「総力戦体制」という視点:野口悠紀雄『1940年体制―さらば戦時体制』を考える(後編)
『視点を磨き、視野を広げる』第24回

11月 14日 2018年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆本稿の狙い

中公新書から『日本史の論点』(中公新書編集部編)という新刊が出た。古代から現代までの注目の論点を最新の研究成果を取り入れて解いた本であるが、「現代」の章では「戦後日本はなぜ高度成長できたのか」を論じている。その中で、戦後の経済発展の前提を形成したのは「占領改革か、総力戦体制か」という設問があり興味深く読んだ。

「総力戦体制」も「1940年体制」も、戦後を特徴づける諸要素の原型を戦時体制に求めるという手法は同じである。「1940年体制」は野口が名付けたもので、生産力の増強を目的に政府によって強制的につくられた「日本型企業(終身雇用、年功序列賃金、企業別組合)」「間接金融優位」「官僚体制」などを指す。戦時という非常時に作られた体制は、敗戦と占領期を生き延び、垂直統合型工業生産に適していたことから戦後の高度成長に大きな貢献をした。しかし、その後の環境変化によって、同体制の特徴である資本・労働の閉鎖性が日本の長期停滞の原因となっているとして市場原理の一層の導入を主張するのである。

野口が「1940年体制」に歴史の「断絶」を見るのに対し「総力戦体制」論においては、「連続」を重視する。また野口が資本主義の市場機能を積極的に評価するのに対し、「総力戦体制」論は、資本主義に内在する矛盾を批判的に捉えるのである。本稿では、両論のもつ歴史観の違いを明らかにするとともに、資本主義の抑圧的システム化について考えてみたい。参考としたのは、野口悠紀雄(*注1)の『1940年体制―さらば戦時体制』と総力戦体制論を代表する山之内靖(*注2)の『総力戦体制』である。

◆「1940年体制」論について

野口は「日本型経済システム」の各要素の起源を戦時体制に求めるが、中でも重要な日本型企業と官僚体制についてその特徴を確認しておきたい。

日本型企業:「終身雇用」「年功序列賃金」「企業別組合」「下請け」といった特徴を持つ企業形態を欧米型とは違う「日本型」企業と呼ぶ。政府の生産力増強要請に応えるために始められた「終身雇用」「年功序列賃金」は、「国家総動員法(1933年)」の物価統制(賃金を統制した)を通じて全国に広まった。また、同法は配当制限(固定率の適正配当を保証)、株主権利の制限を行い、利益の剰余分は経営者や従業員への報酬、社内福祉に分配され、企業は資本主義本来の利潤追求組織から従業員中心の組織へ変質した。企業別労働組合は戦時に企業別に作られた「産業報国会」が始まりである。こうして戦後の社会民主主義的で擬似共同体的性格を持つ日本型企業の原型が形成されたと考えるのである。

官僚体制:野口は戦時期に形成された官僚統制こそが、「1940年体制」を作り戦後に継承させた大きな要因であったとする。すなわち、明治以来の近代的官僚制度は、民間経済活動の保護・育成を基本としていたが、昭和恐慌(1930〜31年)を契機に経済の「統制」に向かう。主導したのは革新官僚(*注3)と呼ばれる官僚たちであった。彼らは、「企業目的は(利潤追求ではなく)国家目的のための生産性向上という思想」をもっていた。そのために労働者の福祉向上が必要だと考えて社会保険制度の整備を行うのである。全国民を対象とする「国民健康保険法」は1938年、厚生年金のもととなる「労働者年金法」は1941年に制定されている。ここに戦後に継承される社会民主主義的特徴が表れており、「総力戦体制」論に立つ歴史学者は福祉国家の原型を見るのである。

本書が書かれたのは1995年であり、その後の変化を反映した増補版が2010年に出され新しい章が追加された。そこでは金融機関と官僚組織は1990年代以降大きく変貌(へんぼう)した一方で、依然「1940年体制」の遺構として「日本型企業」が残っているとする。そしてそれが持つ労働、資本における閉鎖性が、日本の停滞の根本原因だとして脱却を訴えている。
なお、社会学の観点から日本人の組織特性を明らかにする研究が高度成長期に盛んに行われた。その中の代表的なものとして社会人類学者の中根千枝(*注4)の「タテ社会」論がある。中根は、日本人の集団意識は「場」におかれており集団内の人間関係が全てに優先されること、集団の内部構造は「タテ」の直接的人間関係が基本で序列意識が発達しており、排他性が強いと分析している。「場」とは伝統的集団としての「家」を指すが、同様の特性は「家」に代替する疑似共同体としての「企業」にも顕著に表れている。わたしの会社勤めの経験からも「序列意識」や「排他性」といった特徴を強く感じた。このように「日本型企業」の持つ特徴は日本の伝統的組織特性の中に見いだすことができるのである。したがって「1940年体制」が戦後の「日本型企業」を形成したというよりも、一つの契機となったという表現にとどめておくべきだと思う。

◆「1940年体制」と「総力戦体制」の何が違うのか

「総力戦」とはなにか
「総力戦」とは、一国の軍隊だけではなく政治、経済、文化などあらゆる部門の総力を結集して戦う近代の戦争をいう。第1次世界大戦がその始まりとされ、戦後各国は来たるべき戦争(第2次世界大戦)に備えて国民を総動員する体制構築のため統制を強めていく。こうした過程に焦点を当てることによって、そこに同質性を認めるのが「総力戦体制」論の特徴である。

「総力戦体制」論がもつ意味
1930年代は大不況と社会不安の時代であった。各国政府は失業、貧困、不平等といった資本主義の矛盾を解決する必要に迫られていた。それに応えて国家による問題解決を目指したファシズム(*注5)が登場した。イタリア、ドイツ、日本などがそれにあたる。一方、民主主義色が強い米国においては、連邦政府の権限を強化し需要創造を目指すニューディール政策がとられた。また英国においては挙国一致内閣が発足した。「総力戦体制」論においては、ここに国民動員のための国家統制の強化という同質性を見いだすのである。すなわち、総力戦体制は国民国家の発展の中から出現したが、社会のシステム化を図ることでより高次の動員を可能とする国家体制の構築を目指したのであり、その中から動員の代償としての福祉国家の骨格が生まれたと考えるのである。

また現代史においては、「総力戦体制」という視点を持つことによって、戦前と戦後の連続性を明確にし、占領の中立化、さらにいえば戦後史の歴史化が可能になる。すなわち「総力戦体制」論は、占領改革のおかげで高度成長は実現したという通説に疑問を投げかけ、民主主義・豊かさ・平和に象徴される戦後神話の見直しを迫る思想だといえる。それゆえ進歩的知識人の論理的基盤を脅かすこととなった。また、戦後の繁栄の恩恵を最大限に享受したわたしたち以上の世代には、自分が拠って立つ「常識」が崩れ去るようで素直には受け入れがたい考え方であった。しかし、総力戦体制論の目的は、思い込みを破壊することにあるのではない。資本主義が新しい段階に入り国民国家の性格が変わったという認識を持つことで、現代資本主義が持つ矛盾を歴史的に理解することを目指しているのである。

「1940年体制」と「総力戦体制」の歴史観の相違

「1940年体制」と「総力戦体制」は、戦後の日本を特徴づける「日本型システム」の原型を戦時期に見いだす点は同じだ。しかし「総力戦体制」論においては、戦前・戦中期だけではなく占領期における政治的・社会的側面に焦点を当てた考察を展開する。そして戦時体制の形成を明治維新以来の近代化過程の延長上にみる。野口が戦時体制をそれまでの歴史からの「逸脱」と見るのに対し、「総力戦体制」論は、そこに歴史への「服従」を見るのである。こうした歴史観の違いをどう考えるかによって両者の評価は変わってくるだろう。

「逸脱」と見る野口は、戦争が終わっても体制が残った原因を占領政策の瑕疵ととらえ、戦後日本の状態を「特殊」なものと見なす。「特殊」とするには、「普遍」が必要である。野口が言う「普遍」とは米国型の自由な市場を基本とする資本主義である。資本主義は最終的に一つのものに収斂(しゅうれん)していくという思想をもつからである。しかし、ヨーロッパに起こった産業化(近代化)は、国ごとに異なる伝統的社会との衝突を繰り返しながら独自の慣行を累積させていった。ましてや近代を輸入した日本のような後発国は、それぞれ自国の実情に合わせた受容の仕方をした結果、様々な規制や慣行の集積が形成されたのである。そうした歴史を無視して、一つの純粋資本主義モデルが存在するかのように前提するのは非現実的ではないだろうか。

◆「1940年体制」の政治的意味―政治理念の不在と政治の混迷

「1940年体制」の遺構は経済面だけではない。官僚主導は政治理念の対立軸の不在をもたらしたという野口の指摘は、現在の政治の混迷の本質の一面を言い当てている。ただし、解決策として提示される政治理念モデルには問題があると考える。

戦後の福祉国家建設の背景

「55年体制」は、政治的には冷戦を背景にした資本主義陣営と社会主義陣営の対立を反映し、自民党は親米、社会党は反米で親ソ・親中であり対立的関係にあった。しかし経済においては、高度成長の実現により国民の生活水準は格段に向上しただけではなく、社会保障制度が拡充され国民皆年金・皆保険制度が完成した。自民党は本来保守主義を標榜する政党であり、政府の役割増大を制限する考え方にたつはずである。その自民党の長期政権が、なぜ社会民主主義的な皆年金、皆保険を熱意をもって実現させたのであろうか。野口はその答えを「1940年体制」に求める。

既に見たように年金も保険も戦時体制のもとで原型がつくられたのであり、それを推進した官僚は占領軍の間接占領政策上必要だとの理由で無傷で生き残り、独立後は政官財の「鉄の三角構造」を形成して規制や監督、免許を通じた官僚統制を行った。そして未完であった戦時体制の完成を目指して社会民主主義的政策を立案・推進していく。その代表的な成果が国民皆年金・皆保険であった。野口は、官僚組織の動機は、戦前の革新官僚から継承した政党政治への強い不信感とエリート意識だとする。自民党は反共産主義のもとに大合同した政党であり幅広い思想の人々を含むため、統一された政治的理念はなかった。また社会党も左派が優勢で、現実的な社会民主主義が育たなかった。この結果、高度成長で生活は豊かになり、福祉も充実したが、政治的には理念による政策の対立軸の明確化と議論の蓄積がなされず、自民党の長期政権崩壊後の政治の混迷を招いた。これが野口の言わんとすることだと思う。

「自由主義対社民主義」ではなく「保守主義対社民主義」ではないか

野口が求める政治理念の対立軸とは、「自由主義対社民主義」という理念の対立である。本書では次のように説明される。自由主義(リベラリズム)は、政府による統制を嫌い個人の自由を尊重する思想であり、経済においては市場の有効性に信を置き、規制緩和を主張する。社民主義は自由の行き過ぎによる弊害を問題と考え、政府の役割を重視し、所得再分配、産業規制の強化などが政策の基本となる。しかし日本にはこのような理念の対立が存在せず、高齢化社会を前提とした福祉社会の理性的な選択が困難だという危機感が野口の主張の根底にある。

しかし野口の言う「自由主義対社民主義」という理念の対立軸が存在する国はどこなのであろうか。まず米国にはこうした対立軸はない。すなわち、米国は「自由と平等、人民主権を基本原理として作られた歴史上最初のイデオロギー国家」(*注6)であり自由主義が根本原理なので、その大枠の中で自由主義(リベラリズム)対保守主義(オールド・リベラリズム)という対立軸が中心となる。後者は、個人の自由と競争を強調し「資本主義と市場メカニズムに対する楽観主義」に基づく。経済における新古典派の主張を支える思想である。野口の「自由主義」を「保守主義」と読み替えればほぼ同じ思想として扱ってよいかもしれないが、米国の政治思想の発展はキリスト教の影響を無視しては語れないことを忘れてはならない。日本と宗教的土壌が全く違うのだ。これに対しリベラリズム(以下リベラル)は、自由放任主義による弊害を自由主義の危機と考え、経済活動に対する政府の介入や規制によって自由主義の本来の姿(個人の自由の尊重、能力の開発、個性の開花)を守るべきという思想である。経済においてはケインズ派の思想基盤となり、不況時の公共投資による雇用創出、税制による所得再分配機能の活用などの政策を採用する。こうした特徴を持つ米国のリベラルは自由主義を基盤としており、西欧の社民主義とは出発点が大きく異なるのである。

一方、社民主義とは、暴力革命やプロレタリア独裁を否定し、議会制民主主義を通じて漸進的に社会主義を実現していこうという思想をいう。英国、フランス、ドイツでは共産主義との差異化を模索しながら発展したという歴史を持ち、英国のフェビアン協会(1884年創立)の理念は労働党(1906年創立)の基本綱領となった。戦後は、議会制民主主義を通じて西欧型福祉国家を建設する思想的基盤となった。

政治理念の対立軸確立はなぜ困難か

野口の問題意識は、経済社会環境の変化を背景として、日本は高齢化社会における福祉社会の選択を迫られているという点にある。危機感は理解できるし、政治的理念に基づく対立軸確立の必要性という点も同感である。日本で求められる対立軸は「保守主義対社民主義」であると考えるが、それぞれの思想が生まれた歴史を認識した上で、日本型の保守主義と社民主義の理念の確立への議論の積み重ねが求められる。しかしながら、そこには大きな問題が存在する。共産党を除く野党を社民主義のくくりで結集しようとすると、平和憲法と日米安保の問題で分裂してしまうのである。同様に「反共」の旗印のもとに、復古主義、国粋主義、保守主義、自由主義、農本主義、社民主義まで幅広い人々を集めてできた自民党は、憲法改正問題が対米従属か自主独立かの根源的議論に発展すると分裂する可能性があるのである。平和憲法と日米安保が野党勢力にとって踏み絵であるのと同じように、憲法改正が自民党の踏み絵となって党の分裂を招くかもしれないのだ。安倍首相の憲法改正案が中途半端なのは、こうした事情も背景にあるのだと思う。

米国の歴史学者ジョン・ダワー(*注7)が言うように、占領が日本にもたらした負の遺産としての平和憲法、日米安保という檻(おり)に日本は閉じ込められて身動きがとれないという状況が続いているのである。こうした複雑な結び目を解いて「保守主義対社民主義」の対立軸を構築するには、占領の「中立化」が必要であり、「総力戦体制」の視点が重要な意味をもつのである。この問題を直視しないまま「保守主義対社民主義」を説いても実現は不可能だと考える。

◆おわりに

本書はわたしたちに二つの大きな論点を提示している。第一の論点は、野口の「1940年体制」と同じ視点を持つ「総力戦体制」論との比較によって得られる。野口は「1940年体制」を資本主義からの「逸脱」と考えて、戦後に継続された体制を「特殊」と位置づける。「普遍」を米国流の自由主義的な市場主義に置くのである。これに対して「総力戦体制」の立場は、戦時体制を資本主義の発展という歴史の中に位置づける。資本主義は国家による抑圧のシステム化という新しい段階に入ったと考えるのである。それは総力戦体制を日本の近代化過程の中で評価することを意味する。「1940年体制」が歴史からの「逸脱」に注目するならば、「総力戦体制」は歴史への「服従」を見出すのである。言葉を変えれば、野口は資本主義は一つ(自由を基本とする市場主義的なもの)に収斂していくと考え、そこからの逸脱は修正すべきだとする。「総力戦体制」論は、資本主義は国によって様々な形態を取るものの、その本質において、より高次な抑圧的システムに発展していくと見るのである。どちらの考え方をとるかは歴史観の違いになるが、わたしは「総力戦体制」論の立場から資本主義を考えていきたいと思う。

本書が提示するもう一つの論点は、政治理念の確立である。本書が言う「自由主義対社民主義」理念の確立は、「保守主義対社民主義」と再定義すべきだが、その言わんとするところは「小さな政府対大きな政府」の対立理念の確立であり異論はない。しかし現在の日本ではその実現は困難だ。理由は、政界再編を目指して社民主義への結集を図ろうとしても、安全保障の問題を真剣に問い出すと野党が党内分裂するからである。これは平和憲法と日米安保を対立関係ととらえるか、補完関係にあると考えるかに起因する。左派のイデオロギーは前者を選択するが、現実を直視すれば後者を選択せざるを得ない。どちらを選ぶかで社民勢力は分裂する。また後者を真剣に考えていくと、対米従属か自主独立かの判断が必要となるので、自民党の分裂を招いてしまう。こうしたジレンマを乗り越えるために、まずなすべきことは、戦後体制を実質的に決定した占領の「中立化」を図る必要があると考えている。そのためには「総力戦体制」の視点が必要なのである。

<参考図書>

『1940年体制―さらば戦時体制』野口悠紀雄著 東洋経済新聞社(2010年増補版、初版は1995年)

『総力戦体制』山之内靖著 伊豫谷登士翁/成田龍一/岩崎稔編 ちくま学芸文庫(2015年)

(*注1)野口悠紀雄(1940年〜):大蔵省出身の経済学者。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。

(*注2)山之内靖(1933〜2014年):東京外国語大学名誉教授。専門は現代社会理論、歴史社会学。

(*注3)革新官僚:国家の統制を強化することで日本を変えようとした戦前期の官僚を指す。その政策は計画経済など社会主義的な要素があり、財界と対立した。岸信介(後の首相)、星野直樹(企画院総裁、A級戦犯)らが知られるが、戦後自民党だけではなく社会党に入って活躍する人物(例えば和田博雄)も出ており、革新官僚が持つ社会主義的要素が現れている。

(*注4)中根千枝(1926年〜):社会人類学者。東京大学名誉教授。『タテ社会の人間関係』(講談社、1967年)で知られる。

(*注5)ここではファシズム(国家社会主義)を広い意味に使っている。人種主義的色差が強いナチズムは分けるべきだという解釈もある。

(*注6)政治学者の佐々木毅の『アメリカの保守とリベラル』(講談社学術文庫 1993年)から引用した。本稿での米国の政治状況は同書を参考にしている。なお、野口は本書で、日本において社民主義が「リベラル」を名乗るのは、米国の状況との違いを無視した誤用だと批判しているが同感である。

(*注7)ジョン・ダワー(1938年〜):米国の歴史学者。リベラル。MIT名誉教授。ダワーの主張は、拙稿13〜15回『敗北を抱きしめて』を参照されたい。

※『視点を磨き、視野を広げる』過去の関連記事は以下の通り
第23回「総力戦体制」という視点:野口悠紀雄『1940年体制―さらば戦時体制』を考える(前編)
http://www.newsyataimura.com/?p=7760#more-7760

第15回『敗北を抱きしめて』―占領と近代主義の全面的受容(3)
http://www.newsyataimura.com/?p=7262#more-7262

第14回『敗北を抱きしめて』―「占領による近代主義の受容」(2)
http://www.newsyataimura.com/?p=7218#more-7218

第13回『敗北を抱きしめて』——占領による近代主義の受容(1)
http://www.newsyataimura.com/?p=7130#more-7130

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