆく「ランダムなひとびと」の本当の時代背景は21世紀なかごろのはずだ。デ・クーニングは少なくとも100年後でもありうるイメージを描いた。大ざっぱに言って、経済学者ケインズもデ・クーニングと同時代だ。アダム・スミスのように完全に合理的なひとびとには疑問を持ったけれども、認知症を生きる人類と人工知能(AI)の時代までは想像できなかっただろう。

◆認知症は不治の病ではない

認知症は病気の進行を遅らせるか症状を和らげるのが精いっぱいで、治癒することは想像できないかもしれない。一時代前のがん治療のようなものだ。一時代前にはがん保険が花盛りだった。生命保険会社は寿命が延長すればもうかる仕組みになっている。がんが不治の病ではなく、治療可能な病気になったのだから、昔のがん保険はもうかっただろう。同じ理屈で、認知症保険が花盛りになれば、認知症は不治の病ではなくなる可能性が高い。現在は寝たきりになる高齢者の骨折リスクと組み合わせた軽度認知障害の保険(※参考2)が発売になったばかりなので、保険会社の技術予測はあまり参考にならない。

経済産業省/NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の技術戦略マップはどうだろうか。筆者はNEDOの創薬・診断技術戦略委員会の専門委員として技術戦略マップ2010の策定に関与したことがある(※参考4)。その当時は、がん・糖尿病・認知症に焦点を絞り、20年後にはアルツハイマー病の認知機能が一定レベルまで回復可能になるとポジティブな予測を行っていた。筆者の意見は変わっていないけれども、明らかにその当時よりはペシミスティックな状況になっている。

当時の専門委員のコンセンサスから現在の個人的な意見を導いてみよう。「体液バイオマーカー・遺伝子検査、画像診断等を活用し、複数の薬から最適な治療薬が選択できる」は、「MRI画像診断を活用し、複数の薬の的確な組み合わせにより個別化した治療ができる」と読み替えたい。「適切な治療とリハビリにより、一定レベルの認知機能を回復できる」は、「生活環境に適合した治療とリハビリにより、一喜一憂しながら、長期間で一定レベルの認知機能を回復できる」ということを、今でも10年後に実現できると信じている。

何故、経済産業省/NEDOであって、厚生労働省ではないのか。文部科学省も含めて、日本政府の健康関連の研究開発プロジェクトは縦割りだった。米国の国立衛生研究所(NIH=National Institutes of Health)のように、予算を一元化して責任ある行政組織が必要という提言は最終案では削除されていた。問題は行政組織のありかたではなく、患者目線の医療をいかにして実現するのかということが全く理解されなかった。民主党政権の混乱とともに、経済産業省/NEDOの技術戦略マップは改訂されないまま10年間放置されている。

政治が認知症なのだから、認知症が治療できるようにはならないだろうとは考えていない。認知症患者は増加し、データが集積されているのだから、政治とは無関係に技術予測は成立するだろう。認知症が治療可能になれば、政治の認知症にも治療法が見つかるに違いない。

◆栄養と清潔に気を遣い、一喜一憂して生きる

「複数の薬の的確な組み合わせ」とは簡単に言えるけれども、実際はどのように実現するのか。複数の薬を使うのは、認知症には複数の病因と複数の治療戦略がありうるからで、完璧な治療薬が無いからではない。複数の薬の的確な組み合わせは、「個人の病態と生活環境に適合した」組み合わせを想定している。

認知症の病因は複雑でよく理解できていない部分が多いけれども、病態の推移を大きく分類すれば、(1)認知症の発症リスクが高いので、発症予防をおこなう時期(2)症状の悪化を防止する時期(3)症状を緩和する治療が必要な時期――のそれぞれの時期において複雑な病態が発現している。現在の治療薬は症状を緩和するもので、近い将来は症状の悪化を防止する脳神経画像レベルで効果が確認できる治療薬が実現されるだろう。発症リスクは遺伝的要因と生活環境の要因についてかなり正確に理解されている。(1)は疫学的研究、(2)は基礎医学的研究または病理診断、(3)は臨床医学による評価であり、複数の薬剤をそれぞれの病態に応じて使い分け、組み合わせることを想定している。時期というのは患者集団における典型的な病態でしかなく、個人にとってはそれぞれの病態が入り混じっているのが現実だろう。かなり末期であっても、発症リスクに関する要因が症状に関与することも考えられる。

例えば、糖尿病が発症リスクの大きな危険因子であることは確実で、糖尿病治療薬が症状の悪化を防止する可能性もあり、症状を緩和することもありうるかもしれないけれども、それは全ての患者においてではなく、個人の病態に依存しているはずだ。病因を36種類に分類して治療戦略を提案している医師もいる(※参考5)。しかし最大のリスク因子は加齢なのだから、がんで早死にすれば認知症にならないといった、疫学研究の皮肉な解釈を忘れないようにしたい。

薬剤の立場から再度整理してみよう。薬剤の作用は毒のようなもので、急性毒性のようなすぐに作用するものと、発がん性物質のような作用の発現に長期間かかるものがある。大半の薬理学的な治療薬は前者であり、神経損傷を防止するためには後者のような薬剤が必要になる。症状を緩和するためには作用の発現が早いほうが望ましいけれども、認知症のような慢性疾患の場合、その根治療法には気長に取り組むしかない。神経損傷を防止する薬剤が実現された場合でも、そのような薬剤の効果が発現しやすいような環境を整えることも別の薬剤の役割となるかもしれない。

個人の病態と生活環境に適合した、急性的治療薬、慢性的治療薬、栄養学的治療薬の的確な組み合わせを実現するためには、個人の病態と生活環境をデータによって把握することから始めるしかないだろう。認知症の慢性的治療薬の開発は、脳神経画像のデータ解析技術の進歩によって加速される。そして認知症の治療に気長に取り組むため、住まいのデータを回して、個人に適合した、認知症を生きる生活環境を工夫する。

◆観測すること、計算すること

生活をデータ化するためには、生活を観測する必要があり、大なり小なりプライバシーが侵害される。しかし、プライバシーが侵害されることを自覚して、観測された生活は本当の生活なのだろうか。生活が、生活場のような、見えないけれども真空ではない何かによって支えられていて、観測される生活はその粒子的な素描に過ぎないとしたら、生活のデータは単純な観測値の統計解析だけでは理解できない。生活場は、そのモデルと計算によってしか見えないからだ。

逆に、生活場のモデルが与えられれば、観測されたデータと計算された期待値の差から、生活場のパラメータを推定することができる。電磁場の中の物質の場合、推定すべきパラメータの数は10個程度だろうか。生活場の場合でも、100個以内のパラメータで相当複雑なモデルが構築できるだろう。

生活場の標準モデルは本稿第9回で紹介した国際生活機能分類ICF(※参考6)をベースに作成するとして、大きな個体差を伴う実生活の生活モデルは「ランダムなひとびと」が自身の生活データから作成することを想定している。個人の生活データは売らないけれども、ベーシックインカムのような国家からの生活費提供に応じて、生活モデルを作成し提供する(※参考7)。生活モデルとしては、生活環境を「清潔」にして、自分自身と社会の栄養状態に気を遣うことが大切だ。

◆計算できない世界を信じる

生活モデルはデータから計算できる世界だ。電磁場のような、もしくは量子場のような、虚数を使って記述される直接観測できない世界であっても計算はできる。しかし、確率を生成する機構や、期待値は計算できても分散は計算できない世界など、実在するけれども計算できない世界もありうる。前世紀の論理学者ゲーデルは、真であっても証明できない命題が存在すること、そのこと自体を「不完全性定理」として証明してしまった。

決定論の世界観に戻らないことを前提として、そもそも「ランダムネス」はどこにあって、どのように理解すれば論理的に取り扱うことができるのだろうか。数学的には、素数の中に潜むランダムネスと、実数の中に潜むランダムネスがありうる。数学者のチャイティンは、後者をプログラムの停止確率Ωと関係づけて、アルゴリズム情報論としてのランダムネスの研究を推進している。前者は「リーマン仮説」が有名で、計算できる有限の世界では仮説が真であること、仮説が真である素数のような代数構造がありうることが証明されているけれども、素朴な意味で無限個ある「素数」そのものについては、数学者が納得する証明は完成していない。

リーマン仮説の証明は完成していないけれども、多くの数学者はリーマン仮説が真であることを信じているようなので、リーマン仮説が真であるような「論理」を建設してみてはどうだろうか。古典論理で真な命題は「AならばA」というトートロジーに帰着することはよく知られている。トートロジーだけではなく、リーマン仮説も真であるとすれば、素数のランダムな振る舞いを論理の中に取り込むことができるだろう。

計算できない世界では、真であることを証明できる命題は限られている。リーマン仮説を信じるだけで、証明できる命題は大きく拡大するだろう。証明方法自体にも変革があるかもしれない。とにかく、計算できない世界は信じるしかない。私が信じる世界と、あなたが信じる世界が大きく異なるのは不都合なので、信じる命題は出来るだけ厳選してみよう。神を信じるかどうかということは難しい問題だけれども、17世紀の哲学者スピノザの「神すなわち自然」という命題であれば、世界が自然として与えられることを否定することは困難なので、進化論や量子論のように厳密には計算できない自然も含めて、自然を信じることは大いにありうる選択だろう。

スピノザの信じた自然は、ユークリッド幾何学のような光学の世界だった。リーマン幾何学のような、非ユークリッド幾何学までは信じることができたアインシュタインにとって、神がサイコロ遊びをする量子論の世界は信じることができなかった。リーマン仮説を信じることで、量子論のランダムな振る舞いが理解できるようになるのであれば、アインシュタインも量子論を信じただろうし、スピノザは別の倫理書「エチカ」をまとめただろう。

◆政治的認知症も不治の病ではない

万能計算機と共に認知症を生きる人類は、希望ある未来なのだろうか。認知症を理解すること、認知症は治癒可能な脳の病気となること、それでも加齢を止めることはなく老いを生きること、万能計算機と共に生活すること、それぞれありそうな未来であり、現在すでに実現している部分もある。しかし近未来の社会システムを考えるとき、現在の社会システムが機能不全であること、その原因がよくわからないこと、技術の進歩とのギャップから制度疲労があること、万能計算機との共生・共進化のシナリオが無いこと、社会システムとしての希望ある未来は描けそうもない。政治家や経営者が認知症なのではなく、それでも政治的認知症や経済的認知症を生きるしかない人類にとっての未来を「不治の病」ではないと信じたい。

社会システムの成熟を「加齢」と考えるのであれば、多くの社会システムが成熟している。例えば選挙制度が問題なのであれば、個別の社会的プロセスは刷新できるし、現実の社会的プロセスも新旧入り混じっている。万能計算機との共生・共進化としては、法制度をプログラム化することで対応できそうだ。政治や経営の問題を「意思決定」の問題と考えることに時代的な制約を感じる。生物の脳にとって、意思決定はあまり重要ではなく、未来予測のほうが役立っていると思われるからだ。正しい未来予測のもとに、政策や経営方針を考えて、複数の選択肢があれば、「意思決定」ではなくランダムな選択を行っても大きな損失はないだろう。誤った未来予測ののもとに、何を考えても偶然にうまくいく確率は高いとは思えない。未来予測を行わず、偶然に任せていたら、進化論の教えるように、いつかは淘汰(とうた)される。

筆者は技術の進歩について未来予測を行う仕事に従事した経験がある。そもそも予測できない未来を、専門家が情報を分析して論理的に考えても、正直な結論は予測できないというだけだ。複数の独立した専門家が未来予測を行い、様々な立場の素人に簡潔に説明して、最終的には多数の素人の未来予測を分析する。単なる多数決ではなく、相互の相関から、最も影響力のある未来予測を推論する。技術ではなく、政治的な問題でも「民主主義」は同様のプロセスで未来予測を行っているのではないだろうか。経済専門家も同様な未来予測を行っている。最終的に「最も影響力のある」未来予測を推論して選択するプロセスが欠如しているだけだ。意思決定ではなく、未来予測に問題を絞ることが重要だと考えている。

未来予測を効率的かつ的確に行うためには、「民主主義」よりも「立憲君主制」のほうが有利なのではないかとも思う。君主の権力を憲法で制約することを前提条件として、君主が英知を求め、知的な影響を受けるプロセスは民主主義では実現できていない。在野の英知であるスピノザは、立憲君主制についての政治論をまとめたけれども、民主主義について明確な政治哲学を見いだせなかった。筆者の立場では、憲法をプログラムとして表現し、君主の座に万能計算機を座らせること、そのようなクラウドシステムの時代を経て、君主を必要としない、十分に強力な万能計算機を万人が使いこなす「民主主義」の時代がやってくるのだと思う。政治経済的な未来予測ができない人類に、残された時間があるとしたら。

◆データを回す、小回りの健康論と大回りの経済理論

面倒な議論を積み上げているが、切実な「何か」、文明論的なターニングポイントを見いだすための暗中模索だと理解していただきたい。「何か」を簡単な単語で表現できるようになった時、論考の必要はなくなる。最近読んだ本で、最も切実で影響力のある本は『奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき―』(※参考8)だった。文明論的なターニングポイントはすでにランダムに当たりクジを引いてしまったひとびとが経験していて、「脳」の中にあることを見事に描写している。産業界がAIに熱心なのは良いとして、AIが独占技術としてブラックボックスになり、AIの倫理的な側面が無視されるのは危険だ。生命倫理では脳死の議論が積み上げられたけれども、「脳」そのものの哲学的な議論はこれからの課題だ。

本稿の全体図を無理やり描いてみた(注:本文中の図版は、その該当するところを一度クリックすると「image」画面が出ますので、さらにそれをもう一度クリックすると、大きく鮮明なものをみることができます)。古典論理ではランダムネスの深淵は理解できそうにない。確率はサイコロ遊びだと、あなどってはならない。素数や実数の性質にランダムネスが直接関与している。リーマン仮説を認めるのであれば、虚数の世界でランダムとしか見えない素数が波動性を伴った規則性を示す。量子確率は独立な事象について、古典確率とは異なった解釈を与える。ランダムネスが介在しないデータはない。量子論のようにデータを得るための観測行為が、統計的にしか理解できない測定誤差を生じる場合もあるし、個体差のように、確率的な差異を能動的に増幅している場合もありうる。スピノザのエチカにはランダムネスは無縁だったので、ランダムネスを公理として含むエチカが必要となる。

ランダムネスを受容することで、データの集積が促進され、未来予測が正確になる。コンセンサスが形成された未来予測はゴール設定でもあり、自覚的もしくは無自覚にゴールを実現する行為へとつながり、未来予測が実現される環境が整備される。未来予測を行うのはランダムな運命を受容し、データを提供するランダムなひとびとだ。ランダムなひとびとの中から未来の数学者が生まれ、新たな数理の可能性を開拓して、小回りの健康論もしくは大回りの経済理論が本当に回りだす。切実な「何か」として、ランダムネス、脳、データ、回ることなど、キーワードが見え隠れしてきた。認知症の治療も、政治的認知症も、筆者の力量をはるかに超えた切実な課題だ。ランダムなひとびとが生きること、生活することを金銭によりデータ化して計算可能な確率分布とする時代に、計算可能ではない「何か」も含めて問いを発してゆきたい。

参考1;風景としてのランダムなひとびと 『WHAT^』第6回
http://www.newsyataimura.com/?p=7464

参考2;中国で激増する認知症患者
http://www.spc.jst.go.jp/hottopics/1703/r1703_morita.html

参考3;業界初!MCI(軽度認知障害)を保障!リンククロス 笑顔をまもる認知症保険を発売
http://www.himawari-life.co.jp/~/media/himawari/files/company/news/2018/a-01-2018-07-19.pdf

参考4;技術戦略マップ2010、創薬・診断分野
http://www.meti.go.jp/policy/economy/gijutsu_kakushin/kenkyu_kaihatu/str2010/a4_1.pdf

参考5;『アルツハイマー病 真実と終焉”認知症1150万人”時代の革命的治療プログラム』(デール・ブレデセン/著、山口茜/訳 2018年 ソシム)

参考6;『住まいのデータを回す』第9回 日常生活のデータは私とあなたと世界を変える進化論的にまたは運命論的に
http://www.newsyataimura.com/?p=7142

参考7;『住まいのデータを回す』第13回 ランダムなひとびと
http://www.newsyataimura.com/?p=7510

参考8;『奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき―』(ジル・ボルト・テイラー/著 、竹内薫/訳 2012年 新潮社)

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