п»ї 高速鉄道インフラ輸出計画のみじめな結末 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第137回 | ニュース屋台村

高速鉄道インフラ輸出計画のみじめな結末
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第137回

2月 08日 2019年 経済

LINEで送る
Pocket

小澤 仁(おざわ・ひとし)

o
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住21年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

目に見えて国力が落ちていく日本。その昔は繊維、造船、鉄鋼、電機、鉄道など世界に誇った産業も今はその面影もない。現在日本企業の中で世界に伍(ご)して戦っている企業はトヨタ、ホンダ、コマツ、ブリヂストン、ダイキン、村田製作所など数えるほどしかない。これらの企業は海外生産比率も高いし、海外販売比率も高い本当のグローバル企業である。しかしこうした企業はほんの一握りになってしまった。

残念なことにこの親日国タイにおいてでさえ、国力の低下とともに日本はますます期待されなくなっている。今回は、安倍政権が官民を挙げて取り組んでいた日本の高速鉄道インフラ輸出計画について検証してみたい。

◆ビジネスの敗北原因を冷静に分析しない

私がタイに赴任した今から20年ほど前、日本政府はタイ政府に対して、地下鉄関連工事や地下鉄に使用する車輌の売り込みを図っていた。

アジア通貨危機直後のタイである。日本政府は経済的に弱っていたタイを全面的にサポートしていた。タイは地下鉄工事についても国際協力銀行(JBIC)の融資に依存していた。しかし最終的には、地下鉄車両はドイツのシーメンス社に発注したのである。日本政府関係者やこれらのプロジェクトに関わった人たちからは「タイの経済危機を救ったのは日本だ」「日本が低利融資を提供しているのに他国から購入するのはけしからん」「プロジェクト初期段階にはさんざん我々からノウハウを吸収しておいて恩義がない」などの声を聞いていた。

しかし、当時のタイ政府関係者から聞く話は全く異なるものであった。「日本の工事価格や車輌代がべらぼうに高い」と言うのである。日本では当たり前となっている公共工事の落札制度。当時のタイははっきりと制度化されてはいなかった。しかし政治抗争が激しく、政権交代も頻繁に行われるタイである。もし理不尽な落札を行えば、あとから糾弾されることは必至である。

こうしたことは一部の日本政府関係者はわかっていた。「日本の鉄道会社は路線ごとに車輌モデルが異なるし数年ごとにモデルチェンジします。こうした設計代が車輌価格に上乗せされるため、ドイツや中国の車輌コストに歯が立たないのです」。ある高級官僚はあきらめ顔でこう話した。これが真実なのであろう。ところが、当時の工事関係者はタイの不実を嘆くだけで、価格で負けたことには言及しない。敗北や失敗の原因を冷静に分析しない日本人には新たな成長が期待できない。

タイの高速鉄道については、更に日本の勘違いが甚だしい。日本はかねて、親密なタイに対して日本が誇る新幹線の導入を強く促してきた。ところがタイの政策関係者はほとんど全てと言っていいほど、この新幹線には懐疑的であった。「タイに今必要なのは新幹線でなく、輸送網の整備だ」というのは、私が会ったタイの有識者の一致した意見であった。私も日本出張時にこうしたタイ要人の意見を日本の政府関係者に何度も伝えた。ところが、これがどうやっても日本政府関係者に伝わらないのである。

◆新幹線をめぐる日タイの齟齬と中国

2014年の正月、当時のインラック首相(タクシン元首相の妹、現在英国に亡命中)が家族旅行のため、隠密で日本を訪問した。この時たまたま日本にいた私は「新幹線は必要ない、と日本の政府関係者に何度説明してもわかってもらえない。何とかしてほしい」とのインラック首相からの依頼を伝え聞いた。既に何度か日本の政府関係者に話している内容であったが、インラック首相からの依頼である。タイ首相が直接要望し、聞き入れられなかったことを一介の銀行員が話しても伝わるわけがない。しかしひょっとしてタイ人特有のオブラートに包んだ表現であったため理解されなかった可能性もある。意を決して再度日本政府関係者に話してみたが、当然のことながら「なしのつぶて」であった。首相官邸の発信力が強まれば強まるほど、その発信内容にそぐわない情報が官邸の耳に届かなくなっているように私には見受けられた。

日本の新幹線売り込みは中国の台頭とともにさらに影が薄くなっていく。現プラユット政権はクーデターにより樹立された軍事政権である。日本政府ならびに日本のマスコミはクーデターによって樹立されたことを理由に、他の欧米諸国と同様にプラユット政権に距離を置いた。この間隙(かんげき)を突いたのが中国である。当時国際社会で孤立状態にあったタイの軍事政権をいち早く正式に承認した。さらにその直後、ソムキット副首相の訪中時には、日本政府要人も当時会えなかった中国政治局の常務委員が応対したのである。

私はたまたま訪中前後のソムキット副首相とお会いする機会があったが、訪中前の神経質な様子の副首相が、訪中後には満面の笑みだったことが忘れられない。こうした中国政府によるタイ軍事政権の取り込みの中で行われたのが、タイを南北に縦断して中国からシンガポールにつながる高速鉄道の敷設計画である。

「すべての道はローマに通ず」ということわざがあるが、この由来となったローマ帝国は植民地支配のために街道網を整備し、軍事・経済両面にわたって強大な支配権を確立した。中国も同様にインドシナの支配権の拡充を狙って、タイ軍事政権に高速鉄道の敷設計画を申し出たのである。政治・外交のノウハウにうとい軍事政権としては、国際社会で孤立を強いられている中で中国の申し出を受けざるをえない。しかしタイの一部政治家や官僚などが中国の影響力増大を恐れ、中国による高速鉄道計画の条件交渉を長引かせることで、結果として中国による高速鉄道の敷設は遅れている。

一方、日本はバンコク~チェンマイ間の高速鉄道に絞り、タイ政府との条件交渉を進めてきた。プラユット現首相も訪日時に日本の新幹線に試乗していったんは新幹線敷設に色気を見せた。しかしどう考えても採算が合うとは思えない。なぜならばチェンマイの人口は25万人にも満たないのである。バンコクの人口が820万人だとしてもバンコク~チェンマイ間で頻繁に人が行き交うとは思えない。

ちなみに東海道新幹線のケースでは、東京の人口が927万人、大阪269万人、京都147万人、名古屋229万人と、チェンマイとは比較にならない人口を有する都市をつないでいるのである。だからこそ私の知っているタイの有識者たちは日本に「バンコク~チェンマイ間の貨物輸送の充実と、それをベースにした中速鉄道を敷設してほしい」と言っているのである。

これに対し、中国政府はバンコク~チェンマイ間でもこのような貨物輸送も可能な中速鉄道の敷設を申し出ていると聞いている。しかし、現政権内の親日派閣僚により、中国政府の申し出は退けられてきている。

◆東部回廊の高速鉄道計画では「不戦敗」

こうした中で、現軍事政権は経済政策の目玉として、産業の高度化を目指した「タイランド4.0」と東部回廊(EEC=East Economic Corridor)の開発計画を打ち出している。「タイランド4.0」で目指すロボット産業、航空機産業、健康医療産業の集積地としてチョンブリ県、ラヨーン県、チャチュンサオ県を指定し、産業誘致の特別恩典を与えるとともに、インフラの整備を積極的に行うものである。

この東部回廊のインフラ整備計画の中には、ラヨーン県のウタパオ空港を整備・拡張して国際空港化することや、レムチャバン港やマブタプット港の港湾整備が盛り込まれている。このほかに5千億円以上の投資が予想される「高速鉄道計画」がある。具体的には、現在のタイの国際空港であるスワンナプーム空港、ドンムアン空港と東部回廊の玄関口となるウタパオ空港を結ぶラヨーン県~バンコク間の高速鉄道である。

ラヨーン県、チョンブリ県は自動車産業の集積地として経済発展の著しい地域であり、それぞれ人口も70万人、120万人と規模の大きい県である。また、東部回廊には観光地としてパタヤやラヨーンなどを有し、多くの観光客を集めている。こう考えると産業・観光の両面から、この地域の高速鉄道の敷設には採算が見込まれるのである。私の知るタイの有識者たちも「この地域での高速鉄道化については合理性も高い」として、積極的に日本の関与を望んでいる。

ところが、である、2018年7月の時点でこの鉄道敷設の主要プレーヤーとなるであろうタイ財閥2社のオーナーの方とプライベートな夕食をする機会があった。当時はまだこの鉄道敷設は初期計画段階であったが、「既に陣営は二つに大別され、主要メンバーは決まっている」のことであった。私はよく事情が飲み込めていなかったので、思い切って誰がメンバーとなっているのか聞いてみた。普段から友人付き合いをしているタイ人たちばかりだったので、口が軽くなったのであろう。私にこの両陣営に参加を予定している企業群を教えてくれた。

さらにタイ人の1人が他のタイ人に向かってタイ語で付け加えるように話した。「このプロジェクトに中国企業は積極的にアプローチしてきている。既にどの中国企業にするかほぼ決めた。ところが日本企業からのアプローチはほとんどない。中国とのバランスを考えて日本企業には名前だけでも参加してもらわないと困る。最終的には親密な商社もしくは建設会社に入ってもらおうと思っている」。私に気を使ってタイ語でしたのであろうが、私はまさかの話に驚いてしまった。

あれほど声高に叫んでいた日本の高速鉄道輸出計画が、タイ企業からのお情けでしか参加できない状況になっているとは思いもよらなかった。日本の政府関係者から以前、「JR東日本がインド、JR東海が米国の高速鉄道計画に手いっぱいのため、これ以上日本からの鉄道関係の技術者の海外派遣が難しい」と聞いていた。しかし事態は更に深刻そうである。

この東部回廊の高速鉄道計画は昨年11月、タイ政府の承認・決定により公開入札が行われた。タイの友人から教えてもらった通り、2グループの入札が行われ、現在最終決定に至る条件交渉が行われているようである。

新聞報道によれば、チャロンポカパーン社、チョーカンチャン社、イタルタイ社などがコンソーシアムを組むグループが第一入札権を得たようであるが、まだ最終決定はされていない。ところが、このコンソーシアムに参加する日本企業名を聞いて更にびっくりした。わずかに国際協力銀行(JBIC)など日本の政府関連2機関が名を連ねているだけである。日本の民間企業の名前はこのコンソーシアムには入っていなかった。日本はなんと「不戦敗」である。官民を挙げての日本の高速鉄道インフラ輸出政策は、その土俵にも立てないほど衰退してしまったのであろうか?

コメント

コメントを残す